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視察というのは、王都の南にある子爵領へという話だ。
馬車で三日と言っていたから、距離で言えば100㎞くらいだろうか?
ちょっとよく分からない。
どうやらその領は、新しい鉱山を発見したらしい。
くしくも、レヴァーゼ王国と同じ鉱石群だ。
輸入を絞る代わりに、新しい輸入先を探しているようだが、それが国内から出たとなればこれは神がかりレベルの幸運だ。
どこと交渉する必要もなく、レヴァーゼと微妙な駆け引きをする必要もない。
その視察に、レヴァーゼの子であるウエンディを連れていけとの命令だそうだ。
趣味が悪い。
なんの得もない話で、これはただ、ウエンディが鉱石の産出を目の当たりにして、故郷を想って嘆くのが見たいのだろう。
だが残念。
雪乃はこれっぽっちも悲しくない。
そして、彼らが知るところのウエンディもまた、悲しむことはない。
なぜなら、呪われた姫には、その意味さえよく分からないはずだからだ。
「かなりの産出量が見込めるだろうという調査結果だ。
複数の部門に担当させたから、信頼できる結果だろう」
「良かったですねぇ」
雪乃は、故郷が打撃を受けるその話に、にこにこ笑って見せた。
本心だ。
これで、あの国がぶっ潰れる時期が早くなる。
「分かっているのか、君、これは……」
「なんですかぁ?」
「……いや、何でもない」
その領地を治めているのは、ハートリー・ホール子爵と言った。
滞在先はその子爵の屋敷で、その規模と古さから言って、かなりの歴史がある家のようだ。
子爵は、抜け目のなさそうな男だ。
自領から鉱山が発見されたことを、最大限、生かそうと考えている。
しかしまた、王家の忠実な家臣でもあった。
自分の利益とともに、国益になることも重々承知で、ほどよい売買契約を望んでいる。
好々爺然とした執事も、雪乃に丁寧に接しており、敵意はなさそうだった。
さて、彼には二人の息子があった。
父親について領地経営に携わっており、控えめな性格だ。
そして妻と娘もいた。
これはどちらも、貴族という札を常に頭上に振りかざしているような女性だった。
また、娘の方は、さらに物おじしない性格のようだ。
第二王子が屋敷に宿泊することを、何か特大の幸運のようにとらえている。
それで、夜となく昼となく、チャンスと見れば頻繁に話しかけ、さすがに触れはしないが距離はかなり近かった。
ちなみに、雪乃のことはまるきり無視だ。
親子ともだ。
滞在が一週間に及び、あと二三日のうちには再び王都へ向けて帰途に就くという頃、
「実は当家には自慢のシガールームがございましてな」
という当主の言葉によって、シリルが雪乃の元を離れた。
ただし、君は部屋に戻っていなさい、という指示つきだ。
長男と次男が彼らに続き、四人を見送った後、雪乃はオリーブの手を借りて自室へ戻ろうとした。
そこに、夫人と娘が姿を見せたのは、どこかでこの時を待っていたのだろう。
「王女殿下、よろしければ我々とお茶でもいかが?」
男たちがシガールームで腹の内をさらけだし、お互いの結束を強めるのと同じように、女同士は茶席を通して友好を確かめ合う。
断っても良かったが、もし断れば、その事実が少なくともこの領内に瞬く間に広まるだろう。
そしてそのことは、王子妃候補、ひいては王子と領内に微妙な軋轢を残す。
そうでなくとも、この夫人と娘の表情は、友好的とは思えなかった。
鉱山を巡った契約に、不満があるのだろう。
招待を受け、彼女たちの考えを聞いてみるのも悪くない。
「我が領の鉱石で国が栄えるというのは、誉れ高いことでございますわね」
「そうよね、お母様、この価値を国が認めて下さって、感謝しかございませんわね」
「当家はこの国に忠誠を誓っておりますもの、ええ、それはもう」
「仮令領民が労働を課せられたとしても、仕方のないことですわねえ」
香り高い紅茶を飲みながら、そんな香ばしい話をしているのが、不満を持っている証拠だ。
要は、もっと高く買い取れ、という遠回しな要求だった。
雪乃は、ぼんやりと笑った。
肯定も否定もする気はなく、ただ、この時間が早く過ぎ去ればいいなと思っている。
彼女たちは、そんな雪乃の様子を見ているうちに、次第に笑顔を消していった。
「……王女様は、第二王子殿下と仲がよろしいのですか? このような遠い場所までご一緒なさるとは」
うふふと笑って見せた。
娘が、あからさまに嫌な顔をした。
「昨今の外交政策について、王女様はどう思われます?
