幸せの形
バルコニーに繋がる巨大な窓が派手な音を立てて割れる。
そして、ホールに飛び込んできたのは巨大なグリフォンだった。
「きゃああああああ!」
「どうして魔物が!?」
「逃げろっ! いいから早く!!」
一瞬でパニックとなり、扉へ向かって走り出す貴族たち。
それはメルヴィンが乱入し、ゴーレムを作り出した時の比ではなかった。
国王を含む王族たちもまた、近衛騎士に誘導され王族専用の出入り口へと急ぐ。
魔術師団員たちはそれぞれが攻撃体勢に入るも、グリフォンが甲高い鳴き声を上げて威嚇すると、途端に恐怖に顔を引き攣らせた。
そして、グリフォンはぐるりと旋回した後、私の目の前に降り立つ。
メルヴィンはその場から動かないまま防御魔法を解除した。
そんなメルヴィンの行動で、彼が目の前のグリフォンを敵だと見做していないことを理解する。
(もしかして……?)
グリフォンがホールの窓をぶち破る直前、耳に届いた鳴き声は廃棄の森で聞き慣れたものだった。
しかし、私の知っているグリフォンのピィちゃんは、ちょうど私が両手で抱えられるサイズだったので、ゴーレムと変わらない巨大な姿に困惑してしまう。
だけど、やっぱりその鳴き声も姿も懐かしさを感じさせるもので……。
「ピィちゃんなの?」
「ピィピィィィィ!!!」
おそるおそる問いかけると、巨大グリフォンは嬉しそうに羽根をバサバサと羽ばたかせ、ドスドスと足踏みをしてみせる。
「やっぱりそうなのね!」
それは、嬉しい時に見せるピィちゃんの動きそのままだった。
「それにしても……」
廃棄の森を離れて数ヶ月でこんなにも大きくなるなんて……。
「成長期……なのかしら?」
すると、なぜか私の隣でメルヴィンが吹き出した。
「あはははっ! 違う違う。ピィ先輩は巨大化できるのを隠し……痛っ!」
「まあ! ムィちゃんにミィちゃん……みんな来てくれたの?」
気づけは私とメルヴィンの足元にはペットだった聖獣たちが勢揃いしている。
ただ、ムィちゃんだけはメルヴィンの左手に齧りつき、それを引き剥がそうとするメルヴィンとの小競り合いが始まったのだが……。
「この魔物たちは何なのだ!?」
そこへエイブラムの怒鳴り声が響いた。
ホールから皆が逃げ出す中、メルヴィンの作り出したゴーレムの腕に捕らえられたエイブラムは、その場から動けないままだったのだ。
しかし、エイブラムの表情を見るに、怒りの感情というよりは恐怖を誤魔化すために怒鳴っているように感じた。
「魔物じゃなくて聖獣だよ」
ムィちゃんをなんとか引き剥がしたメルヴィンが答える。
「聖獣……?」
「廃棄の森でソフィが無事に生き延びたのは、女神の眷属である聖獣たちに守られていたからなんだ。そして、聖獣たちはソフィの意志を最優先する」
メルヴィンは廃棄の森の集落の存在を明かすつもりはなさそうだ。
それには私も賛成だった。
国に集落の存在を知られていいことは何もないだろう。
だけど、聖獣たちが私の意志を最優先するという意味がわからない。
そんな考えが私の顔に出てしまっていたのだろうか、メルヴィンは私に向き直ると、再び口を開いた。
「さっき、ソフィが『この国を出ていきたい』って言ったでしょ?」
「あ……」
この国に見切りをつけた私が、王族に向けて放った言葉……。
「まさか、それでみんなが迎えにきてくれたの……?」
「そうだよ」
「でも、結界は……?」
「聖獣たちにとって結界なんて足止めにもならないよ」
マーサさんが亡くなって集落に一人きりになった時、寂しいと独り言を呟いてしまうことがあった。
すると、聖獣たちが私の前に現れて、そのままペットとして一緒に暮らしていくようになったのだ。
(そっかぁ……)
私の寂しさを癒すために側にいてくれた。
その事実がとても嬉しい。
「本当は先輩たちに頼りたくなかったんだけどね。こんな状況になっちゃったし、どうせ来るならそのまま手伝ってもらおうと思って」
「手伝う?」
「うん。この国を出て、僕と一緒に他の国を見て回るんでしょ?」
琥珀色の瞳が柔らかく細められ、私はメルヴィンとの約束を思い出す。
そうだ。
私はもう未来を諦めなくていい。
「うん!」
