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空中での静止。
何かが体に絡まる感触に反射的にサーベルを振るう。
しかし見えない何かが腕の動きを阻害する。
(魔法!? 魔力の反応はなかったはずだ!)
身動きができないわけではない。
ただ前方と足元にあるものが体のあちこちに引っかかっている。
それが網状の何かであると理解した時、俺を見上げる老魔術師が赤く光る小さな石のようなものを破壊した。
「これで終われば良いのじゃが……」
気負うこともなく、ただの特別でもない一撃のようにそれは放たれた。
赤い光――いや、熱の塊と表現するが正しい。
速度はないがそれでも人が全力で行う投石くらいの早さはある。
火ではない。
それは間違いなく質量を持った攻撃だ。
魔力を知覚できるが故にそれが危険なものであると判断した俺は、咄嗟に盾を見えない網状の何かに押し付け、それを足場に後ろへと飛ぶ。
直後、真っ赤に燃え盛るような球体が盾に触れ、その熱量が帝国が生み出した合金の耐熱限界を超えた。
盾の裏側に赤い円が生まれ、それが徐々に広がる瞬間を目の当たりにした俺は自分の勘が正しかったことを悟った。
盾に空いた大きな穴を目の当たりにし、これを放った爺さんの警戒度を最大まで引き上げる。
直撃すればただでは済まなかった一撃だが、事前の行動から察するに何度も使えるものではないと判断しても妥当だろう。
だとすれば盾一つの損失で済んだならば、引換としてはそこまで悪くはない。
(やはり魔法関係はどれだけ警戒してもしたりない。さっきの網にしても正体は恐らく魔法。にもかかわらず魔力を感知できなかったということは、隠蔽手段が存在する可能性を示している)
本を数冊読んだ程度では全く知識が足りていない。
そんな思考を遮るように、俺の着地に合わせて切り込む傭兵が一人。
「おらぁぁぁ!」
バトルアックスで俺の足へと狙い定める渋い短髪のオッサンの一撃をサーベルで受け止める。
それに続くようにもう「何度目だよ」と言いたくなる顔馴染みの隊長さんが大剣を振り下ろす。
力任せにサーベルで大斧を弾き飛ばし、左の拳でグレートソードを迎撃する。
石と金属がぶつかるような音が鳴り、追撃の回し蹴りで隊長さんを吹き飛ばすが……当たる前に後ろに飛ばれているのでダメージは少ないだろう。
吹き飛ぶ隊長さんを足蹴にして飛び上がったのは何時ぞやのワイルド系金髪美女。
その手にはクロスボウがあり、またしても俺の目を狙ってボルトを放つ。
それを頭部で弾き、背後から振るわれた大槌を振り向き様に受け止める。
同時に大槌を掴み「まずは一人」とサーベルを引くも突き出されるはずの刃は防御へと回される。
俺はしっかりとその気配を捉えていた。
完全な死角から放たれたはずの精霊剣の一撃が止まる。
逆手に持ち替えたサーベルがその斬撃を受け止め、左手で掴む大槌を傭兵ごと放り投げると振り向き様の蹴りを使い手の男に放つ。
これをスレスレの際どい回避からカウンターを試みてくる使い手。
しかし遅すぎた反撃は空を切る。
攻撃の手が止まり、互いに睨み合う時間が訪れた。
あれだけ濃密な攻防なのにまだ序盤だというのだから実戦は恐ろしい。
初手の奇襲は失敗。
だが討伐部隊のカウンターも成功とは言えない。
両者が睨み合う中、いつもの隊長さんが老魔術師に話かける。
「爺さん、また火力上がったんじゃねぇか?」
「ほっほ……どれだけ歳を重ねても、研鑽は欠かさぬよ。それよりもオー坊。万全を期したつもりが無傷とは……こいつはちょっと割に合わんぞ」
よく生きとったな、と呆れ顔で隊長さんを見ている老魔術師。
この場に似つかわしくない和やかな雰囲気だが、当の爺さんは後ろにいる魔術師連中に向けて手を動かしている。
(ハンドサインと見て間違いない。こっちが言葉を理解していると思われなければ、そんな対策は取ってこない)
前回から時間が空いたのもだろうが、かなり綿密に計画を立てての討伐のようだ。
その証拠と言うべきか、大半の傭兵は戦闘に加わる気がないのか周囲を囲むように展開し始めている。
どうやら選り抜きの精鋭だけで戦い、他はサポートに徹する構えのようだ。
その判断は間違いなく正しい。
だが判断が正しいからといって勝てるとは限らない。
俺は大岩の上へと飛び退き、必殺の投石へと戦術を変更。
古来より投石は非常に強力な攻撃である。
火薬が登場するまではカタパルトを始めとする投石機が帝国にも存在していた。
「最も原始的な暴力を食らうがいい!」とサーベルを左手に持ち替え、岩の上に撒いていた瓦礫を手にする。
「爺さん!」
「オー坊は年寄使いが荒いのう」
その声はまるでこうなることを予想していたかのようだった。
杖を持っていない空いた手を上げ何かの合図を送る。
同時に俺は老魔術師目掛けて瓦礫を――投げることなく足場が崩れていく。
(岩がまるで砂のように!?)
