内通者の正体は
神殿での暮らしが始まる。
まず、エイブラムから指示されたのは『聖女教育』を受けることだった。
聖女教育とは、その名の通り聖女に必要な教養や振る舞いを身に着けるためのもの。
聖女に選ばれる者のほとんどが平民で、しかし治癒魔法を施す相手には貴族や王族が含まれる。
そのため、必要最低限の礼儀作法を学ばなければならなかった。
礼儀作法に関してはマーサさんによる指導のおかげか、すでに問題なく身についていると教師からお墨付きをもらう。
問題は、聖女の歴史を学ぶ授業だ。
過去の聖女たちがどれほど民から愛され、どのような活躍をし、いかに素晴らしい人生を送ったのか……。
まるで英雄譚のように語られるそれらを聞かされるだけのもの。
そんな聖女に選ばれた私は特別な存在なのだと、笑顔を浮かべた教師が何度も何度も口する。
(なるほどね……)
ようやく私はこの授業の意味を理解した。
ソウルバーク王国民にとって聖女とは誰もが憧れと尊敬の念を抱く特別な存在だ。
十年前、そんな『特別』になれたことを私はたしかに喜んでいた。
誰かに必要とされたい。
誰かに認められたい。
誰かに愛されたい。
自身の心に秘められていた欲求が満たされていく高揚感。
この聖女教育はそのような承認欲求をくすぐり、民が望む聖女……いや、神殿にとって都合の良い聖女を作り上げる目的があったのだろう。
もし、十年前に私がこの『聖女教育』を受けていたとしたら……。
神殿の思惑になんて気づかずに、さらに周囲から認められようと、乞われるがまま治癒魔法を使っていたのではないだろうか。
(まるで洗脳だわ……)
そう考えた時、ふとエイブラムの言葉を思い出す。
『実は、この者は魔塔主によって洗脳されているのです』
洗脳などという突拍子もない発想に私もクライドも驚いたが、神殿にとってそれが常套手段なのだとしたら……。
だからこそ、洗脳だなんて言葉が出てきたのではないだろうか。
だが、十年前ならいざ知らず、今さら耳障りのいい言葉をいくら並べられようとも、私の心が動かされることはなかった。
民のため、国のため……そう何度も繰り返されるたびに、私の心は冷えていく。
廃棄の森に追放されて十年……十年だ。
十年もの長い期間離れていれば、この国に対する愛着もとうに無くなり、神殿と王家に対しては不信感と恨みの感情しか残っていない。
(私が救いたいと願うのは、私が大切だと思う人だけ……)
私の頭を占めるのはメルヴィンのことばかり。
今はどこにいるのか、痛い目に遭わされていないか、怪我はしていないだろうか……。
次から次へと押し寄せる不安。
それと同時に、これからもずっと側にいるはずだったメルヴィンが、もう私の隣にはいないのだという事実をいまだに受け入れられないでいた。
(会いたい……メルヴィンに会いたい)
いつもみたいにふにゃふにゃ笑って、甘えるようにくっついて、差し出された彼の頭を優しく撫でて……。
日常の中で当たり前にあったメルヴィンとのじゃれ合いを、私は何度も何度も思い出す。
(だけど、会えない。もしかしたら……もう二度と会えないのかもしれない)
そう考えるだけで心が千々に乱れ、涙が次から次へと溢れて止まらなくなってしまう。
(どうして、こんなことになっちゃったんだろう?)
聖女なんかに選ばれなければ、もっと違う未来があったのかもしれない。
ほら、こんな私は聖女失格なんじゃないだろうか?
もう、いっそのこと私から聖女の能力を奪ってくれればいいのに。
そんなことをいくら考えても、私は変わらず聖女のままで……。
こうして、また夜が更けていく。
◇
「一週間後、王城のホールにて聖女様のお披露目の場が設けられることになりました。ついにソフィア様の存在が国中に認められるのです!」
王城のホールには王族はもちろん国中の貴族たちが集まり、盛大なお披露目パーティーが催されるらしい。
私の部屋のソファに座り、興奮気味に捲し立てるエイブラム。
だが、彼の向かいに座る私は、ただ静かにエイブラムの言葉に頷くのみ。
そんな私の態度をちらりと一瞥したあと、エイブラムは再び作ったような笑みを浮かべて口を開いた。
「そうそう、ソフィア様の他にもう一人……新たな魔塔主のお披露目が決まっておりまして」
「え?」
「本日は聖女様へご挨拶がしたいと……」
新たな魔塔主。
それはメルヴィンの後継となる者。
本来、魔塔主は指名制であるらしく、メルヴィンも前魔塔主からの指名で今の地位に就いたのだという。
だが、メルヴィンは次の魔塔主を指名する前に、神殿の罠にかかり捕縛されてしまった。
(一体誰が……?)
心の準備をする間もなく、エイブラムの合図で部屋に入ってきたのはまさかの人物だった。
「クローディアさん?」
「お久しぶりです。ソフィアさん……いえ、今は聖女様とお呼びしなければいけませんね」
いつもアップヘアにまとめられていた美しい銀の髪を下ろし、黒地に金の刺繍が施されたローブを纏うのは、間違いなくクローディアで……。
「クローディアさんが新しい魔塔主……?」
「ええ」
「じゃあ、メルヴィンがクローディアさんを指名したんですか?」
そこへエイブラムが口を挟む。
「残念ながら前魔塔主は罪人となってしまいましたのでね。そんな人物からの指名では示しがつかないだろうと思いまして、僭越ながら私が彼女を推薦させていただきました」
予想外の発言に、私は思わず息を呑んだ。
(そんな……まさか……)
そして、ひどく嫌な予感に、私の背筋に冷たいものが走る。
「彼女には、これまで前魔塔主の補佐として尽力してきた実績がありますからな。新たな魔塔主にぴったりだとは思いませんか?」
新たな魔塔主となったクローディアの主導で、これからは神殿と協力しながらクライド殿下の治療にあたること。
それ以外の分野でも、神殿は魔塔に協力を惜しまないとエイブラムは嬉々として話し続ける。
(神殿と魔塔が協力……やっぱりクローディアさんが内通者だったの?)
つまり、メルヴィンを亡き者にするため、彼を廃棄の森へ運ぶ計画に加担したということ。
(クローディアさんがメルヴィンを殺そうとした……)
それがどうにもしっくりこない。
『あの方なら魔術師団長としても歴史に名を残すほどの功績を上げていたでしょう。本当に、天才の名に相応しい……』
あの時、クローディアの表情に浮かんでいたメルヴィンへの強い憧憬が演技だとはとても思えなかったからだ。
(クローディアさん……どうして……?)
訳が分からないまま、私はただクローディアを見つめ続けることしかできなかった。
読んでいただきありがとうございます。
次回は10/24(金)に投稿予定です。
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