迷いなく返事をすると、メルヴィンが私に手を差し出した。
その手を掴むと風がぶわりと巻き起こり、私とメルヴィンの身体がゆっくりと浮上していく。
「わっ!」
「大丈夫。じっとしてて」
そのままメルヴィンの魔法によって運ばれ、私たちはピィちゃんの背に着地する。
「さすがに空を飛び続けていたら僕でも魔力が切れちゃうからね。ここはピィ先輩に甘えさせてもらおうかな」
「ピィちゃん。私とメルヴィンを運んでくれる?」
私の言葉にピィちゃんは鳴き声で返事をし、翼をゆっくりと羽ばたかせた。
「それじゃあ、後は任せたよ!」
メルヴィンが下を覗き込みながら、誰かに向けて手を振っている。
見ると、クローディアが銀の箱型魔導具を抱えたまま、静かに一礼をしていた。
神殿の内通者であるはずのクローディアとメルヴィンのやり取りに違和感を覚える。
だが、疑問を口にするより先にエイブラムの悲壮な声が……。
「待て! 待ってくれ! ファムラーシル様! 我々には聖女が必要なのです! どうか聖女を再び我らのもとへ! ファムラーシル様ぁぁぁ!!」
女神の眷属である聖獣たちに向けて、縋るように叫び続けるエイブラム。
この願いが女神に届くのかはわからない。
「…………」
私はもう何も答えることなく、エイブラムから目を離し、前だけを見つめるのだった。
◇
「あはははっ! こんな高さから落ちたらひとたまりもないね」
「ちょっとメルヴィン! 怖いこと言わないで!」
ピィちゃんの背に乗って、王城のホールから無事に脱出した私とメルヴィン。
そのまま手ぶらで他国へ……とは、さすがに現実的ではなく、とりあえず廃棄の森の集落へ向かうことに決めた。
「怖いならもっと僕にくっついてくれていいよ?」
「だ、大丈夫だから!」
現在、ピィちゃんの背中の上で、後ろからメルヴィンに抱きかかえられるような体勢で座っている。
あまりの風の強さと寒さから身を守ろうと、メルヴィンが防御魔法を展開してくれているからだ。
おかげで風の影響は受けなくなったが、廃棄の森までしばらく飛び続けなければならないため、少しでもメルヴィンの魔力消費を抑えようと防御範囲を狭くする……つまり、なるべくくっついている状況なのだ。
(これ以上くっつくなんて……)
正直、今でもいっぱいいっぱいなのに……。
私は少し話を逸らそうと、メルヴィンに気になっていたことを聞いてみる。
「ねぇ、クローディアさんのことなんだけど……。やっぱり神殿と何か関係があったのかな?」
「ああ。彼女が内通者だよ」
あっさりと認めるメルヴィン。
「え? でも、さっき『後は任せた』って……」
「うん。クローディアにも何か事情があったみたい。だけど、最後は僕の味方になってくれたんだよ」
メルヴィンの話によると、クローディアはメルヴィンを脱獄させるための協力者を募り、さらにサイラスやクライドへの連絡係も務めたのだという。
クライドが無茶な理由で魔術師団員を呼び出し、警備が手薄になったところで協力者がメルヴィンを牢から連れ出す。
そして、ホールに乱入したメルヴィンは『まがいものの聖女』の正体と『聖女の治癒魔法』の危険性を長々と語り、その一部始終をクローディアが魔導具を使って王都の民へ聞かせたのだ。
王家が圧力をかけ、貴族たちが口を噤み、今回の出来事が隠蔽されてしまわないように。
「まさかクライド殿下まで協力してくれたなんて……」
王家の威信が崩れ去るかもしれない出来事に、なぜ協力をしてくれたのか。
「新たな聖女が生まれていないとなれば、国の方針を転換する必要がある。それを一番わかっているのはクライド殿下だろうからね」
聖女の治癒魔法だけを妄信していれば自身の命はなかった。
たしかに、その恐ろしさを身を持って知っているのはクライドだ。
それに、建国以来続く慣習を変えようとするならば、よほどの理由が必要になる。
「そうそう、オスカー副団長からソフィに伝言を預かってるんだ」
「オスカー副団長?」
「あれ? 知らない? 第二近衛騎士団の副団長でクライド殿下の護衛をしてた……」
メルヴィンから外見の特徴を聞き、オスカーがクライドの護衛をしていた赤髪の騎士だと判明する。
