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(´・ω・`)脱衣所の足ふきマットを占拠する毛玉が危なっかしくて仕方ない。
去って行く剣聖の背中が見えなくなり屋敷へと戻ることになった。
道中腕に付いた傷跡を6号さんが興味深く観察していたが、屋敷に戻る頃には痕すらなくなっていたのだからこの体の治癒能力の高さには驚かされる。
だがそれをじっくりと見られたことは失敗だった。
じろじろと見る6号さんが可愛くて注意し損ねた。
布でもいいから何かを巻いて隠しておくべきだったが、治ってしまっては時既に遅し。
エルフに俺の治癒能力が知られ、さっきの一戦の気合が無意味だったことがバレてしまう。
「まあ、そこまで細かく考える必要はないか」と恥ずかしい失敗は極力考えないようにして、今回の件をどう埋め合わせてくれるかを期待する。
向こう側から言ってくれるのであればよいが、そうでないなら何処まで要求できるか考える必要がある。
(相手が相手なだけにファイトマネーを安く済ませる、ってのは難しい。エルフの里最強みたいだし、下手な要求はできないんだよなぁ……)
安ければ軽んじたと見られ、高ければ当然いい顔はされない。
また高く設定すれば、それだけ俺が命の危険を感じたと取られることになるが、それだと先ほどのやり取りと食い違いが発生し、彼らを騙そうとしたと捉えられかねない。
丁度良い塩梅が求められる案件であるが故に、向こうから切り出して欲しいところである。
そう思っていたのだが、特に何か言われることなく屋敷に戻ってきたのだから、俺としては大変居心地が悪い状態である。
どうしたものかとうんうん唸っていたところに6号さんが手荷物を持ってやってきた。
「これから子供達と川へ行きますが、ご一緒にどうですか?」
川イベント――満を持して登場。
俺の悩みは一先ず何処かへと飛んで行く。
さあ、夢にまで見た至近距離での6号さん劇場が始まりを告げる。
そう思っていたのだが、6号さんの他に大人の女性エルフがいる。
「メリアーレ」と申します、と優雅に一礼をしたスレンダータイプの女性はそれっきり俺とは話さず仕舞い。
どうやらこの2号さんは至って普通のエルフのようだ。
なので不用意にかかわろうとはせず、俺は道中ずっと子供の相手をしながらのっしのっしと歩いていた。
(うん、これ座学のパターンだ)
川で何度も観察していたので、これが野外学習のパターンだとわかった。
女性陣の手荷物も普段より多く、そこに教材があることは予想ができる。
ちなみに俺の拠点での用事は男衆の準備が完了してから、とのことで数日を要するかもしれないのだそうだ。
「ならばチャンスはまだあるはずだ」と下がったテンションを平常に戻す。
取り敢えず、俺にまとわりついて登ったり尻尾に吊るされたりしてはしゃいでいるガキ共を軽くあしらいながらも川へと到着。
曲げた尻尾の上に座る幼女を地面に下ろし、肩の上で仁王立ちするアホを摘まんで落とす。
自然を利用した青空教室では子供達が丁度良いサイズの石を椅子の代わりにし、全員が席についたところで二人が授業を開始する。
遊びたい盛りの子供達は不平を口にこそするものの、無駄とわかっているので黙って授業を受ける。
そんなわけで始まったわけだが、今回は俺というゲストがいる。
なのでこれまでのおさらいを軽く行うことになった。
その内容を簡単にまとめると大体このような感じになる。
・自然の広大さと尊さ、そのサイクル
・エルフもまた上記の一部に含まれることを決して忘れてはならない
・植物学(主に食用や薬に使われる効能について)
この三種が主だったものだ。
残念ながら魔法に関する話はないらしく、少々退屈ではあったものの、ここらで採れる食用可能な植物の話は素直に聞いていた。
ただ、この辺りで採れるものの中には味に優れるものはないとのことで、少しばかりがっかりする。
話の途中、悪ガキの一人が「こいつはー?」とモンスターである俺を自然の一部とするか否かを質問していた。
取り敢えず態度が気に食わないので尻尾で頭をペチコンしておいた。
「モンスターも自然の一部よ。でも、彼らの生態については私達はあまりにも知らなさすぎる。わかっていることが少なすぎて、仲良くすることがとても難しいの」
だから無暗に接触してはいけない、という結論で締めた。
