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しかしながら気になるものは気になるのだ。
十中八九いるのはゼサトの氏族でさっき俺の手を撃ってくれたのは魔弓と見て間違いない。
ただの弓でサーベルが俺の手から落ちるはずはなく、貫通こそしなかったが今もはっきりと残る衝撃と痺れがその威力を物語る。
手の甲を伝う血を舐め取り、地面に突き刺さったサーベルを引き抜く。
「おいおい……気の所為じゃなけりゃ、今何か喋ったように聞こえたんだが?」
何事もなかったかのように済ませたかったが、そうはいかないらしい。
この隊長さんはどうも空気を読むのが下手なようだ。
しっかり俺から距離を取った爺さんとの間に入っているし、この人は何回立ち塞がれば気が済むのか?
「カナンやエインヘルではない。さりとてセイゼリアとも違うようにも思える。となればフロンか、はたまた更に南か……はてさて、最も遭遇頻度の高いカナンを差し置いて何故そのような言葉を喋るのか?」
疑問は尽きぬの、と老人は這う這うの体で逃げ出した後に考察を始める。
理詰めされると色々と知られてほしくないことがバレそうなので、知識人には早めに退場してもらう。
しかし二射目の軌道が見えたので反射的にサーベルで斬り払う……が、失敗!
被弾こそしなかったが、これはちょっと恥ずかしい。
続けざまに放たれる矢に俺は大人しく後退を選択。
魔弓による攻撃は最初の二発のみで、他は非常に鋭いが通常の矢だったので、連射のできるものではないようだ。
手の内を知れたことで多少の差し引きは戻せたと思ったのだが、腰のポーチを撃ち抜かれており、回復手段が消えてなくなった。
なんという赤字。
「そいつは旧帝国の遺跡を漁り、独学で帝国の言語を学んだ化物だ。恐らくはそれだろう」
そう言って姿を現した一人のエルフ。
(森に二人。こっちに一人、ね)
忌々し気に鼻を鳴らす高飛車なエルフの男を前に、俺は手にしたサーベルを下げて彼を見下ろした。
「ゼサトの者か」
先ほど喉を抑えていなかったので、もう隠す必要はないとエルフ語で話しかける。
周囲がざわめき老魔術師が目を見開いた。
「流石、我らが禁忌とする秘術を『余興』呼ばわりする化物だ」
もう喉を弄らなくてよいのか、と挑発するように目の前の男は言う。
この中でエルフ語を理解しているものは魔術師くらいなものだが、その反応から何か良くないことを話していると察する者が出始めている。
空気が変わったと感じるのは目の前のエルフから発せられる圧力故か?
まるでその周囲の空間でも歪んでいるかのように揺らめいて見える。
それが気のせいではないと気づいたのは最初の一撃が放たれる直前。
まるで見えない刃で俺の首を掻っ切るかのような動き――反射的に仰け反ったことでその一撃を回避したが、魔力の感知だけではその攻撃を捉えることはできなかった。
(目に見えない!? 風か何かの刃か!)
相手が素手であったことで魔術を使うと思っていたが、まさかいきなり近接戦闘から始まるとは予想外である。
だが、この距離は俺の間合い。
反撃にサーベルでの横薙ぎにエルフの男は屈む。
それでは躱し切れないと思ったのも束の間、エルフが腕を上げると同時にサーベルの軌道が大きく持ち上がるように逸れたのだ。
またしても知らない魔術。
しかし驚きはすれど攻撃の手を止める理由はない。
カウンターは空振りに終わったが、一歩踏み込み拳による追撃を試みる。
「いつまで見ているつもりだ! とっとと戦闘に参加しろ!」
怒鳴りつけるエルフと前に出る傭兵たち。
誰もが滝のような汗を流し、息を切らしている。
だが、それでも彼らは俺に斬りかかる。
機を逃したことを悟った俺は向かってる傭兵に対処しつつ、それに合わせるように前に出てくる精霊剣の使い手への警戒を緩めない。
そこにエルフの射手と魔術師が加わった。
通常の矢はまだ無視できる。
衝撃は確かにあるが、無視できる痛みだ。
しかし魔術に対しては常に正解を求められる。
そしてその対処を誤った結果がこれだ。
「だああぁぁぁぁ!」
隊長さんの気合の入った一撃を腕で受け止める。
エルフの魔術師による見える水の刃と見えない風の刃。
その仕掛けに見事に引っ掛けられた俺は足に一筋の切り傷を受け、防御が間に合わずに大剣の一撃を腕で止めるに至る。
「ようやく一撃だな、アルゴス!」
斬撃というよりも質量による打撃に近い一撃を受け、確かな痛みと痺れが俺の左腕に走った。
(このまま弾き飛ばすのは……腕の負担が大きいか!)
