よかった
目覚めると、見慣れた自室の天井が目に映る。
(あれ……?)
なぜ自分がベッドに寝かされているのかわからず、ぼんやりとした意識のまま天井を見つめ続けていると、愛らしい鳴き声とともにペットの聖獣たちが私の顔を覗き込んだ。
「あ! 起きた!」
そして、明るい声とともにメルヴィンも私の顔を覗き込んで……。
(えっ!?)
途端に私はベッドから跳ね起き、メルヴィンの両肩をがっしりと掴む。
「メルヴィン!?」
そんな私の勢いに驚いたのか、聖獣たちは慌てた様子でベッドから飛び降りていく。
「おはよう! ソフィ」
「い、生きてる……?」
「うん! 生きてるよ!」
「怪我は? あんなにいっぱい血が出て……!」
血塗れだったメルヴィンの姿を思い出し、私は彼の怪我を確かめるように胸やお腹を服の上からペタペタと触る。
「ふふっ。くすぐったい」
「あ……ごめんなさい」
無遠慮に触れていた手を慌てて引っ込める。
「大丈夫。怪我は治って傷跡も残っていないから。ソフィの治癒魔法のおかげだよ」
「え? 私の……?」
そして、メルヴィンの言葉を信じられない思いで聞く。
「……ちゃんと成功したんだ」
無我夢中で放った魔力の感覚が手に蘇り、思わず自身の手の平を見つめながら呟いていた。
そこへ、すかさずメルヴィンが質問を投げかけてくる。
「成功って……どういうこと?」
「あ……えっと……ずっと昔に治癒魔法を失敗して……。それからは一度も使っていなかったから……」
そう答えながら、自然と声は小さくなり顔は俯いてしまう。
すると、今度はメルヴィンが私の肩にぽんっと手を置いた。
「ソフィはちゃんと治癒魔法が使えたんだよ」
励ますようなメルヴィンの声音に顔を上げると、涙がじわりと滲んで唇がわずかに震える。
「よかった……」
「うん。治癒魔法が成功してよかっ……」
「メルヴィンが生きていてくれて本当によかった」
「へ……?」
なぜかメルヴィンは虚をつかれたような表情で固まる。
私はそれ以上言葉にならず、涙が次から次へと溢れ出てきてしまう。
(メルヴィンは生きている……)
胸に熱いものが込み上げ、涙が止まらない。
そんな私を琥珀色の瞳が凝視している。
「もしかして、ソフィは治癒魔法の成功より僕が生きていることのほうが嬉しいの? ずっと使ってない魔法だったんだよね?」
「そんなの当たり前でしょ!」
すると、みるみるうちにメルヴィンの顔が真っ赤に染まる。
それを不思議に思いながらも、事態の深刻さをわかっていなさそうな彼に、私は涙を手の甲で拭いながら言い聞かせるように言葉を続けた。
「だからもう魔物と戦ったりしちゃダメ! お願いだから自分の命を大切にして! メルヴィンがいなくなっちゃったら私……私……」
けれど、拭ったそばから再び涙が溢れ出てしまう。
「うん。ごめんなさい」
ようやく私の想いが伝わったらしく、謝罪の言葉を口にしたメルヴィンに私はほっと胸を撫で下ろす。
聖獣たちと違って魔物は凶暴で恐ろしい生き物なのだ。
私は鼻を啜ったあと、軽く息を整えて再び口を開いた。
「私こそ助けてくれてありがとう。集落までメルヴィンが私を運んでくれたのよね? どうやって魔物の群れから逃げてきたの?」
すると、メルヴィンはなぜか遠くを見つめるような表情へと変わる。
一体どうしてと思ったその時、視界がぐらりと揺らいだ。
(あれ?)
そのまま私の身体から力が抜け、メルヴィンに向かって倒れ込む。
「わっ! ソフィ!?」
咄嗟にメルヴィンに抱き留められ、私はそのまま彼の胸に身体を預ける格好になった。
「どうしたの!?」
「なんだか身体に力が入らなくって……」
「あっ! もしかしたら魔力切れかも?」
魔力切れとは、魔力を一気に放出することにより、一時的に体内の魔力が枯渇する状態である。
知識としては知っていたが、実際に自分が経験するのは初めてだった。
「大丈夫? しばらく安静にしていれば治ると思うんだけど……。そうだ! 僕がこのまま抱っこしててあげ……痛っ!!」
突然、グリフォンのピィちゃんに後頭部を嘴でつつかれ、悲鳴を上げるメルヴィン。
そして、他の聖獣たちが私とメルヴィンの間に割って入り、私をベッドへ押し戻すように服を咥えて引っ張りだす。
「どうやら、この子たちもソフィのことを心配しているみたいだね」
後頭部を擦りながらメルヴィンにそう言われ、私は聖獣たちに引っ張られるままベッドの中に潜り込んだ。
「ソフィが眠るまで僕たちが側にいるよ」
「うん。ありがとう……」
そのまま意識を失うように私は再び眠りに落ちていくのだった。
◇◇◇◇◇◇
翌朝、目覚めた私はベッドから降り、自身の体調を確認する。
「もう大丈夫そうね」
すると、聖獣たちが甘えるように私の身体にすり寄ってくる。
「みんなも心配してくれてありがとう」
私の言葉に応えるように鳴き声が次々に上がった。
だが、寝室を出てダイニングを見渡すもメルヴィンの姿は見当たらない。
どうやら昨夜のうちにコーディの家に戻ったようだ。
(魔力切れってあんな風になるのね)
そんなことを考えながら身嗜みを整えた私は、いつものように朝食を作り始める。
すると、家の扉をノックする音とともに私の名を呼ぶメルヴィンの声が聞こえた。
「あ! おはよう、ソフィ」
扉を開けると、笑顔のメルヴィンが立っている。
「おはよう。珍しく早いのね?」
「だって、ソフィのことが心配だったから……」
