新生活
魔塔での暮らしが始まった。
メルヴィンが一緒とはいえ、十年振りに森を出た私が新生活に馴染めるのだろうかと心配していたのだが……。
(快適すぎる……!)
食堂に行けば美味しい食事が提供され、必要なものがあれば街へ買い出しに行くことができ、魔物と瘴気に怯える必要もない。
と言っても、私は魔塔の敷地外へ出ることをメルヴィンに禁じられているため、買い出しは他の誰かにおつかいを頼む形になっている。
そして、もともと孤児院で暮らしていたこともあり、見知らぬ他人との共同生活にそれほど抵抗はなかった。
ただ、研究馬鹿の集まりである魔塔では、早朝から謎の爆発音が響き、討論が白熱し過ぎての怒鳴り合いは日常茶飯事で、逃げ出した研究用のヘビたちを半日かけて探すなんてこともあった。
そんな賑やかな環境にも一週間もすれば慣れてくる。
だけど、うまくいかないこともあって……。
「うーん……」
メルヴィンの研究室で、私は自身の治癒魔法の解析に挑んでいる。
もちろん私の素性がバレないよう、研究室にはメルヴィンと私の二人きり。
目の前には両腕で抱えきれない大きさの透明な球体が設置され、その中に私の頭くらいの鉱石が置かれている。
これは魔力を測定する魔導具らしく、聖女の証が浮かび上がった日に神殿で似たような魔導具を使った記憶が薄っすらあった。
メルヴィンによると、神殿に設置されているものよりもさらに精度が高い研究用の魔導具で、これを使って私の治癒魔法を詳しく解析する予定だったのだが……。
「ごめんなさい……」
「ソフィ、何度も言ってるけど謝る必要はないよ」
「でも……」
いざ、魔導具を使って解析をしようにも、肝心の治癒魔法が使えなくなってしまったのだ。
「体調や精神状態で魔法の効果や威力に変化が出ることは当たり前なんだから。それにソフィは十年もの長い間、治癒魔法を全く使わずに過ごしてきたんだ。それをいきなりバンバン使えちゃうほうがおかしいんだよ」
そう言って、メルヴィンはなんてことのないように笑う。
「だけど、あの時はうまくいったのに」
廃棄の森で大怪我をしたメルヴィンを救ったのは、十年振りに発動した治癒魔法だった。
だけど、魔導具にいくら手を翳しても、あの時の感覚が蘇らない。
「魔法が全く使えなくなったわけじゃないんだし、そんなに思い詰めないで」
「うん……」
「ほら、僕の頭を撫でて元気出して」
「うん……」
しゃがみ込んだメルヴィンの黒髪をわしゃわしゃと撫でながら慰めの言葉を聞く。
「実験なんて成功するほうが稀なんだからさ」
結局、この日も私の治癒魔法が発動することはなく、夕食の時間を迎えてしまうのだった。
◇
「あれー? まーた実験がうまくいかなかった?」
「うっ……」
落ち込んだ気分を引き摺ったまま向かった食堂。
注文した食事を受け取り、メルヴィンと横並びで座ると、向かいの席にリックがやってきた。
そして、私の表情を見るなり核心をついた発言をしたのだ。
「おい、空気読めバカ」
続いて現れたダレルが悪態をつきながら彼の隣の席に座る。
「だから、バカって言うなっつってんだろ!」
「うるさいバカ」
「はい! また言ったー! 魔塔主サマ、こいつまた言いましたー!」
「そうだねぇ。また言われちゃったねぇ」
どう見ても仲が悪く、いつも喧嘩ばかりしているリックとダレルだが、なぜかこの二人はセットで行動をしていることが多い。
聞くと二人ともが平民で、ほぼ同時期に魔塔へ所属したため同期のような関係らしい。
ちなみに、メルヴィンの恋人だと二人に誤解された件も、私が必死に何度も否定と説明を繰り返すうちに「わ、わかったから、何度も言わなくていいから!」と、なぜか青い顔でメルヴィンをチラチラ見ながら納得してくれた。
それからは、こうして気安く声をかけてくれるまでになったのだ。
「とりあえずさ、実験なんてほっとんどが失敗なんだし、あんま気にすんなって」
「はい……」