これは6号さんのセリフだが、まさか自然調和委員会に所属する彼女からこんなまともな意見が聞けるとは思わなかった。
どうやら彼女は組織の中ではかなり現実的な主義主張をお持ちのようだ。
(ふむ……だからこそ、俺のような会話が成立するモンスターとの繋がりを大事にするのかね)
ともあれ「俺のようなモンスターがいるから状況は好転する」と無条件に思われていないことがわかったのは僥倖だ。
その後、授業が終わって川で遊ぼうとする子供達(主に男子)を宥めたり叱ったりする6号さんを見ながらハプニングに備えるも、水場に近づかなかったために何も起こらず、悪ガキ共の目論見はあっさりと打ち砕かれた。
勿論俺の期待も見事に外れた。
しかし明日があるので今日のところは大人しく引き下がる。
帰りは俺で遊ぼうとする子供から避けるように6号さんに近づく。
思った通り悪ガキ共は6号さんの手がすぐに届く範囲には入らず、俺にちょっかいをかけることができなくなっている。
真面目な先生を前にしては無茶な行動はできまい、とする俺の作戦勝ちである。
「あまり無警戒になられても困る」と書いたメモを見せると6号さんが楽しそうに笑う。
「授業の方はいかがでしたか?」
彼女の問いに「食用の植物は有益な情報だった」とだけ返す。
如何せん俺が持ってる本は地域ごとの区分が古すぎて扱いにくい。
その点、今回の実物を用意しての説明は大変わかりやすく、また食用に適した部位やその採取法は実に「ためになった」と言って良い。
味にはあまり期待できないようなので、今後食生活が改善されるかどうかはさておき、少なくとも食材が増えることは好ましい。
そんな感じの帰り道が終わり、子供達と別れて屋敷に戻った時には出かける前にはなかったものがあった。
(……馬小屋?)
いや、大きさは兎も角馬房と呼ぶには明らかに雑すぎる。
ただ屋根と側壁があるだけの何か。
「ここで寝ろ」ということなのだろうが、あまりにも御粗末な出来という外ない。
まあ、あの短時間で作ったものなのでケチをつける気はないが、もうちょっとやりようはなかったのかと思わなくもない。
数日しか使わないことを鑑みればコストをかけるのも馬鹿らしい。
つまり、この出来栄えが一般的なエルフにとっての俺の価値でもある。
念のために確認を取ってみたが、やはり俺の寝床として作られたものらしい。
(……藁を敷いて寝ろと申すか)
俺の拠点のベッドとは比べるまでもなく貧相である。
備え付けられた藁の上に座ってみるが、この重量とカチカチボディを受け止めるには残念ながら不足している。
なので増量を希望したところ、今ある分で全部らしい。
どうもここは家畜が非常に少なく、出せる分があれだけなのだそうだ。
やることもなく、寝床に入ってぼーっとする。
だがそれが擬態であり、実際は神経を研ぎ澄ませて屋敷の中の会話を盗み聞き。
そこでわかったことが一つある。
どうやら俺の拠点へ向かうのは明後日になるようだ。
用意自体は明日の間に完了するとのことだが、恐らくは時間的な都合で翌日に見送ることにしたのだろう。
つまり明日こそ6号さん劇場に参加できるというわけだ。
小学校の遠足みたいに今晩楽しみで眠れなくなりそうである。
とは言え、寝るにはまだお日様が真上に来た辺りと早すぎる。
出された昼食を食べながら暇を持て余していたところ、6号さんがやってくる。
用件を尋ねたところ「魔法を教えると約束してましたよ」と返ってきた。
明日のことばかり考えていたせいで思考から抜けて落ちていたことを反省。
あの剣聖の爺さんとの一件も考えなくてはならないし、存外モンスターになっても悩みの種は尽きないものだと心の中で苦笑する。
(だが、念願の魔法が目の前にある。今はこっちに集中だ)
上手く行けば俺は更なる力を手に入れる。
魔法で戦闘ができるようになれるとまではいかなくとも、生活環境の改善には間違いなくなるはずだ。
おまけ
暴食のキメラ
生物兵器を作ろうとして失敗した人の業を書いた物語。食った相手の能力を取り込む狼に似た獣を作り出し、様々な動物やモンスターを食わせ続けた挙句制御不能に陥る。その暴走は21日続き、多大なる犠牲を払った後、自壊という結末で終わりを迎える。「暴食のキメラ」自体は作り話だが、元となった実話が存在しており、その件についてはエルフが禁忌としてこの世から抹消している。
余談だがこの「暴食」の他に「強欲のゴブリン」を始めとする七罪を冠する御伽噺が存在する。命名はやっぱり転生者。