だが、クライドの治療の際に顔を合わせることはあっても会話をした記憶はなく……。
「どうして私に……?」
「なんかね『十年前、助け出せなかったことを今でも後悔している。申し訳なかった』って。『生きていてよかった。どうか幸せになってほしい』って言ってたよ」
メルヴィンの言葉に、私は十年前の記憶を探る。
そして、『まがいものの聖女』として牢に捕らえられた時、一人の騎士が私に会いにきてくれたことを思い出した。
生前のロードリックに頼まれ、私を救い出す手立てを探すと言ってくれたが、その騎士が再び姿を現すことはなく私は廃棄の森へと追放されてしまって……。
(たしか……赤髪だったわ)
その記憶に引っ張られるように、クライドの部屋にエイブラムが乗り込んできた時のことが脳裏に浮かぶ。
フードと眼鏡を外した私の顔を見て、驚いた表情をしていた騎士も赤髪だったような……。
「僕を牢から出してくれたのがオスカー副団長だったんだ」
「そうだったのね」
まさかの邂逅に驚きながらも、オスカーも十年前の出来事に苦しんでいたのではないかと思った。
メルヴィンを牢から連れ出し、私が自由を得たことで、オスカーの心の傷も癒えてほしいと願う。
「でも、副団長なのにメルヴィンを牢から出すなんて……大丈夫なのかしら?」
「そこはうまくやるんじゃない?」
「でも……」
「そんなことより、僕たち二人のことを考えてほしいなぁ」
拗ねた声で甘えるメルヴィン。
私は振り向くと、彼の頭をよしよしと撫でようとして手を止める。
メルヴィンと離れ、もう二度と会えないと絶望した時、私はひどく後悔したことを思い出したからだ。
だから、撫でるのではなく、思いきって彼の胸に飛び込むように抱きついた。
「え? え? ソフィ!? どうしたの?」
「………」
「あ、やっぱり高いから怖くなっちゃった?」
「ううん。怖くない」
「えっと……んー……もしかして、僕のことを好きになってくれてたり……」
私は彼の胸から離れ、ゆっくりと顔を上げる。
「返事が遅くなってごめんなさい。メルヴィンと離れてからようやく自分の気持ちに気づいたの」
じっと琥珀色の瞳を見つめると、メルヴィンがごくっと喉を鳴らす。
私の心臓もバクバクと音を立てている。
「大好きよ。メルヴィン」
「ほ、ほんとに?」
私がこくりと頷くと、今度はメルヴィンが私を抱き締めた。
「僕もソフィが大好きだよ!」
その言葉が嬉しくて嬉しくて、私の視界が涙で滲んでいく。
やっと言えた。
やっと伝えることができた。
もう、メルヴィンと離れたくない。あんな思いはしたくない。
「ソフィ……」
熱を帯びた声で名前を呼ばれ、私を抱き締めていた腕が離れる。
そして、肩に手が置かれると、メルヴィンの顔がどんどんと近づいてきて……。
「痛っ!」
唇が重なる寸前、ムィちゃんがメルヴィンの頬を叩く。
「ムィ先輩! 今めちゃくちゃいいところだったのに!」
抗議の声を上げ、小競り合いを始めるメルヴィンとムィちゃん。
そんなメルヴィンの頬に私は手を伸ばす。
「え?」
そのままメルヴィンの顔を引き寄せ、私から唇を重ねた。
「ふぇ?」
真っ赤な顔になるメルヴィン。
きっと私も同じように真っ赤な顔をしているのだろう。
「ふふっ。大好き」
これからあなたの側で、何度もあなたへの想いを告げる。
それが私の幸せ。
こうして、まがいものと呼ばれた聖女は過去から解放され、愛しい魔術師とともに未来を歩んでいくのだった。
これにて完結となります。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
感想やいいね、ブックマークなど大変励みになりました。
私事ですが、パートを始めてから初の長編投稿で、2日に1回投稿を続けられるか不安で不安で……。
無事に完結できたのも読んでくださった皆さまのおかげです。
本当にありがとうございました!
ちょっとだけ告知を……。
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ものすっごく美麗でテンポのよい作品になっておりますので、よろしくお願いします☆




