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予想よりずっと早かったな、というのが、故郷であるレヴァーゼ崩壊の報を聞いた雪乃の感想だった。
二年はかかるとみていたが、一年半と少しで達成されてしまった。
アウリラが優秀だったのか、連合国が強大なのか、それともレヴァーゼが無能だったか。
その一報は、シリルによって届けられた。
「君の両親が、この王宮に身柄を移される」
読んでいた『あうりらちほうこくのなりたち』という本から目を上げる。
彼らが来るならば、婚約式だろうかと一瞬考えた。
雪乃がこの国に来て一年以上が経っていたから、王子妃候補という立場ではもう引っ張れないのではと思っていたのだ。
だから、婚約者に格上げして、また一年、誤魔化すのかと。
けれど、身柄を移す、という言い方で、すぐに、王家が実権を失ったのだと気づく。
それにしても、その場で殺さず、なぜここまで連れてくるのだろう。
「レヴァーゼ王国は、玉璽をティアドリィ連合国に委譲した。
今後、連合国の王家に養子に入られた、バンデル将軍が拠点を持ち、バンドール地方国として成立する予定だ」
無血開城か。
戦いもせず。
父王らしいとも言えるが、負けず嫌いにしては民に迷惑をかけない最善の方法だったと称賛さえしたくなった。
「お父様とお母様はどうなるんですかぁ?」
それに、残りの9人の兄弟姉妹はどうなっただろう。
「元王と元王妃は、アウリラとの条約に従わなかったため、裁きを受けることになる。
同様に、国政に関わっていた者たち、さらに王子と王女も、責任を秤にかけた上でそれぞれ処罰される」
国の方針を決めていたのは、間違いなく王だ。
それと、宰相のローワン・スティール。
当然、関わっていようがいまいが、王妃の責任も重い。
王太子である第四王子と、実務に関わっていた第一王子も、責任は逃れられまい。
この辺はおそらく死刑。
残りは、責任の重さで量刑が変わりそうだ。
幽閉か、労役か、平民落ちか。
「君の今後について、王より話がある。支度を整え、謁見室へ。
……心配することはない、私も一緒に行く」
シリルが出て行くとすぐに、オリーブが入れ替わりで入って来た。
そして、ドレスを着替えると、雪乃は革袋をひとつ、オリーブに握らせた。
「中に宝石が入っているわ。16個ある。これを持って逃げなさい」
「姫様?」
「レヴァーゼは消滅したわ。王と王妃は死刑よ。私ももう不要だから、処分される。
だから逃げなさい。
いつもの裏庭に出る扉、分かるわね?
何気ない顔をしてそこから出なさい、あとは使用人のふりをして、なんとか外へ出るの。
分かった?
ふりっていうか、使用人だったわね、ふふっ」
着替えに時間がかかりすぎていると思ったのか、外からノックとシリルの声がした。
雪乃はオリーブをせかしてドアを開けさせ、
「お待たせしましたぁ」
にっこり笑って、彼の後をついて謁見室へと向かった。
待っていたのは、王と王妃、そして第一王子と、王の側近たちだ。
まだ子供の第三王子は、遠ざけられているらしい。
「シリル、ご苦労だった。ウエンディ王女、面をあげよ」
いつものたどたどしい礼のあと、王の言葉を待って、顔をあげる。
彼らは厳しい顔をしていて、それは、レヴァーゼからの長旅を終えて初めてここに立った時のことを思い出させた。
ここまで長かったようにも思えるが、故郷で存在を無視され続けた16年に比べれば、なんてことはなかった。
馬にも乗れたし、短いながら旅にも出た。
「シリルにおおよそは聞いているだろうが、そなたの故郷、レヴァーゼ王国は、その実権を連合国に委譲した。
国家として、当国との契約違反を犯し、それを是正する意志がないとみなされ、連合国としての制裁となったためだ」
「なるほどぉ」
雪乃は、ぼんやりとしたいつもの表情でそれを聞いていたため、王はしかめっ面をした。
「国としての機能はそのままに、連合国より次代の王が選定され、派遣される。
レヴァーゼの名は、あとひと月の間になくなり、歴史を終えることになるだろう」
「そうなんですねぇ」
王の前で扇を広げることはできない。
雪乃は、笑いそうになるのをなんとかこらえる。
「そして……そなたの処遇については、王と王妃に対する処罰が確定したのち、協議されることとなる。
それまで、自室から出ることはできなくなる。いいな?」
「お父様とお母様は、いついらっしゃるんですかぁ?」
