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(´・ω・`)毛玉の抜け毛の季節は掃除の頻度も高くなる。
先手を譲って様子を見る。
そのような意図はなかったが、こちらを見ても動じることなく攻撃を開始したこの大猿が何であるかを知るため、反撃に転じなかったことは失敗だったと言う外ない。
「キィェヤァァァァァ!」
金切声とまでは言わないが、終始叫びながらサーベルを振り回すこの猿を見ていて思うことは唯一つ。
「薬物中毒者が刃物を振り回している現場に遭遇した気分だ」である。
取り敢えず斬撃を回避しながら「おい」とか「話を聞け」など声をかけてみたが反応はなし。
となればこいつはただのモンスターか既に人としての理性を失った被験者ということになる。
後者であればある意味では最高だったのが、幾ら何でもこの大猿の戦闘能力ではその可能性は低いと言わざるを得ない。
「アアアアアァァァァァッ!」
何度振るってもかすりもしないことに苛立ったのか、大猿は空に向かって吠えた。
地形の悪さ故に戦いにくいのは確かだが、この程度ではハンデにすらならない。
しかし手を抜いてやるほどお人好しでもないので、背負ったリュックに手を伸ばし、得物が入ったケースを抜き放つ。
そして丁寧に箱の中からサーベルを取り出すと、その切っ先を突きつけるように片手を前に出す。
もう片方の手にはケースが握られたままだが、こいつ相手にならば右手一本でも十分である。
俺が自分と同じ武器を取り出したことで猿が狼狽し始めた。
わかりやすいほどに狼狽えており、小さな唸り声を上げながら一歩二歩と後ずさり。
しかしその慎重さか臆病さかわからぬ正解を選択することはなく、大猿は奇声を上げて飛び掛かってきた。
体重を乗せた荒々しい一撃を横に躱すと同時に切り上げる。
狙い通りに猿の腕が宙を舞い、切断面から血を撒き散らかす大猿が「ゲヒィ!」と悲鳴を上げて逃走しようと試みる。
当然それを俺が許すはずもなく、切り上げたサーベルを振り下ろし背を向けて走り出した足を狙う。
左の足首を斬られ、転倒するや否や斜面を転げ落ちていく。
そこに跳躍一つで追いつき、転がる猿を蹴り止め――逆手に持ったサーベルをその心臓に突き立てた。
血を吐き出しながら抵抗を見せたが、肘から先のない腕では何もできず、ただ俺の体を僅かに赤で染めると大猿は息絶えた。
「わかっていたが……弱すぎるな」
サーベルを引き抜き、まずは戦利品の回収に向かう。
必要というわけではないが、予備の武器が手に入るのは非常に有難い。
問題があるとすれば、手入れが一切されておらず、肉眼でも欠けや歪みが確認できてしまったことだ。
どうやら短くない期間使用されていたと思われるほどに、大猿が持っていたサーベルは状態が悪かった。
(このままでは予備として使うのも難しいな)
俺は一つ溜息を吐くと、付着した血を拭ったサーベルをケースに納め、ボロボロの方を手に大猿の死体へと近づいた。
自分の中では結論は出ているのだが、確認はしなくてはならない。
何処かの部位を切り取ろうかと思ったが、斜面に横たわる死体の傍には切り捨てられた腕が一本転がっていた。
なので「こっちで良いか」と拾った腕に歯を突き立てる。
生臭い血の匂いと肉の感触――嚙み切ってなお変化はない。
「まあ、そうだろうな」
血と共に肉を吐き出し息を吐く。
期待はしていなかったので気落ちはしないはずなのだが、やはり少しばかり気分は重い。
なので別の方向から考えよう。
(この猿が被験者ではないことは間違いない。そして、このサーベルが帝国の技術で作られた物であることもそのはずだ。ならばこの大猿は一体何処でこれを手に入れた?)
普通に考えるのであれば、遺伝子強化兵用のこの武器を手に入れた経緯は「帝国の施設跡で発見した」となる。
ではその「施設」とは何か?