食料品の輸出先が減っていると言いますし、宝飾店も石の供給が足りないと価格を吊り上げてまいりますの。
このままの路線でよろしいのかしらと、民として不安に思いますのよ」
やはり、報復として経済制裁が行われているようだ。
どうやら、いくつかの連合国内の王家が共闘しているらしく、レヴァーゼ以外の国とも輸出入の割合を変えたらしい。
当然、先を見越した戦略であり、いずれはいくつかの国と有利な条約を結び、またいくつかの国を支配下に置くことで、次第に落ち着いていくはずだ。
雪乃は、うふふと笑って見せた。
彼女たちにそんな話をする必要もない。
「……王女殿下、シリル王子を支えていただけているのでしょうか、本当に。
こう言ってはなんですが、他国からいらした方ですし、もっと学ぶべきでは?
この程度の話もできないようでは」
「そうですわ、これでは王子様が可哀想です!
もっと、シリル様にお似合いの王子妃を選ぶべきだと思いますわ!」
「ええええ、例えばこの子。
我が家で大切に育てた、この国に愛を持った娘で、見た目も外交に必要な美貌をそなえていると思いませんこと?
ねえ王女殿下、もし、あなた様が婚姻を拒否すれば、この子が王子殿下の隣をあなた様以上に守って差し上げられますのよ」
首を傾げ、うふふと笑ってやると、彼女たちはとうとう、扇を閉じて握りしめ始めた。
そして、二人で顔を近づけ、こそこそと話をする。
「全然通じてないのかしら、もしかして言葉が分からないの?」
「ねえ母様、噂があったじゃない、今度の姫君は呪われている……って」
「噂だと思っていたけれど、どうやら本当のようね。ぼんやりしてへらへら笑ってるだけで、まるで人形だわ」
「あれ……やりましょうか」
「そうね、馬鹿げた計画だとは思ったけれど、有効かもしれないわ」
丸聞こえだが、こちらをあなどって、そもそも隠す気もないのかもしれない。
母親が合図をすると、入り口から、兵装をした男が現れた。
平民のようだ。
「お前、この方を寝室にお連れしなさい。そして予定通りに。
実際に手を出さなくてもいいわ、おそらくあと……30分ほどでシガールームも解散になるでしょう。
部屋に戻った王子殿下が、寝室で何があったか分かればそれでいいの」
「俺は処罰されませんか……」
「お前は旦那様のお気に入りじゃないの。
私と娘が、王女がお前を強引に寝室に引き入れたと証言するわ、旦那様も全力でかばうでしょうから、問題はないわよ」
自慢ではないが、前世でも勿論今世でも、雪乃は乙女だ。
それでも、何が計画されているのかはわかる程度に、耳年増でもある。
男が部屋に入り、雪乃に向かって手を伸ばした──そこを、扇で強く打ち据えた。
「いてっ!」
大して痛くもないだろうに、驚きをそう言葉にした男は、わずかに下がる。
雪乃は言った。
「触るな」
秘書室勤務だった雪乃は、前世で地位の高い人間たちと多く関わって来た。
彼らが、立場と自信によってどう振舞うか、本当に間近で見てきた。
声は低く、張りがあり、視線は常に合わせている。
焦らず戸惑わず、もしくはそれらを決して外に出さず、動作はゆったりと。
「お前。ブーツの紐がとれかかっているな」
雪乃が声をかけると、男ははっとしたように足元を見た。
しかしすぐに、視線を戻し、かがみこんだりはしない。
「型が崩れているからだ。そしてそれは、自分で何度も縫ったからだな」
男が息を吸い込む。
視線はぶれないが、わずかに手が震えていた。
「革用の針と糸は、そこらのものよりも高価だ。針先ももう潰れているのを、無理に使っているのだろう。
おまけに補修が重なり、元の穴では用をなさないゆえ、少しずつ針刺し位置を変えている。
だがもうお前の知る通り、その靴は限界をこえている。
実戦においても、移動でも、逃走でも、足元の安定は何にも勝る。
お前はその靴で、実力の半分も出せぬまま生きている」
ぽかんと口を開けている母娘に対し、男の顔はどんどん白くなっていく。
「お前に与えられた仕事は、主の妻の気に入るよう振舞うことでもなければ、高貴な身分の女を襲って使い捨てにされ死んでいくことでもない。