いつも以上に間延びした声で聞くと、宰相以下、重鎮たちからため息のようなものが漏れる。
だが、気にしない。
「明日の予定だ。しかし、そなたに会わせるかどうかは、彼らの態度次第となる」
ぎりぎりまで黙っていたわけか。
もちろん、この情報を聞いて、王女であるウエンディが不穏な行動をしないようにということだろう。
出来る国家は違うな。
きっとレヴァーゼなら、王子王女のどれかが喜々としてやって来て、高笑いしながら教えてくれるだろう。
彼らは、絶望する人間の顔が好きなのだ。
雪乃が嫁ぐ時も、アウリラや連合国を蛮族と呼び、いかに過酷な生活になるかをわざと大声で聞かせてきたものだ。
どれもこれも当たってはいなかったが、彼らにとって真実などどうでもいいのだろう。
「ウエンディ・リー・ダウセット王女、そなたを謹慎の身とする」
王の言葉に、雪乃は、もうこらえる必要はないのだと我慢をやめ、ふふっ、と笑った。
戸惑ったような空気が広がる。
その空気をまるきり無視して、まっすぐに王の目を見た。
もはやぼんやりした表情を作ることはない。
けれど、笑みを隠すことはできない。
「ふふっ、うふふふふふふふっ!」
「王女……?」
「かしこまりましてございます」
しっかりとした声は、ホール子爵家で可哀想な護衛を威圧したとき以来だ。
見上げた王は、軽く目を見張っている。
隣の王妃すら、扇で口元を隠すのを忘れ、薄く口を開いている。
「貴国の待遇に感謝を申し上げると共に、レヴァーゼの非礼を、最後の王女としてお詫び申し上げます。
契約違反の呪われた私ではございましたが、この国の繁栄を心より願っております」
そうして、こゆるぎもしない芯の通ったカーテシーをすると、ドレスの裾をさばいて人々に背を向けた。
この日のために、ずっと裏庭で体力をつけてきたといってもいい。
反射的な動作のように、横からシリルの手が差し出された。
雪乃はその顔を見上げる。
「結構、一人で戻れます。そこの騎士様。部屋まで送っていただけましょうか」
扇で、見覚えのある騎士を指す。
彼が窺うように王を見た後、すぐに動き出したので、許可が出たのだろう。
雪乃はそのまま、振り返ることなく、謁見室を後にした。
背後でざわめきが大きくなったが、すぐに扉によってさえぎられ、静寂が広がった。
四人もの騎士が前後を囲み、自室へと戻る。
ドアを開けると、二人がドアの左右に立って残るようだった。
別の二人が中に入ってこようとしたので、
「着替えます」
と一言言えば、彼らは肯いてやはり外に出た。
扉を閉める。
中には誰もいなかった。
オリーブは首尾よく逃げられたらしい。
また、笑いがこみあげる。
ウエンディという子供を使い捨てにしたあの国が、あっさり消える。
雪乃が受けた仕打ちというよりは、小さな子供を虐げてなんとも思わない王への報復の気持ちが強い。
なんにせよ、目的は達した。
この後、雪乃がどうなるかは、もはや問題ではない。
いつも使っている羽飾りの扇を取り出す。
そして、その飾りのうち、三本の羽を引き抜いた。
根元に、封蝋がしてある。
「どーれーにーしーよーうーかーな」
前世でよく口にした節で、三本を順に指さす。
神様の言う通り……。
「これ」
最後に指さした羽の根元から、蝋を外す。
くりぬかれ空洞になった中には、粒状の薬が入っていて、それを手のひらにとんとんと出す。
それを一気に口に含もうとした時、すごい勢いでドアが開いた。
そして、驚く雪乃の手が、ぱしんと叩き落とされる。
思わず、落ちた薬粒を視線が追いかけた。
それは、侵入者の足元で止まる。
「なんのつもりだ」
足をたどって顔をあげると、シリルと、そしてその向こうから必死に覗き込んでいるオリーブが見える。
思わず眉を顰める。
「オリーブ、逃げなさいって言ったでしょう?」
「かしこまりました、って言ってませんよ、私」
なにその屁理屈。
渋い顔をしたが、腕を強く掴まれ、痛みに舌打ちしてしまった。
それを意に介さず、シリルの視線は、引き抜かれた三本の羽に向いている。
「オリィ、ダン、お前たちは彼女を三階の貴賓室へ。
カティアス、落ちた薬と、残りの羽を持って、薬師とともに正体を調べろ、素手で触れるなよ。
残りの者たちは、この部屋を徹底的に調べ、他に不審物がないか探せ」
流れるように騎士たちが動き出し、雪乃は有無を言わさず、両脇を固められて三階へ連行された。
