171 とある傭兵の叫び1
相変わらず嫌になるほどの化物だ。
討伐隊に囲まれ、何時間と戦い続けるアルゴスを見てそんな感想が口から洩れる。
明らかに戦術的な行動を取っているのは、俺たちの消耗具合といつまで経っても動きが鈍るどころか息一つ切らさらないアルゴスを見ればわかる。
「隊長より、頭良くないです?」
隣にやってきて息の上がったロイドが軽口を叩く。
「よっし、まだ余裕があるみたいだな、行ってこい」
俺は顎で命じてやるが、ロイドは「武器がもう限界ですよ」とはっきりとわかるほどの歪みができた大槌を見せる。
銘こそないが、俺の「巨人殺し」と同等とまで言われた武器がこうまで消耗している。
丁度そこに予備の武器を持って元団員の一人がやって来る。
「いいタイミングだ」
予備の大槌を受け取ったロイドは感触を確かめるように二度、三度とこの時のために厳選した得物を握りなおす。
「いけます」との言葉を受け、俺はただ「ついてこい」とだけ言って前へ出る。
その後ろには汗だくのアニーもついてきている。
張り付いた肌着が胸の形をはっきりとさせているが、そんなことを気にする女ではない。
(それにしても……何時になったらエルフどもは来るんだ?)
既に魔術師たちの魔力は底をつき、回復と同時に援護をしてくれてはいるものの、最早それが効果的である場面などない。
「対アルゴス用兵器の使用許可が出た。我々はそれを取りに行く。しばらくはそちらで持ちこたえてほしい」
そう言って出陣間際で姿を消した彼らの言葉を信じたのは間違いだったか?
不安が胸中に渦巻く中、戦況はより厳しいものへとなっていく。
脱落者はまだ三人。
種火の魔術師が二人と前線を構築していた鋼鉄の斧から一人。
後方支援に回った連中も引っ張り出しはしたものの、時間稼ぎにすらならず蹴散らされて数を減らしてしまったのは失敗だった。
これ以上戦力を減らすわけにはいかない。
今、前線を支えている者は全員がこの認識を持っているに違いない。
問題はアルゴスがそれを理解しており、執拗に脆くなった部分を攻める点だ。
しかも徹底してリスクを避け、常にこちらの攻撃を完璧に捌けるよう意識して立ち回っている。
(向こうが防御を意識しているおかげで死人はほとんど出ていない。こいつ、こんな図体してやがるのにどこまで慎重に事を運ぶつもりなんだよ!)
またしても攻勢が空振りに終わる。
誰もが疲弊しており、その姿を見れば決着を急ぎたい気持ちもわかる。
その焦りがこの硬直したかのように見える戦況に穴を空けた。
魔力の切れた魔術師部隊へと向かうアルゴス。
これを潰されれば挽回に必要な一手が間違いなく喪失する。
だが幾度も行われた突くような様子見ではなく、本格的な攻勢へと回ったアルゴスは止まらなかった。
俺は巨人殺しごと殴り飛ばされ、アルベルトも聖剣ごと弾き飛ばされる。
(逃げろ、爺さん!)
叫ぼうにも声が出なければ体も動かない。
本気になればたった一撃でこの様か、と己の不甲斐なさを嘆く。
斬撃や刺突への対策は捨て、打撃のみに重点を置いた防具に対物理のアミュレットを揃えてもこれだ。
「本気で嫌になる」と心の中で吐き捨てると後方支援の傭兵がポーションを持って駆け付ける。
しかしもう間に合わない。
杖に縋りつくマーカスに迫るアルゴスがサーベルを振り上げていた。
そして放たれた老人とは思えぬ鋭い突き。
杖の先から延びた光はまるで槍のように突き出されたのだ。
だがその一撃は当たることはなかった。
まるで知っていたかのようにアルゴスは老魔術師の切り札を躱してみせたのだ。
振り降ろされるサーベルに俺はマーカスの死を確信し、一筋の光がそれを打ち破った。
巨大なサーベルが地面に落ちる。
「ようやく、か……」
撃ち抜かれたアルゴスの手の甲には赤い血が僅かではあるが確かに流れていた。
遅れていたエルフの参戦。
そしてエルフ語で喋り始めるアルゴスに誰もが驚愕を隠せないでいる。
どうやら複数の言語を話すことが可能らしいが、こいつがそれを隠す理由までは思い至らない。
「お前よか頭が良いんじゃねぇか?」
隣に来たロイドに軽口を叩いてやる。
「余裕ですね。ほら、行ってきてください」
回復中だ、と言いながらも俺は相棒を担ぎ上げ歩き出す。
目の前ではエルフとアルゴスが交戦状態に入り、さっさと援護しろと怒号が飛ぶ。
初めて会った時とは打って変わって偉そうな口ぶりだが、言うだけのことはある。
(一人で真正面から対峙してやり合えるか!)