足が沈み体勢を大きく崩す。
それでも腕の力だけで投げられたコンクリートの塊は狙い通りに向かっていくが、標的に近づくにつれ急激に勢いを失っていく。
そして杖を向けられた先でピタリと止まった。
(またあの網か!)
小さく舌打ちしつつ、ボロボロと崩れていく足場から逃れる。
着地と同時に精霊剣の使い手と大斧を持った傭兵の左右同時攻撃。
サーベルを左手に持ち替え精霊剣を受け止め、右の拳でバトルアックスを受け流し蹴りを見舞う。
そこに差し込まれる大槌が足の軌道を変え、致命打となるはずの一撃が軽傷となる。
しかしこれで終わりではない。
確かに捉えた背後からの足音。
尻尾による迎撃で飛び退く気配があったので追い払うことには成功したようだ。
その姿を確認するとワイルド系金髪美人さんが薄っすらと炎をまとうシミターを手に、こちらを睨みつけて舌打ちを一つ。
あの隊長さんは老魔術師の前に立っている。
(俺が投擲を行うならば護衛となるのはあのオッサンか……)
武器を考慮すれば妥当な判断だ。
だからこそ鬱陶しい。
強引に突破することもできなくはないが、相手の手札がわからない以上、それは無用なリスクとも思える。
増援の気配はなく、サポートに回る傭兵たちの動きもない。
ならば、俺のもう一つの武器を披露しよう。
どれだけ時間が経過しただろうか?
少なくとも体感では五時間は経っているはずだ。
命を懸けた戦闘――集中力を研ぎ澄ませた状態を長時間続ければ人間はどうなるか?
その疲労が如何程かなど考える必要などなく、根本的に体力が違う俺を相手にするには準備不足だったと言わざるを得ない。
俺が選択した戦術は持久戦。
多対一においてはむしろその選択をするのは向こう側だが、丸一日全力疾走が可能な化物相手にはその理屈は通じない。
守りを重視しつつ、決して相手を休ませない。
危ない橋を渡らず、ただ堅実に守り、そして攻め立てた。
少数精鋭の選択は確かに正しい――ただ数が少なすぎたのだ。
その結果がここにある。
誰もが息を切らし、明らかに勢いが削がれた攻勢。
最早魔術が飛んでくることが稀となった戦場を一体誰が責めることができるだろう?
真っ先に戦線を離脱することになった魔術師の自衛能力は皆無に等しく、それを守るために傭兵たちは消耗を強いられる。
後方で控える有象無象と交代し、体力を回復させようにもそんな連中に時間稼ぎができるはずもなく、ただただ屍を増やすばかりであり、遂には逃亡する者まで現れる始末。
それでも彼らは戦い続けた。
決して引かないというその意思を俺は利用し、この状況を作り出したと言ってもよい。
彼らの敗因を一つ挙げるとするならば「攻めきれなかったこと」この一言に尽きる。
(頃合だな)
俺は前に立つ彼らを称えながら幕引きを決断する。
討伐部隊にこれ以上のカードはない。
そう判断した上で終わらせにかかるが、それでも優先順位はしっかりと守る。
最後に何かしでかすとするならば魔術師。
故に完全に魔力が底をつき、杖で辛うじて立っているだけの老人でも狙う。
前に立つ隊長さんを大剣ごと殴り飛ばし、斬りかかってくる使い手を精霊剣ごとサーベルで吹き飛ばす。
俺を見上げる息を切らせた老人。
サーベルを手にした腕が振り上げられる。
そして俺は命を刈り取る一撃を振り下ろすことなく、老魔術師の動きに合わせて回避を選択する。
突き出された杖――それは正に光の槍と呼ぶに相応しく、老人が放つには鋭すぎる一撃が空振りに終わっていた。
(それはもう知っている)
前にも見た魔術師の最後の足掻き。
その鋭さは前回と比べ物にならないが、今の俺の反応速度も前とは違う。
「これを、避けるか……」
老魔術師が呟き、爆発したかのように壊れた杖の先端が震えて落ちると、残った棒きれに縋り付くように老人は崩れ落ちた。
後ろへと引いた足を戻し、再び剣の間合いに入る。
終わりだ――そう確信を得ての一撃。
これで厄介な魔術師を排除できたと俺は一瞬気を抜いてしまった。
閃光が見えた。
一筋の光が俺のサーベルを持つ手を撃ち抜いていた。
完全に意識の外からの介入に、俺は音を立てて地面に転がるサーベルなどそっちのけでそちらへと振り返る。
そこに見えた人影――木の枝の上で弓を構えるある特徴を持った人間。
「……エルフ、だと?」
驚愕のあまり思わず声が出る。
討伐には消極的だったはずの彼らが何故、という疑問はエルフ内の政争を思い出しどこが協力しているかの当たりを付けることで吞み込んだ。
今言えることは唯一つ、どうやら決着はまだ先のようだ。