遺伝子強化兵に関連する施設となれば、それはもう研究所か被験者を保存していた場所しかないだろう。
「つまり、この大猿の活動範囲内に施設が存在している?」
そしてそれが誰を保存していたのかまで想像できてしまう。
「エンペラー」と呼称された彼は恐らくこの周囲にある施設から出てきたのだ。
即ち、入口が開いたことで別の何かが侵入できるようになった。
「……なんか思った以上に正解くさいぞ?」
そこまで推理して出てきた言葉がこれなのだから、もう少し自分を信じてやっても良い気がする。
自分以外の家族がハイスペックすぎて過小評価になりがちだが、一応凡人と呼べるくらいの能力は持ち合わせていたはずだ。
ならば偶には正解を引き当てたっておかしくはない。
と言うより現在得ている情報から推測すると難易度はかなり低い気もしてきた。
ともあれ、この帝国製の遺伝子強化兵用サーベルがここにある以上、そう遠くない場所に施設があることはほぼ確定。
この情報は非常に有益である。
温泉を探しに来たらこんなものが手に入るのだから、今回の思い切った移動は正解だったと確信を持って言える。
後はどうやってその施設を見つけるかだが……こればかりは地道な探索以外に手はない。
幸いまだ日が沈むには時間がある。
この勢いが衰えぬうちにこの周辺を探してみることにしよう。
そんな感じで一時間ほど望遠能力を活用しつつ森の中や山肌を見ていた。
「まさかこんなにあっさり見つかるとはなぁ……」
それが研究施設かどうかは不明だが、森の中に――と言うより山の麓の辺りに形を残した建造物らしきものを発見し、現在そちらに向かっている。
生態系の違いから少々俺が走るには不向きとなっているため、荷物に気を遣いながら進んでいく。
そして辿り着いた目的地を前に思わず呟いてしまう。
「ええ……どういうこと?」
明らかに人の手によってカモフラージュされた入り口前。
自然が不自然に集まって隠された人工物を前に俺は首を傾げる。
ここから出てきた人物が隠したと考えるのが一番納得の行く答えなのだが、それだとあのサーベルを持つ大猿がいるのはおかしい。
しばしその場で熟考するが、そんなことより入ってみればわかることだ、と思い至り入り口前の植物を除けていく。
そして両開きの扉を開けて潜るように中にへと入る。
「……誰かいるのか?」
明らかに人の手が入っていなければおかしいほどに内部は奇麗だった。
浸食していた植物が取り払われているらしく、床や壁の材質がはっきりと見える。
体を低くしながら中を進み、地下へと続く道を探す。
その過程でわかったことが一つある。
奇麗になっているのは僅かであり、既に外壁が崩れているような場所は放置されたままとなっている。
逆に無事な箇所や一部の通路だけは植物が取り除かれている。
(まるで必要な部分だけを掃除しているように思える)
何者かがここを根城にしている?
だとしたら誰が?
その疑問に答えを得るべく俺は進む。
それは直ぐに見つかった。
地下へと続くであろう昇降機――遺伝子強化計画の被験者でも乗ることが可能な大型のものだ。
扉の前は奇麗に掃除されており、俺は思わずボタンを押して籠を呼ぼうとする。
「何をしているのやら」と苦笑した俺の耳に確かにその音は聞こえてきた。
「……動くのか?」
音は徐々にこちらに近づいてきており、それがほぼ同じ高さとなったところで止まり、昇降機の扉が開いた。
その光景を前に、俺は乗ることを忘れてただ茫然と立ち尽くしていた。
閉まりかけた扉に手を挟み、再び開いた隙に明かりのない昇降機に乗り込んだ。
ただ無言で最下層と思われるボタンを押し、扉が閉まると籠が動き出した。
時間にして一分足らず……目の前の扉が開き、俺は外へと出ると周囲を見渡す。
見上げた天井に明かりはない。
だが、何処に何があるかくらいは見えている。
ゲート――俺の視線の先では、今まさに音を立てて動き出そうとしている大きな壁がある。
そこから光が漏れ始め、この暗い空間を照らし始める。
そして左右に割れるようにゆっくりと動くゲートの隙間に影が差した。
「おかえり。まさか君がここに戻って来るとは思わな……誰だ、君は?」
開閉をしているゲートからひょっこり現れた白衣の男が訝しげに俺に尋ねた。




