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気が付くと辺り一面が血の海だった。
比喩的な表現だが、赤色の比率を考えればおかしなものではない。
つまりそれほどまでの事故現場が目の前にいきなり広がっていたのである。
「なんじゃこりゃぁぁぁ!?」
このように思わず母国語で叫んでしまうくらいには驚いた。
一瞬の隙を突いてトマトパーティーをやらかしたのは何処のどいつだ、と犯人捜しをする前に自分の体をチェック。
たっぷりと付着した血と肉片に推理の時間もなく結論は出た。
「犯人はこの中にいる」とどう見ても生存者一名の凄惨な現場でキリっと決める。
「……マジかー、最後に何かされたっぽいしそれが原因だろうけど、流石にこれは酷い」
以前支配の魔法を受けた時は意識だけははっきりしていた。
となれば別の系統の魔術を行使したのだろうが、残念ながら俺の浅い知識には該当するものがない。
これだけ暴れたのであれば、ゲーム的に近いのは「狂戦士化」とかその類と思われる。
そんなわけで死体の検分を始めたわけなのだが……いきなり問題が発生した。
「口が気持ち悪いと思ったら……噛みつきまでやってたか」
何やらせやがったこの野郎、と悪態と一緒に口の中の異物を吐いているとエルフの死体を発見。
しかも三つ。
俺が発見できたエルフは全部で三名なので、他にいないのであれば全滅している。
(いや、逃走失敗してんのかい)
この予想外の展開に前提が正しかったかどうか疑わしくなってきた。
腐ってもエルフ、わざわざ他国まで派遣されてくるような連中が、こんな失態を仕出かすとは思えない。
となれば原因はこっち――もしくは複合的なものである可能性が出てきた。
「と言ってもなぁ、何かあったか……うん、あったわ」
即座に思い出す精霊剣の存在。
そう、俺はこいつを手に入れるために危険を冒したのだ。
恐らくその辺りに落ちているだろうと周囲を見渡す。
あっちこっちに死体が散乱しているが、目的の物はすぐに見つかった。
そちらに近づくと妙な形をした死体が一つ。
辛うじて人型だとわかる歪なそれとその装備を見て、これが人間だったものであると理解する。
「こんな秘密兵器まで投入したのか……」
人を辞めてしまった身だから言うが、人間を超越しようと別の生物になっても良いことあんまりないぞ?
原型が少なくて最早誰かはわからないが、軽く冥福を祈った後に近くに落ちている精霊剣を拾う。
そして弾かれる。
そう言えばそうだった、とどうしたものかと辺りを見渡す。
「……待てよ。こいつが原因、てことも考えられるのか?」
しかしその考えはすぐに否定された。
前回精霊剣を持った爺さんと戦った時は何も起こっていない。
時間的な条件がないとも言い切れないが、あの長時間をそうとするのは流石に無理がある。
また、帝国としても精霊武器を手に入れる機会が欲しいか、と問われれば間違いなくイエス。
ならばこのような暴走状態の如き暴れっぷりを披露するような機能を付けているとは考えにくい。
(となるとやっぱエルフだな)
こうなると最後に何を言っているか聞き取れなかったのが悔やまれる。
こうして三人揃って屍を晒すことになった経緯はわからないが、恐らく混乱の隙を突いて精霊剣を確保しようとして失敗したと考えるのが妥当だろう。
(暗躍するような連中は碌なことをしないな)
多分真相はこんなところだろう、と納得できる理由に辿り着いて一区切り。
だが果たして本当にそうだろうか?
心のどこかでその結論を疑っている自分がいる。
移動時に方角を大きく誤ることが時折起こる。
その際は決まって考え事をしており、走っていたルートがあやふやになっている。
同様に起こるおかしな寝相。
自分の体に何かしらの変化が起こっている可能性もある。
あのファッキンマッドは確かにこう言っていた。
「戦争に駆り出される君達ならば、実戦投入から一年かそこらで理性を失い暴れまわってくれると期待している」
思えば戦闘回数は少なくない。
「理性を失う」と言っていたが、それはどのようにして起こるのか?
どのようにして理性を失うことが、あのゼータ博士にとって都合が良いか?