なぜかソワソワした態度のメルヴィン。
私はすぐにその理由を察した。
おそらく、メルヴィンは昨日の治癒魔法について私に話を聞きにきたのだろう。
(だから、こんな朝早くに……)
一度興味を惹かれると、相手の状況なんてお構いなしで突き進むメルヴィン。
そんな彼が、魔力切れを起こした私のために一晩でも我慢できたことを褒めるべきだろう。
「もうすっかり元気になったから大丈夫よ。すぐに朝食を用意するから一緒に食べましょう」
そのまま家の中へメルヴィンを招き入れ、ダイニングでともに朝食を食べ終えると、食後の紅茶を用意する。
「ふぅ……」
こっそり息を吐いて、私は覚悟を決めた。
過去を話すことに抵抗がないといえば嘘になる。
けれど、治癒魔法の使い手だとバレてしまったからには、私が元聖女であることを隠し続けるのは無理だろう。
それに、私の治癒魔法に過度な期待を持たれてしまうことも避けたかった。
たまたま今回が上手くいっただけで、次もまた同じように怪我を治せるかはわからない。
治癒してもらえばいいやと軽く考え、魔物に挑むような真似はやめてほしいとメルヴィンにもう一度釘を刺す必要もあったのだ。
しかし、いつまで経ってもメルヴィンは治癒魔法の話を切り出さない。
「ソフィの淹れてくれる紅茶は美味しいね」なんて言いながらニコニコしている。
「ねぇ、メルヴィン。治癒魔法の話を聞きにきたんでしょう?」
「え?」
仕方なくこちらから話を切り出すと、なぜかメルヴィンは驚いたように目を見開いた。
「違うの?」
「いや、僕はただソフィの身体が心配で……!」
どうやら、私の体調を気にかけているという言葉は建前ではなかったらしい。
「それに、無理に聞き出すつもりもなかったし……」
そう言いながらも、琥珀色の瞳は好奇心を隠しきれないでいる。
そんなメルヴィンがなんだか無性に可愛く思えてしまい、私はクスッと小さく笑いながら口を開く。
「私も……ちゃんと話そうと思っていたから」
そうして、私は十年前の出来事をメルヴィンに話して聞かせた。
すでに過去になったはずなのに、聖女に選ばれた時の高揚感、初めて訪れた王都の景観、そしてロードリックと過ごした時間……そのどれもが鮮明に思い出され、同時に『まがいもの』だと罵られた辛くて悲しい感情までもが蘇る。
「そっかぁ、十年前の『まがいものの聖女』の正体はソフィだったんだね」
どうやら私が廃棄の森へ追放されたあと、ロードリックの死が公表されると同時に、『まがいものの聖女』の存在を皆が知ることになったそうだ。
そんな『まがいものの聖女』が目の前の私であることに彼がどんな反応を示すのか……。
全てを話し終えた私は、恐る恐るメルヴィンの表情を窺う。
「でも、ソフィは本物の聖女だ」
「本物……?」
「だって僕の命を救ってくれたでしょ?」
「そう……なんだけど……」
私は当初の予定通りに、次もまた治癒魔法が成功するのかはわからないのだとメルヴィンに伝える。
「私の治癒魔法に欠陥があったせいでロードリック殿下を死なせてしまった可能性だってあるのよ」
「それはソフィだけの責任じゃないよ。他の聖女たちの治癒魔法でも回復しなかったんでしょ?」
「それでも、私の治癒魔法のせいで誰かが死んでしまうかもって思ったら怖くなって……。だから集落にきてからは一度も使うことはなかったわ」
「まさか、この十年間に一度も?」
「ええ。マーサさんたちも私の事情を知っていたから何も言わなかったし……。ただ、私がまともな聖女だったら、みんなは今でも生きていたんじゃないかって……そんな風に考えてしまうこともあるの」
最初、病に倒れたのはアンナだった。
その時、治癒魔法のことが頭を過ぎったのは確かで……。
それでも、自分たちは年老いて病に罹り、薬を飲んで緩和しながらも寿命を全うする。それが望みだからと言って、三人は私に治癒魔法を使わせなかった。
「んー……僕は聖女の治癒魔法についても研究しているんだけど、聖女という存在はソフィが思っているほど万能じゃないんだよ」
「え?」
聖女の研究だなんて初耳だった。
驚く私に構わず、メルヴィンは言葉を続ける。
「患者が高齢であるほど治癒魔法の効果は薄くなるし、聖女の治癒魔法の効果が疑わしい病だってあるんだ」
「そうなの!?」
魔力暴走を引き起こす『魔力過多症』も、聖女の治癒魔法が及ばない病の一つらしく、これまで病として扱われず事故として処理されてきたらしい。
それをメルヴィンが病であると解明し、治癒する魔導具まで開発したというのだ。
「そもそも、聖女や治癒魔法を研究すること自体が『女神ファムラーシルの加護を疑う行為』だという理由でタブー視されているんだよ」
聖女の治癒魔法はどんな病も怪我も治すものだと周知されているが、実際にそれらを証明するものは何もないとメルヴィンは言い切る。
「ねぇ、メルヴィンがこの森に連れてこられたのって、タブーに触れたからなんじゃ……」
「うーん……そうかも?」
「…………」
「まあ、そういうわけだから、例えソフィがまともな聖女だったとしても住人たちを救えたのかはわからないってこと」
本人たちの望みを叶え、最期を看取った。
それは間違いではなかったのだと暗に言われ、私の胸のつかえがゆっくりと解けていく。
「そっか……」
そんな私の姿を、琥珀色の瞳を細めたメルヴィンがじっと見つめていた。




