聖女の証
「わ、私が……聖女?」
「ああ、そうだ! ヴァイオレット、お前の項にくっきりと聖女の証が浮かび上がっているぞ!」
戸惑う私の肩をがっしりと掴み、興奮気味にまくし立てているのは、私が暮らす孤児院の院長。
今朝、自分の髪を結んでいた際に、同室のリリアから項に不思議な模様があると指摘される。
その話はすぐに職員へと伝わり、慌てた様子の院長が私のもとへ駆け込んできたのだ。
このソウルバーク王国を加護するのは治癒の女神ファムラーシル。
そんな女神に選ばれし者は、『聖女の証』と呼ばれる紋様が身体のどこかに浮かび上がり、治癒魔法に目覚める。
そして、希少な治癒魔法の使い手は神殿に保護され、『聖女』として民を癒す役割が与えられるのだ。
「こうしちゃいられん! すぐに馬車を用意してくれ! ヴァイオレットに外出用の着替えを!」
興奮冷めやらぬまま、院長は職員たちに神殿へ向かう準備をするよう指示を出す。
着古した丈の短い服から小綺麗なワンピースに着替えさせられた私は、伸ばしっぱなしの栗色の髪を項がよく見えるようにと丁寧に結い直された。
(私が聖女だなんて……)
突然の降って湧いたような奇跡に戸惑ってしまう。
だが、大人の言うことに逆らわないよう躾られた経験から、私は黙って流れに身を任せることしかできなかった。
そして、町の神殿に到着するなり応接室へと案内される。
「こんな幼い子供に聖女の証が……!?」
私の項の紋様を確認した神官たちが一様に驚いている。
どうやら十代半ばに聖女の証が浮かび上がる者がほとんどらしく、私のように八歳という低年齢で聖女となる者は珍しいそうだ。
その代わり、低年齢で聖女となった者は皆、強力な治癒魔法を発現するのだという。
「聖女様。さっそくで申し訳ありませんが、これから王都の神殿本部に向かっていただきます」
「王都へ……ですか?」
「ええ。そこで聖女様の救いを待っている方がいらっしゃいます。聖女様にしか救うことができないのです。どうかお願いいたします」
まっさらな白の神官服を身に纏った大人たちが、聖女様と崇めながら私に恭しく頭を下げる。
そんな目の前の光景にようやく実感が湧いてくる。
(そっか、私は『聖女』になったんだ……)
産まれて間もない赤ん坊だった頃、私は孤児院の前に捨てられていた。
どんな理由で捨てられたのかはわからないが、親に愛されていなかったことだけはわかっている。
なぜなら、産まれてすぐに親から贈られるべき名前が私には与えられていなかったから。
名無しのまま捨てられた私はそのまま孤児院に保護され、薄紫の瞳の色から『ヴァイオレット』と職員によって名付けられたのだ。
(でも、これからは『聖女』と呼ばれるのね)
親に名前すら与えてもらえなかった私に、女神様が聖女の証と治癒魔法を授けてくださった。
親にすら必要とされなかった私が、多くの人々に聖女と呼ばれ必要とされる……。
それが堪らなく嬉しくって、欠けていた何かが満たされるような気さえした。
それから神殿が用意した豪華な馬車に乗せられた私は、数日かけて王都の神殿本部へ向かうこととなる。
生まれて初めて町の外へ出た私は目にするもの全てが新鮮で、これから自分がどうなっていくのかという不安は徐々に消え、代わりに期待と高揚が胸の内で広がっていくのだった。
◇
「あ、あの、挨拶はどうすれば……?」
「大丈夫ですよ。聖女様は堂々となさっていてください」
不安に駆られて何度も小声で確認するも、神殿長のエイブラムは柔和な笑みを浮かべながら同じ言葉を繰り返すのみ。
神殿本部のトップであるエイブラムは、物腰の柔らかな五十代の男性だ。
しかし、そんな立派な立場の彼の言葉でも、緊張が解れるような状況ではなかった。
神殿本部に到着した翌日、私がエイブラムに連れて来られたのは王都の中心にそびえ立つ王城。
城内に足を踏み入れると、荘厳で華やかな内装に圧倒され身が縮むような心地になる。
そんな状況の中、近衛騎士たちに先導されながら、私とエイブラムは並んで広い廊下を歩いていた。
「この扉の先は王族の居住区となります」
「きょじゅうく?」
「ええ。王族の方々が暮らしている場所だということです」
言葉の意味がわからず、思わず聞き返してしまった私に先導する赤髪の騎士が優しく説明をしてくれる。
私は緊張しながらも、こくこくと頷き返すと、彼は朗らかな笑みを浮かべた。
そして、重厚な扉の先にも廊下が続いており、敷かれた絨毯の上を歩く慣れない足元の感覚とあまりの緊張に吐き気まで催してきた頃、一つの扉の前でようやく近衛騎士たちが足を止める。
つられて私も足を止め、精巧な模様が彫られた目の前の扉を見つめた。
「どうぞ中へ」
騎士に促されるまま開かれた扉の中へ足を踏み入れると、私の口から思わず感嘆の息が漏れる。
昨日、神殿本部内に用意された自身の部屋の広さと豪華さに興奮したばかりだが、それとは比べものにならない広さと、触れることすら躊躇してしまう繊細な意匠が施された調度品の数々に目を奪われてしまったからだ。
「聖女様、こちらへ……」
キョロキョロと部屋の中を見回していた私は、声をかけてきた騎士に慌てて視線を戻すと、もう一つの扉で繋がった部屋へと進む。
部屋の中心には豪奢なベッドが置かれ、大きなクッションを背もたれにし上半身だけを軽く起こしたまま横たわる人の姿があった。
(誰……?)