その姿を目の当たりにして「これで状況は変わる」とそう誰もが信じていた。
確かに戦況は良くなった。
事実、ようやく俺もアルゴスに一撃を見舞うことができたのだ。
俺自身は奇麗に捌かれたが、続く森からの射撃が直撃した。
そこに体勢を崩す俺を踏み台にしたアニーが追撃を試みるが、素早い反撃を寸でのところで回避。
ところがアルゴスの指が服に引っかかり、自然と持ち上げられる形となったアニーは躊躇することなく布を切り裂き脱出する。
「とっとと直してこい」と一度下がらせようとしたが、アニーはこれを無視。
そのまま前線に居座るつもりのようだが、気を散らしてしくじる馬鹿が出ないことを祈るのみだ。
「そろそろこいつの切れ味が恋しいだろう? いい加減斬られてみたらどうかな、アルゴス?」
「お断りだ」
このチャンスを逃すまいと斬りかかるアルベルトとそれにカナン王国語で返事をするアルゴス。
「やっぱりこっちの言葉を理解してやがったか」と小さく悪態を吐き、俺は巨人殺しを担ぎ上げ走り出す。
もう何度目かもわからない攻防だが、チャンスはついにやってきた。
やはりと言うべきか、きっかけはエルフの魔術師。
当初俺が睨んだ通り、こいつとの戦いは魔法が重要だった。
エルフの魔法に合わせて前に出るアルベルト。
そこに追加とばかりに群がる傭兵たち。
そして遂にその時はやってきた。
水の鎖にサーベルを持つ手を封じられ、傭兵からの果敢な攻撃に加え、アルベルトの攻撃に合わせたマーカスの援護でその対処に間に合わなくなったのだ。
その首目掛けて聖剣が振り下ろされた。
間違いなく致命打となる一撃は空を切った。
この場にいた者全員が確かに見た。
アルゴスが消える瞬間を……そしてアルベルトが何かの攻撃を受け吹き飛ばされ、宙に浮かぶ水の鎖を見た時、俺たちは理解してしまった。
「『よくやった』と褒めておこう。そして謝罪しよう。君たちを見くびっていた。ここからが全力だ」
姿を現したアルゴスはそう言って再び姿を消した。
「姿を、消せるのかよ」
声が震えていた。
恐らくはその場からまだ動いていない。
だがあの怪物が「この距離でそこにいるかどうかわからない」という不安は想像以上に重くのしかかる。
それ以上に、俺は奴に抱いていた期待が打ち砕かれたことにショックを受けていた。
「戦闘を楽しむタイプ」と聞いた時に勝手に抱いたものだとはわかっていても、裏切られたと理不尽にも感じてしまう。
「如何にも。先に言っておくが、手を抜いていたと思われるのは心外だ。手の内を明かさぬなど基本中の基本。だが、この手札を切らせたこと、誇るがいい」
そう、所詮人間とモンスター。
互いの価値観を理解するようなことなどあるわけもなかったのだ。
それでも俺はぶつけてしまった。
「ふざけんな! 俺たちは、命懸けで手前を殺しに来てんだぞ! それを――」
「後ろに飛べ!」という警告は僅かに遅かった。
正面からの一撃をまともに受け、俺は意識を失った。
それから目を覚ましてみれば俺を見下ろすアニーの姿があった。
未だ服をどうにかしていないことから然程時間は経っていないのだろう。
俺は体を起こして顔を振った後に手で拭う。
相変わらず薬品臭いが、この刺激の強い臭いだからこそ目も覚める。
同時に自分に使われたものが何であるかも察した。
肉体への負担や後遺症を完全に無視した欠陥品――そんなものを廃棄処理となる分まで持ち出さなくてはならなかったのは、アルベルトの馬鹿が金をケチったからではなく、単に需要が伸びずに売れ残るから作る人間が少なかっただけである。
一度目ならば死んでさえいなければ元通りに回復し、二度目となれば体のどこかに異常を来す。
そして三度目となれば肉体が変異する。
有名どころでは痛覚がなくなった傭兵「巨腕のゼンク」のように三度の使用にもかかわらず、右腕の肥大化のみに収まり、それが良い方向に転ぶケースもないわけではない。
奇跡は期待してよいものではない。
これで二度目となる完全回復ポーションの使用。
己の異常には直ぐに気づけた。
(視界が……いや耳もおかしい。武器は……ある。ちゃんと手に持っているのにこの違和感はなんだ?)
