魔塔主メルヴィン
「ソフィアさん? ……どうされましたか?」
クローディアは驚いたように目を見開くが、それも一瞬のことで、すぐにいつもの涼しい顔へと戻る。
「あの、えっと、メル……魔塔主様の研究室を掃除しようと思いまして!」
対する私は、動揺を隠せずに不自然な早口になってしまう。
メルヴィンの補佐を務めるクローディアと顔を合わせる機会は多い。
しかし、挨拶はするものの彼女が会話をするのはメルヴィンだけで、私との交流はゼロに等しかった。
そんなクローディアと思わぬ場所で出会ってしまい、妙な緊張感が生まれる。
「掃除……? それは魔塔主様から頼まれたのですか?」
「いえ、頼まれてはいないんですけど……。でも、研究室がすごく散らかっているのが前から気になっていて」
すると、クローディアは軽く溜息を吐き、呆れたような表情で私を見つめる。
「ソフィアさんは魔塔主様の頭の中を全て理解されているのでしょうか?」
「え?」
「もしかしたら何か理由があって研究室がこのような状態なのかもしれませんよ? 床に積上げられた本の順番や位置にすら意味があるのかもしれません。それを許可なく勝手にいじるだなんて……。そのせいで研究の進捗に影響が出たらどうするんです?」
「は?」
正直、全く意味がわからなかった。
床に置きっぱなしの本なんて邪魔なだけで、棚に並べられているほうが見つけやすいだろうし、床に落ちた服は洗うべきで、転がる薬瓶は踏みつけでもしたら大変だ。
そのような考えが顔に出ていたのだろうか、クローディアは懐疑的な目を私へ向ける。
「失礼ですが、ソフィアさんは魔塔主様がどれほどの功績を上げたのか知っておられますか?」
「功績……あ! 魔力過多症の治療法を見つけたっていうのは知っています」
たしか、魔力暴走を引き起こす『魔力過多症』を患う子供たちのために『魔封じの腕輪』という医療魔導具を開発したとメルヴィンから聞いていた。
「他には?」
「え? ……そ、それだけです」
私の返答にクローディアは再び溜息を吐く。
「まさか何も知らないで研究に協力していたなんて……。魔塔主様の研究に協力できることがどれほど光栄なことか……」
「そんなに凄い人なんですか?」
私の問いかけに、クローディアはメルヴィンのこれまでの功績を列挙していく。
それは『魔力過多症』のように長年見過ごされてきた病の発見、感染経路の特定、新薬の開発など多岐にわたる。
「そもそも、聖女様が存在するこの国であえて治癒魔法以外の選択肢を作ろうとするなんて……私には考えつきませんでした」
「それは、たしかに……」
この国にとって聖女は当たり前に存在するものだった。
もちろん、誰もが聖女の治癒魔法で治療をしてもらえるわけじゃない。
王侯貴族ならともかく、王都から遠く離れた地方に住む平民には手が届かないだろう。
それでも、どんな病も怪我をも回復させる聖女の存在が、この国の誇りであったのだ。
「おそらくロードリック第一王子殿下の死がきっかけだったのでしょう」
「え……?」
クローディアの言葉に心臓がドクリと音を立てる。
「ど……してロードリック第一王子殿下が……?」
「ああ。平民出身のソフィアさんが知らないのも無理はありませんね。かつて、魔塔主様はロードリック殿下の側近として仕えておられたのです」
「側近……」
「魔塔主様は魔術に関して卓越した才能の持ち主であると幼い頃から有名で、将来は魔術師団長に登り詰めるだろうと言われておりました。だから側近に選ばれたのでしょう。まあ、あの魔塔主様が誰かに仕えるだなんて、想像できませんけどね」
そう言って、珍しくクローディアが小さく笑った。
だが、私の心臓はドクドクと音を立て続け、背中には嫌な汗をかく。
「私も魔塔主様はいずれ魔術師団に所属するのだと思っておりました。しかし、ロードリック殿下が亡くなられたことで第一王子の派閥は瓦解し、その影響もあってか、あの方は魔塔への所属を決められたのです」
「そうだったんですね……」
クローディアの話はどれもこれも初めて聞くものばかり。
(メルヴィンがロードリック殿下の側近だった……)
つまり、それほど親しい関係であったということ。
だけど、メルヴィンからそんな話を聞いたことはなくって……。
(私がまがいものの聖女だと聞いて、メルヴィンは何て思ったんだろう)
ぐらぐらと心が揺れ、不安が増殖していく。
私は思わず自身の胸元に手を当てる。
「あの方なら魔術師団長としても歴史に名を残すほどの功績を上げていたでしょう。本当に、天才の名に相応しい……」
クローディアの表情に浮かぶのはメルヴィンへの強い憧憬。
そんな彼女をぼんやり見つめていると、緑の瞳が私を捕らえた。
「ですから、くれぐれも魔塔主様の邪魔はなさらないでくださいね」
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次回は9/28(土)に投稿予定です。
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