年齢は十代半ばくらいだろうか。
肩まで真っ直ぐに伸びた金の髪に鮮やかな紅い瞳を持ち、頬はこけて青白い顔色で、女性なのか男性なのか判別がつかない風貌を私はじっと見つめる。
「聖女様をお連れいたしました」
ここまで先導してくれた騎士たちはベッドの住人にそう告げて一礼をし、そのまま私に場所を譲るよう壁際へと下がった。
「ああ、ご苦労様」
騎士を労う声で、金髪紅眼の人物が男性であることに気がつく。
そして、エイブラムに促された私は、おそるおそるベッドへ近づいた。
「やあ、よくきてくれたね。君が新しい聖女様かな?」
「は、はい! よろしくお願いします!」
「ふふっ。ずいぶん可愛らしい聖女様だ」
紅い瞳が柔らかく細められ、穏やかなその表情に思わず見惚れてしまう。
──これが、この国の第一王子ロードリックとの出会いだった。
なぜ私が第一王子のもとへ連れてこられたのか。
その理由は、彼を襲った原因不明の病のせいであった。
二カ月前、健康に問題がなかったはずのロードリックが何の前触れもなく突然倒れ、みるみる衰弱していき、あっという間に歩くことさえままならなくなったのだという。
王家から連絡を受けた神殿本部はすぐに聖女たちを派遣した。
だが、いくら治癒魔法をかけてもロードリックの病は快方に向かうどころか悪化していくばかり。
神殿本部に所属している現聖女たちではどうすることもできずに困り果てていたところへ、私という存在が現れたのだ。
しかも、低年齢での治癒魔法の開花という強みに、皆が期待を寄せているというわけだった。
「おおっ!」
「これが新たな聖女様の治癒魔法……!?」
「なんと美しい……」
さっそく私が治癒魔法を発動すると、ロードリックが輝く金の粒子に包まれ、その様子を見た周りの者たちが驚きや感嘆の声を上げている。
どうやら強力な魔法であればあるほど、魔力が高濃度となり可視化されるものらしい。
それほどまでに私の治癒魔法が強力であるという証明に、周りの期待は否応無しに高まっていく。
「王城に聖女様の部屋を用意していただけることになりました」
「わ、私の部屋を!?」
無事にロードリックへ治癒魔法をかけ終え、このまま神殿本部に帰るのだろうと思っていた私に爆弾が落とされる。
何時でもロードリックに治癒魔法をかけられるように、私が王城に泊まり込む手筈になったのだとエイブラムが説明をしてくれた。
「でも、それだと神殿での治癒が……」
神殿を訪れた患者に治癒魔法を施すのが聖女の主な役割であると教わったのに……。
だが、今は緊急を要するためロードリックの治癒を優先してほしいとエイブラムに説得されてしまう。
それに、新しい聖女……つまり私の存在はまだ公にされていないらしい。
「ご安心ください。ロードリック殿下が完治されましたら、その功績とともに新たな聖女様のお披露目を考えております。神殿での奉仕活動はそれからにいたしましょう」
「こうせき?」
「あなたが素晴らしい聖女であると皆に知っていただくという意味です」
そう言って、にっこりと微笑むエイブラム。
──しかし、そのような機会は永遠に訪れることはなかったのだ。




