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瘴気

部屋の片付けを諦めた私は、ダイニングテーブルを挟んでメルヴィンの向かいに座る。

頬杖をついたままのメルヴィンを見つめながら、私はゆっくりと口を開いた。


「この集落には森に捨てられた人たちが暮らしていたの……」

「つまり、罪人たちの集落というわけだね?」

「ええ」

「魔物が襲いに来たりは?」

「魔物除けの魔導具が集落を囲むように設置してあるのよ。それに、なぜかこの辺りは瘴気が薄くて……」


廃棄の森には『瘴気』と呼ばれる人体に害を及ぼすものが漂っている。

運よく魔物から(のが)れても、瘴気を吸い込むことによって罪人は死を迎える……はずだった。


私は十年前の記憶を辿(たど)りながらメルヴィンに語り始める。


森の廃棄場に捨てられていた私を偶然マーサが見つけ、この場所に連れてきてくれたこと。

おそらく、廃棄の森に捨てられた罪人全員がこの集落で暮らしていたわけではなく、中には魔物に襲われたり瘴気を吸い込んで死んでしまった者もいるのだろうと。


「きっと私は運がよかったのね……」


だが、ここ数年の内に三人の住人が相次いで亡くなり、今はこの集落に私一人が暮らしているとメルヴィンに告げる。


「この集落はいつ作られたの?」

「それは私にもわからないの。私が来た時にはすでに集落(ここ)があったから……。でも、元々は獣人族が暮らしていたっていう話は聞いたことがあるわ。そこに罪人が偶然流れついて、獣人たちが去ったあともそのまま暮らし続けてたって」

「じゃあ罪人たちが一から作った集落じゃないんだね」

「そうみたい」


そこまで話終えると、私は軽く息を吐き出す。

次にメルヴィンから聞かれるであろうことが予想できたから。


「ソフィはどうしてこの森にいるの?」

「それは………」


自然と俯き、膝の上に載せた手を固く握りしめる。


メルヴィンのような特殊な事情を除き、この森に捨てられた人間は全て罪人である。

私も何らかの罪を犯したのだと、彼はとっくに理解しているはずだ。

 

(何て言おう……)


どう誤魔化そうかと考え……誤魔化したところで私の過去は何も変わらないのにと、自嘲めいた気分になる。


それでも何か言わなければと視線を上げると、目の前のメルヴィンがなぜかテーブルに突っ伏していた。


「え?」


メルヴィンの荒い呼吸の音が聞こえ、私は慌てて椅子から立ち上がる。


「どうしたの!?」

「んー……なんだか急に目眩(めまい)が……」

「目眩? 気分は?」

「気持ち悪くて……吐きそ……」


メルヴィンの顔を覗き込むと、ただでさえ白い肌が青ざめて唇の色まで悪くなっている。

そんなメルヴィンの症状に私は心当たりがあった。


「ねぇ、廃棄場にどれくらいいたの?」

「廃棄場?」

「あの木箱が置かれていた場所よ」

「んー、眠らされていたから……よくわかんないや」


そう答えたあと、メルヴィンは苦しそうに顔を歪める。


(きっと瘴気を吸い込み過ぎたのね)


集落(ここ)と違って廃棄場は瘴気が濃く、そんな場所に長く留まっていたせいで中毒症状に陥ってしまったのだろう。


ぐったりしたままのメルヴィンを立ち上がらせ、身体を支えながらなんとか寝室まで連れていく。

そのままベッドにメルヴィンを寝かせると、私は二軒隣の家へ向かった。


かつて、その家には元医者のコーディが暮らしていた。

彼が調合した薬は今でも保管されており、自身が死んだ後は好きに使ってくれとコーディは遺言を残している。


(瘴気中毒には、これと……あと、これも)


私は必要な薬を選び取り、再びメルヴィンの待つ自身の家に戻る。


「この薬を飲んで」

「えー……僕、粉薬って苦手なんだよね」

「ワガママ言ってる場合じゃないでしょ? これを飲めば楽になるはずだから」


文句を言うメルヴィンの上半身を起こし、水の入ったグラスと薬を押し付けた。


「……飲まなきゃダメ?」


潤んだ瞳が私を見上げる。


「ぐっ……そんな顔してもダメよ」

「わかったよ」


渋々といった態度で薬を口に入れ、それを水で流し込むメルヴィン。


「うえっ! (にが)っ!」

「全部しっかり飲んで!」

「うぇぇぇ無理ぃぃぃ!」

「こらっ! ちゃんと飲み込みなさい!」


これではどちらが年上なのかわからない。


嫌がるメルヴィンを叱咤し、なんとか薬を全て飲ませる。

すると、その琥珀色の瞳が私に向けられた。


「ねぇ、どうしてこんなに僕の面倒をみてくれるの?」


今更過ぎる問いかけに、私は溜息混じりに答える。


「拾ったからにはちゃんと面倒をみるのは当たり前のことでしょ?」

「あはははっ! さすが飼い主サマだね」


青白い顔のままメルヴィンは心底愉快そうな声を上げる。


「いいから、今日はこのまま早く寝て。明日もこの薬を飲んでもらうから」

「はぁぁ……こんな時に聖女サマの治癒魔法があればなぁ。苦い薬を飲まなくてもパパッと治してもらえるのに」

「…………」


メルヴィンの言葉に私は思わず動きを止める。


「ソフィ?」

「何でもないわ。おやすみなさい」


慌てて笑顔を作り、そのまま寝室を出て後ろ手で扉をバタンと閉めた。


バクバクと音を立てる心臓を宥めるように右手で胸元をぎゅっと押さえると、私は洗面所へ移動して鏡の前に立つ。

そこには、長く伸びた栗色の髪にアメジストのような薄紫色の瞳を持つ自身の顔が映っている。


(変に思われなかったかな……?)


メルヴィンの口から聖女の話題が出て、つい不自然な反応をしてしまった。

私は自身の(うなじ)に刻まれた『聖女の証』が髪で隠れていることを鏡で確認する。


(大丈夫よね……?)


この森でソフィアと呼ばれるようになり、まがいものの聖女だった過去をマーサたちから掘り返されることはなかった。

それは、マーサたちにも廃棄の森に追放された事情があり、過去に傷を持つ者同士の仲間意識のようなものがあったからだ。


だけど、メルヴィンは違う。


彼が罪人ではないのだとしたら、私の過去を知ったメルヴィンがどんな反応をするのか……それがどうしようもなく怖かった。


深い溜息を吐いたあと、私は小さく呟く。


「しばらく髪は結べないわね」



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