弟子だからなのか、それとも研究に携わる者の心得なのか、メルヴィンと同じように励ましてくれるリック。
「そういえば、リックさんは何の研究をしているんですか?」
「俺? 俺は毒について研究してんだよ」
「毒!?」
なんとも意外な答えに、思わず聞き返してしまう。
「俺が小さい頃に親が死んじまって、親戚に引き取られたんだけど……虐待っつうの? 暴力とかしょっちゅうでさ。そしたら、やり返したくなんじゃん? で、バレないように毒殺でいこうってなるじゃん? でも、毒を買う金がなかったから、じゃあ自分で作るかって作り始めたら面白くなっちゃってさー。で、魔塔主サマに声かけてもらったんだよ」
「…………」
あまりに情報量が多い。
多すぎて何と言えばいいのかわからない。
私は話題を逸らそうと、ダレルに話を振った。
「ダレルさんはヘビの研究でしたよね?」
「ああ」
実は、先日逃げ出したヘビたちはダレルが飼育していた子たちだった。
「実は今朝から探しているんだが二匹見当たらない」
「…………」
「それ早く言えよな! 探しに行くぞ!」
そう言って、リックは皿のパンを摑んで慌てて頬張る。
こういうところを見ると、なんだかんだで仲が良いんだなと思ってしまう。
「私も手伝いますよ」
「すまない」
「ソフィが手伝うなら僕も!」
こうして再びヘビの捜索が始まり、二匹ともが無事に見つかったのは夜の十一時を過ぎた頃だった。
私とメルヴィンは並んで階段を上り、三階に到着するなりメルヴィンが口を開く。
「明日なんだけど……実は朝から外に出かける用事ができちゃったんだ」
「そうなの?」
「うん。だから、明日の実験はお休みでもいいかな?」
「ええ。それは大丈夫よ。どこに出かけるの?」
「んー……家から呼び出されちゃって……」
「家って……?」
「オーデン伯爵家」
その言葉に衝撃を受ける。
メルヴィンは出会った頃から人懐っこく、罪人として追放された私を見下すこともなく、対等な関係を築いてきた。
だから気づかなかったのだ。
(そっか……そうだよね……)
よくよく考えれば、クローディアのような貴族も所属する魔塔のトップが平民であるはずがなかったのに……。
「ごめんね。ソフィ……。すぐに帰ってくるからね!」
「うん。気をつけてね」
平静を装いながら、そう言葉を返すのが精一杯だった。
◇
翌朝、オーデン伯爵家へ向かうため、メルヴィンは朝食を食べてすぐに魔塔を出発した。
残された私は、さてどうしようかと自室のベッドに寝転ぶ。
メルヴィンが不在の間は、なるべく三階から移動しないでほしいと言われている。
しかし、一人でじっと部屋に閉じこもっているのも何だか性に合わない。
(贅沢な悩みだわ)
森で暮らしていた頃は、食糧の調達や浄化の魔石作りに集落内の点検など、毎日何かしらやらなければならない仕事があったからだ。
しかし、魔塔で暮らすようになってからは、そういった仕事は全て必要がなくなった。
とても楽になった反面、少し手持ち無沙汰になり、自分の部屋の掃除をまめにするくらいしか……。
(掃除……そうだ……!)
魔塔内でも自分にできる仕事を思いついた私は、ベッドから下りて掃除道具の準備を始める。
そして、メルヴィンから預かっている合鍵を握り締め、彼の研究室へ向かった。
そこは初めて案内された研究室で、奥にはメルヴィンの執務室へと続く扉がある。
(執務室はともかく、研究室はひどかったものね)
積上げられた本や脱ぎ捨てられた服やらで足の踏み場もないくらいだった惨状を思い出す。
そんな研究室を掃除しようと思い立ったのだ。
(ふふっ、帰ってきたらきっと驚くわ)
ちょっとした悪戯心とともに、驚くメルヴィンの表情が頭に浮かぶ。
そして、鍵を使ってから研究室の扉を開けると、そこには思わぬ人物が立っていた。
「え? クローディアさん?」
読んでいただきありがとうございます。
次回は9/26(金)に投稿予定です。
よろしくお願いします。