中に入ると、数分で城の侍女たちがやってきて、雪乃のドレスを脱がし、宝飾品も全て取り去ってしまった。
代わりに着せられたシンプルなドレスは、サイズが微妙に合わなかったので、既製品か、または、まさかとは思うが王妃のものかもしれない。
身に着けていたものは下着以外全て持ち去られた。
「困ったわ。イヤリングにも宝石箱にも、毒が入ってたのに。
裏切ったのね、オリーブ、密告したのあなたでしょう」
「そもそも毒を仕込めと言われたのは私ですし、それを程よき頃に伝えろと言われたのも私ですし」
ウエンディの輿入れに際して大量に用意された嫁入り道具は、数か所に毒が隠されている。
この国に到着してから、オリーブに聞かされたのだ。
何を意味するかは明らかだ。
お前が死んで全て解決。
そういう意味だ。
アウリラからの要求に応えるどころか、王女を送った事実だけを作り、有能かどうか試される前に死んでしまえば、契約違反もなにもない。
それをオリーブから聞いた時から、雪乃は、王家が滅んだ時に自分も死のうと決めた。
そうすれば、血が全て断たれる。
契約違反の王女を嫁がせ、死を誘発し、責任逃れをしようとした国など、滅んだほうがいい。
「飲ませろとは言われなかったの?」
「言われましたよ」
あっさりと答えたオリーブは、いつものようにお茶を淹れて差し出してきた。
食事も飲み物も、オリーブの手を介して届く。
いつだって毒を入れられたはずの侍女は、すました顔で壁際に立った。
お茶を飲む。
いつもの味だ。
「なんで飲ませなかったの。あなた今後、レヴァーゼの生き残りから狙われるかもしれないわよ。
だって、あなたが私を殺さなかったから、あの国は滅んだようなものじゃない」
「それは責任転嫁ってもんですよ。一介の侍女にそんな役は務まりませんでしょう」
まったくだ。
オリーブの言う通りだ。
侍女に始末を任せて、これでお終い、とはならないだろうに、あの国の王はそれを信じた。
使用人なら、自分の言うことを忠実に実行すると思っていたらしい。
「ねえあなた、本当はアウリラの内通者とかだったりする?」
「何をおっしゃってるんですか、私は姫様が生まれた時から、メイドとしておそばにおりましたでしょう」
「そうよねえ」
正真正銘、ただのメイドを侍女に格上げし、毒殺を命じるなんて、本当にどうかしている。
おそらく、本気で、オリーブが愚直に指示を守ると考えたのだろう。
あまりに実行されな過ぎて、向こうはパニックだったに違いない。
「なぜ殺しに来ないのかしら」
「来ておりますでしょうよ」
「えっ」
「でもまあほら、一国の王女様が、あんな隅っこで暮らしていたとは考えませんでしょうね」
戦などもう先代のその前からなかった国だ。
軍も弱体化し、それに伴って、諜報や暗殺の技術も失われているだろう。
安穏と暮らしていた時代が長すぎた。
彼らは、軍事国家に近い他国にもぐりこみ、人を殺すことなど出来ないのだ。
「あれ……なんだか眠いんだけど」
「はい、眠くなる薬も持たされましたので」
「なんで今……」
「まあまあ、少し寝たほうがよろしいです姫様、頭がカーッとなってるときには、いい判断はできませんです」
まっとうなことを言っているようだが、毒は仕込まないくせに眠剤は仕込むなんて、おかしいじゃないか。
雪乃はそのまま、ゆっくりと眠りに落ちた。
目が覚めると、夜だった。
ものすごく頭が痛い。
室内には誰もいないが、連行された貴賓室のままだ。
ふうと息をつき、水差しから水を飲む。
とてつもなく喉が渇いていた。
眠剤を盛られたのに、疑いなく水をがぶがぶ飲む自分に呆れもするが、毒でも入っていれば一石二鳥なのにとも思う。
残念ながら、毒は入っていなかった。
雪乃はいつの間にか寝間着に着替えさせられていたため、身軽に窓際に寄った。
窓を開けようとした。
しかし、何か細工をされているのか、まったく開く様子がない。
三階ならば飛び降りて死ねそうだったが、この非力な腕では開けられそうもなかった。
今日のところは諦めてやる、と思いながら、雪乃は寝ることにした。
オリーブの策略通り、興奮が冷めると、簡単には死ねない。ここで死に方を探すのが面倒になったのだ。
わずかに残る眠気で、全てがあいまいに感じられる。
いっそこのまま、世界との境目がなくなって消えてしまえばいいのに。
まさかそれから十日も軟禁されるとは思わなかった。
侍女のオリーブだけが出入りする部屋に、以後初めて足を踏み入れたのは、やはりシリルだった。