それを考えた時「この目の前の光景こそが答えなのではないか」ともう一つの納得の行く回答が目の前にぶら下げられる。
まるでスイッチのオンオフを切り替えるかのように突如として失われる理性。
これがいずれオフの状態のまま動かなくなるのが彼の言う結末なのか?
自分が自分でなくなる――その可能性が恐怖という形になって俺を足元から這いがってくる。
そしてスッと掻き消えた。
感情抑制機能は働き者である。
(……楽観視はできない。危険を冒してでも行くべきか)
元よりそのつもりだったことが少し早まるだけのこと。
予定や方針の変更など人の姿をしていた時からあったことだ。
まだそうと決まったわけではないが、確かめるべき案件が発生した。
次の目的地は決まった……が、その前に精霊剣の回収だ。
落ちている適当な武器を拾い、それを使って精霊剣を持ち運ぶ。
血生臭い我が身をまずはどうにかしたいところだが、水場がないのでしばらくは我慢。
隠していた荷物を回収し、予備のなまくらサーベルを入れ物から取り出すとそこに精霊剣を収める。
「サイズが合ってないが……まあ、仕方ない」
リュックの容量には限りがあるので、またショッピングモールに寄って丁度良いサイズの入れ物を見繕う必要がある。
水も使いたいから一度エイルクェルへと向かうとしよう。
そんなわけで日も沈んで真っ暗な廃墟をドスドスと歩く。
血を拭うことはできたが、まだ少し臭いが気になっている。
下水だった場所に水は溜まっているが水深は浅く、どうしてもこの体を洗うには不十分と感じざるを得ない。
飲料用の水の確保も兼ね、川にも寄ることにして今日は眠りにつく。
明日はさっさと探し物と所用を済ませて目的地へと辿り着きたい。
目的地は俺が目を覚ました研究施設。
崩れてしまってはいるが、この身ならば掘り進むことは不可能ではないはずだ。
危険だが確かめなければならないことがある。
それだけの価値はあるはずだ、と自分に言い聞かせながらその日を終えた。
翌朝、食事も摂らずサクッと精霊剣の入れ物になりそうなケースを確保し、進路を東に軍事基地跡から川へと向かう。
方角的に若干南に逸れる必要があったので調整のため少しばかり蛇行してしまったが、通過点である軍事基地跡には無事到着。
まずはこの血生臭さが残る体をどうにかしたいので真っ直ぐに川へと走り抜ける。
そして目の前には久しぶりのレストナント川。
深い場所なら腰の辺りまで浸かるので、荷物を下ろして川へとザブザブ入っていく。
「あ、そう言えば……この体は水に浮くのか?」
ふとした疑問が口に出る。
試してみたらちゃんと浮いた。
「凄いぞ帝国技術」と久しぶりに祖国を持ち上げてみる。
ちなみにプカプカ浮かびながら尻尾を動かして水流に逆らってみたが、残念なことにこの巨体を進ませるほどの推進力を得ることは叶わなかった。
それから手に持ったタオルで体をゴシゴシと洗う。
手の届かない背中は尻尾を使った。
もうすっかり体の一部である。
折角なので魚を獲って早めに昼食とする。
問題があったとするならば、捕れる魚がどれも小さく、食いでがなかったことと誰かが俺を発見したらしく一目散に逃げだしたことがある。
小汚いオッサンだったので放置したが、仮に美女であったとしても構うだけの余裕はなかったかもしれない。
(あ、でもおっぱいさんだったらどうしたかなー……あの人カナンでも見かけたし、言葉は大丈夫そうなんだよなー)
無意識に話せる誰かを探している自分に気づく。
どうやら思った以上に引きずっているようだ。
(寄り道せずに目的地に向かおう。今はなんとしてでも俺……タイプゴライアスの情報を手に入れなくてはならない)
そうでなければきっと不安で圧し潰されてしまう。
俺は川から上がるとリュックから取り出したタオルで体を拭き、魚を焼いた焚き火がちゃんと消えているか入念にチェック。
キャンプの心得は忘れない。
指差し確認を終えた俺はリュックを背負い南西へ向けて走り出す。
目印となりそうなものの記憶は少ないが、取り敢えず落ちた飛行船を探すことから始めよう。
そこからならば大体の距離はまだ覚えている。
俺は森を駆ける。
そして自分が迷ったことに気づいたのは、それから大体五時間後のことだった。
(´・ω・`)新作開始。