それが感覚の異常だと判明したのは体の痛み。
傷は治れど痛みはしばらく残るものだと記憶にある。
瀕死の重傷であったにもかかわらず、その痛みが酷くぼやけている。
しかしそれはある意味では好都合だった。
ただ剣を振るうだけならば、と歩き出す。
既に戦闘は再開されており、俺より先に立ち上がっていたアルベルトが姿を消したアルゴスに肉薄しており、カインが壊れた大斧で奴のサーベルを弾き飛ばし、予備の武器を持って走って来る。
「間に合った」と思ったのも束の間、姿こそはっきりとは見えないが、アルゴスを囲う形となったまでは良かった。
だが何もせずにこの包囲から脱出した時、アルゴスが俺たちを見ていないことに、奴の目的が魔術師の排除にあると気づいた時には遅かった。
響く着地音と舞う砂埃。
全員がそちらへと向き直ると姿を現したアルゴスは足を止め森からの射撃を躱しており、続く投石がエルフの右腕を撃ち抜いた。
森からの援護射撃が激しさを増すが、アルゴスは意に介さず止めを刺すべく前へ出る。
そこにアルベルトが間に合った。
しかしその一撃はあまりにも迂闊だった。
(踏み込み過ぎだ、馬鹿野郎!)
今エルフの魔術師が倒れれば状況が覆らないのは誰もが理解している。
だからと言って、聖剣を持つアルベルトが死地に踏み入るのは間違っている。
その不安は的中した。
姿を消すアルゴスはまだ見える尻尾を動かしアルベルトに誘いをかけた。
それに反応してしまった時に、勝敗は決した。
振り下ろされた拳は目標を違えることなくアルベルトを叩き潰した。
この瞬間、聖剣の使い手は失われ、俺たちに託された――はずなのだが、その聖剣を手に取ったのはアルゴスだった。
しかし次の瞬間、驚愕の声と共にアルゴスの手から弾かれるように聖剣が宙に舞う。
「聖剣を渡すな!」
走るカインが叫び、俺はそれに続こうとしたその時、不意にアルゴスの両膝が崩れるように地に着くと、そのまま奴は眠ったように動かなくなった。
視線の先には負傷したエルフの魔術師。
「こんな手段があるなら、最初から使え」と言いたくなったが、それが間違いであったことにすぐに気づいた。
俺が見た彼の表情は困惑――つまり、アルゴスのこの状態に奴は関与していない。
だがこの機会を逃すわけにはいかないと俺はそのまま走り続ける。
恐らくは同じ判断なのだろうエルフの魔術師が森に向かって何か叫んでいる。
エルフの言葉はわからないが、この機を逃すつもりはないはずだ。
「オー坊、聖剣を守れ! エルフの狙いは――」
ところが聞こえてきた声はこの状況とはズレたものだった。
耳がおかしくなっているのかはっきりとは聞こえなかった。
しかしマーカスの叫びと、水の刃で斬り捨てられ、崩れ落ちる老魔術師の姿を見て察することはできた。
「何やってんだ、お前らぁぁぁぁぁ!」
自分の声とは思えないほどに枯れた叫び。
状況を理解するのに時間など必要なかった。
エルフの目的は聖剣であってアルゴスではなかった可能性すら出てきてしまったのだ。
何が正しいかなど俺の頭ではわからない。
ただ一つ言えることは、今優先すべきは聖剣の確保である。
感覚が狂い、足元がやや覚束ないながらも走る俺の横を誰かが追い抜く。
この男だらけのむさ苦しい戦場に唯一人の女。
常に軽装で戦場に挑む速度を重視したアニーならば、この状況下では最適解と言えた。
ならば俺はその道を阻む全てを退ければよい。
そう思考を切り替え、視線を聖剣からエルフへと向ける。
しかし、俺の前を行くアニーの足が止まる。
何があったのかという疑問は一瞬だった。
アニーが身構えたその先にあるものなど一つしかない。
視線の先には膝を地面に着いたまま動かなくなったアルゴス……しかし明確に違う点が一つある。
「アルゴスが……黒い?」
灰色だった体がいつの間にか黒く染まっていた。
(´・ω・`)次回もオッサン視点




