洗脳
「ち、違います! 私は……私はそんな名前じゃありません!」
私は懸命に声を張り上げ、エイブラムの言葉を否定する。
いや、恐怖で体は強張り、突然の出来事に頭の中は真っ白で、否定の言葉を叫ぶくらいしか私にできることはなかったのだ。
「おい、彼女の名はソフィアで、魔塔主メルヴィン・オーデンの弟子だと聞いているが?」
そこへクライドの怒りを孕んだ声が響く。
自身の許可なく寝室に乱入されただけでなく、騒ぎまで起こされたのだから当然だろう。
しかし、エイブラムは笑顔を崩すことなく、堂々たる態度のままクライドに向かって大仰に両手を広げてみせる。
「では、聖女である証拠をお見せいたしましょう!」
そう言って、いまだに床へ押さえつけられている私の髪にエイブラムが触れた。
「やめて! 触らないで!」
拒絶の言葉など意にも介さず、エイブラムは私の長い髪を束ねるように掴む。
「痛っ!」
「この髪飾りは邪魔だな」
今日の私は髪をハーフアップにし、メルヴィンから贈られた銀細工のバレッタを留めていた。
そのバレッタを無理矢理外され、再びエイブラムが私の髪を束ねるように掴んで持ち上げる。
首元に空気が触れる感覚で、私はエイブラムの意図を悟った。
「まさか……聖女の証か!?」
私の項に浮かぶ紋様が晒され、クライドが息を呑む。
「お分かりいただけましたかな? この者が聖女である疑いようのない証拠です」
「違います! これは聖女の証なんかじゃ……私は聖女じゃありません! お願い、離して!!」
嫌だ嫌だと首を振り、ただひたすら違うと声を上げ続ける。
そんな私の姿を見たクライドは、困惑したように再び口を開く。
「だが、彼女自身は違うと否定しているようだが?」
「それが大きな問題でして……。実は、この者は魔塔主によって洗脳されているのです」
「洗脳だなんて……! そんなことあり得ません!」
予想だにしなかったエイブラムの言葉に私は動揺する。
それはクライドも同じだったようで……。
「洗脳だと? どうして魔塔主がそのような真似を……」
「殿下も噂を耳にしたことはごさいませんか? 彼が開発した『魔力過多症』の医療用魔導具。その開発過程で故意に魔力暴走を引き起こそうとしたと……」
「ああ、たしかに耳にしたことはある。だが、魔力暴走は起こらなかったのだろう?」
「ええ。たしかに魔力暴走は未然に防がれました。そして医療用魔導具は完成し、多くの子供たちの命を救った……。しかし、問題は患者も周りをも巻き込む危険な行為に敢えて手を出したということ。あの男は自身の研究のため、好奇心を満たすためならば、どんなタブーも平気で破ってしまうのです」
エイブラムの話が真実かどうかなんて私にはわからない。
ただ、魔物素材が欲しいという理由だけで、魔物避けも持たずに森の奥まで単身で乗り込んだメルヴィンを思うと、作り話とは言い切れないところがある。
「つまり、彼女は何かの研究に巻き込まれたということか?」
「その通りです。魔塔主は聖女が操る治癒魔法に興味を持ち、秘密裏に研究を進めていた。そして我々より先に彼女を見つけ、洗脳を施し、自身の研究に協力させていたのです」
「研究の協力……」
「殿下の病の治療に協力したのも聖女の治癒魔法の効果を確かめるためではないでしょうか? 殿下に気づかれぬよう治癒魔法を掛けたのでは?」
「…………」
実際、目隠しをされた状態でクライドは私の治癒魔法を受けている。
無言になるクライドを見て、エイブラムはさらに笑みを深めた。
「おそらく、殿下ですら彼にとっては実験台だった……」
たしかに、メルヴィンはクライドに対して『実験台』だとはっきり告げていた。
だが、それは私の治癒魔法を試したかったからじゃない。
命のリミットが近づいていたからだ。
『安心安全な治療を提供するには時間が足りないんですよ』
メルヴィンの言葉にクライドも納得をして治療を受け入れていたはず……。
だが、エイブラムの巧みな話術により、その事実が捻じ曲げられようとしている。
「いい加減にして! 私は洗脳なんてされていません! メルヴィンを呼んで聞いてみてください!」
いくら私が訴えても、それすらも洗脳だと言われてしまえば堂々巡りとなってしまう。
それならばメルヴィン自身に無実を証明してもらうしかない。
それに何より、メルヴィンならばきっと何とかしてくれる。
廃棄の森からの脱出やクライドの病の解明……どんな難題も飄々とした態度であっという間に解決してきたのだから。
「残念ながら、魔塔主をこの場に呼ぶことはできないのだよ」
「どうして!? メルヴィンにも話を……」
「メルヴィン・オーデンは聖女隠匿の罪で捕縛された」
「なっ……!?」
あまりの衝撃に私は言葉を失う。
それはクライドも同じだったようで、目を見開いたまま呆然としている。
「さあ、詳しい話は神殿で。聖女様、参りましょうか」
エイブラムだけが何事もなかったかのように場を取り仕切り始める。
そして彼の声を合図に、私は神官たちに両脇を抱えられ立ち上がらせられた。
「いや……離して……」
それでも拒絶の言葉を再び口にする私に、近づいてきたエイブラムが耳打ちをする。
「おとなしくしていてください。でないと魔塔主の命の保証はできません」
その言葉の意味を私は正しく理解した。
(メルヴィンはエイブラム神殿長に嵌められたんだ……)
つまり、メルヴィンの命運はエイブラムの手の内にあるということ……。
(メルヴィン……)
私は一切の抵抗をやめて、神官たちに促されるまま歩き出す。
クライドも複雑な表情を浮かべながら、退室の挨拶を述べるエイブラムを見つめている。
そして、クライドの部屋の出入り口には、数人の騎士たちが困惑した様子で私たちのやり取りを眺めていた。
その内の一人、神官たちの侵入を阻んでいた赤髪の騎士が、私の顔を見るなり驚いた表情になる。
だが、そんなことに構う余裕のない私は、重い足取りで王城を後にするのだった。
読んでいただきありがとうございます。
メルヴィンが捕縛された理由にはまだ続きがあるので次回に書きます。
※次回は10/20(月)に投稿予定です。
よろしくお願いいたします。