ならばと押し込まれる大剣を滑らせる。
体勢を崩し前のめりとなる隊長さん。
その頭部に吸い込まれるようにサーベルが振り下ろされる前に、俺の後頭部に魔弓による一撃が直撃した。
「ガッ、ハ!」
得物が手から離れ、衝撃のあまり肺から空気が漏れ出る。
今度は俺が体勢を崩し、足を前に出して踏み止まるが、そこに飛び掛かる人影が見えた。
咄嗟に腕を振り上げたが、寸でのところで彼女はそれを回避した。
しかし空ぶったかと思った中指が彼女の胸の谷間に滑り込む。
つまり、俺の中指が肌着の隙間に入り込み、彼女は持ち上げられる形となった。
俺の手の甲に足を付け、露わになった胸を揺らしているのが見えたが、自分で肌着を切り裂き離脱する。
そして服装を正すようなこともせず、息を切らしたままこちらを睨みつけている。
残念ながら彼女の胸を堪能する余裕が今の俺にはない。
彼女がいなくなったところで攻防はまだ続いている。
その中で俺が真に警戒しなければならないのはただ一つ。
サーベルを手に取りその一撃を受け止める。
「そろそろこいつの切れ味が恋しいだろう? いい加減斬られてみたらどうかな、アルゴス?」
「お断りだ」
カナン王国語で返事をすると同時に力任せに精霊剣を押し返す。
こっちの言葉も喋るのかよ、と悪態を吐きつつ再び斬りかかって来る精霊剣の使い手。
「合わせろ、アルベルト!」
エルフの魔術師の声に思わずそちらに振り向いてしまう。
水の鎖が俺の腕に巻き付く。
それを力任せに引き千切るも、鎖は直ぐに元に戻りサーベルを持つ俺の右腕の自由を奪う。
アルベルトと呼ばれた精霊剣の使い手はこちらに向かい走っている。
その間にも大剣が、大斧が、大槌が俺の体に叩き込まれた。
衝撃は決して小さくなく、出血もしているだろう。
だがあれさえ凌げばいいのだ。
矢が俺の得物を撃ち落とそうと腕に吸い込まれるが無視する。
だが、間に合った。
左手に持ち替えることができたサーベルが振り下ろされる精霊剣――そして俺の膝の裏に衝撃が走り、左足がガクッと曲がった。
有体に言えば「膝カックン」だが、その結果はまるで首を差し出すかのような体勢となる。
視線の先には貧相な杖を手にした老魔術師の姿があった。
「してやられた」と思った時には俺はサーベルを手放し、その一撃を回避するためだけに仰向けに倒れる。
同時に俺は本当の意味で全力を出す決断を下した。
本来ならば、この状況で地面に背を付けた時点で致命的な追撃は免れない。
それでも俺は選択し、狙い通りに振り下ろされた精霊剣が空を切る。
「え……待て、何処に消え――」
精霊剣を持ったまま、標的を見失ったアルベルトが周囲を見渡し声を出すも、それが言い終える前に寝そべった状態の俺の蹴りが彼を襲った。
「ぐぅはっ!」
吹き飛んだアルベルトを隊長さんのところのお仲間がキャッチ。
立ち上がった俺は擬態能力を解除する。
腕に巻き付いた水の鎖を引っ張ろうとするが、エルフの魔術師が魔術を解除。
俺は一つ溜息を吐き、カナン王国語でこう宣言した。
「『よくやった』と褒めておこう。そして謝罪しよう。君たちを見くびっていた。ここからが全力だ」
俺は手を広げ、未だ目の前の状況を飲み込めないでいる彼らの前で再び擬態能力を使用した。
「姿を、消せるのかよ」
僅かに声が震えている隊長さんだが、恐らくは他も似たり寄ったりだろう。
所々についた血の跡や汚れを軽く払う。
傷も塞がっているようで何よりだ。
背中も隅々までかける尻尾はこんな時でも役に立つ。
「如何にも。先に言っておくが、手を抜いていたと思われるのは心外だ。手の内を明かさぬなど基本中の基本。だが、この手札を切らせたこと、誇るがいい」
何となく始めてしまったノリノリの強者ムーブだが、意外と悪くない。
これで負けたら格好悪いなんてレベルではないが、使うと決めた以上は苦戦することすらないだろう。
魔力での感知はどうにもならないが、後は精々俺を何らかの形で汚すくらいだが、そもそも姿が見えない全身凶器のモンスターの一部分が見えたところで変化などないに等しい。
当然エルフの魔法を警戒するし、腕や足の動きがわかるようにされるようなヘマはしない。
後は音を派手に立てないよう気を遣うくらいだろう。
ここで俺のセリフが気に食わないのか隊長さんが前に出る。
「ふざけんな! 俺たちは、命懸けで手前を殺しに来てんだぞ! それを――」
「後ろに飛べ!」
エルフの忠告と同時に隊長さんが後ろに吹っ飛ぶ。
真正面からの不意打ちのお味は如何かな?
「喋る余裕などないはずだが……」
呆れたような一言で俺の居場所はバレただろう。
しかし動く者が誰もいない。
これは、体よりも先に心が折れたかな?