領土を、民を、ひいては己の家族を守り、戦うことだ。
私に手を出せば、お前はそれらを捨てて死ぬことになる。
なにせ、靴ひとつでお前の安全を守ろうともしない主というのが、王子殿下の前に立ちはだかって守ってくれるとは思えないからな」
男の手が、だらりと落ちた。
娘の目は、雪乃と男と男の靴の間を、きょろきょろとせわしなく行ったり来たりしている。
母親の方は、まだ呆然としている。
雪乃のターンではないので、こちらも黙った。
しばらく、誰も何も言わない。
すると、外からノックがあり、答える間もなくドアが開く。
現れたのは、なにやら息を弾ませたシリルで、その後ろからオリーブが必死に覗き込んでいた。
この侍女、男が入って来た瞬間に、ドアの隙間からするりと抜け出て行ったのだ。
逃げたのかと思っていたが、どうやらシリルを呼びに行ったらしい。
彼は、ぐるりと室内を把握すると、息を整えながらゆっくりと雪乃の傍に来た。
雪乃が言葉巧みに男を押しとどめていた場面は、入室よりもずっと前だから、シリルには実際になにがあったか分からないだろう。
それでも、男が突然入って来た、というオリーブの報告で、すぐさま戻ってきてくれたらしい。
正直、助かった。
「……今夜は疲れたから、退室させてもらってきた。
さあ、君も早く寝るように言っていたはずだけどね。何の話をしていたの?」
「こちらの娘さんがぁ、あなたと結婚したいんですって。素敵じゃなぁい!」
雪乃の答えに、全員がぎょっとした顔をした。
母娘はあからさまに挙動不審になり、兵士の男は、目を真ん丸に見開いている。
「ふうん。一国の王女と取り換える価値が何かあるかな?」
「愛ですよぉ、愛!」
「ならばやはり、交換はお断りしますよ、ホール夫人。私の愛は、ウエンディのものだからね」
ないものをあるように言い切るシリルに感心する。
ほ、ほほ、と夫人は笑った。
「も、もちろんでございます殿下、若い娘のほんの夢見るような戯言でございます、まさか王女殿下が本気にしてしまうとは思いませんで、母として謝罪致しますわ」
「もちろん、もちろんそうだ、夫人。私もウエンディも、そなたらが本気で言っていたとは思っていないよ。
なぜなら、本気ならばそれはもう、一領主一家の政権介入だからね、その意向を陛下に伝え、この地が中央に食い込もうとしていると報告せねばならない。
まさかそんなことを、夫人が言うはずがない」
言いませんとも、と、夫人が消え入りそうな声で答えたことに満足したのか、シリルは雪乃を連れて寝室へと戻った。
廊下の左右に、王宮騎士が護衛としてつくが、シリルは何度か左右を確認してから、ようやく中へ入る。
「何があった?」
さてどう答えようか。
本当のことを伝え、あの母娘をぎゃふんと言わせたい気持ちもあるが、それは得策ではないと理性がささやく。
事実を知ればシリルはホール家を罰せねばならず、そうなれば、鉱山の契約に余計な時間がかかる。
レヴァーゼへの経済制裁を強めるために、この話はできるだけスムーズに進まなければ困るのだ。
「何ってなんですかぁ? あの娘さん、あなたのことが好きなんですって、それだけよぉ」
「……そうか」
シリルも少し迷ったようだが、とぼけるウエンディに乗ることにしたようだ。
それでいい。
「悪かったな。王子妃に食い込みたいという人間はどこにでもいるものだ。
以後王城の外では、私か、オリマーがお前の傍にいることにしよう」
オリマーというのは、40代くらいのシリルの片腕で、彼自身が侯爵位を持っている。
その辺の貴族など、爵位、役職ともに問題にならないほど高いため、よほどでなければ地位で相手を無力化できそうだ。
「それはそれでめんどくさそうねぇ……」
疲れ切った雪乃は、早々に寝支度をして床に就いた。
それなりに危機的な状況であったにしては、ぐっすり寝たらしい。
翌朝、帰都の準備をするようにと早朝に侍女に起こされるまで、一度も目が覚めなかった。
いつもより早いが、どうやら、昨夜の出来事を機に、二日ほどだが視察を早く切り上げるらしい。
見送りはホール子爵と護衛達だけだった。
「あの、殿下、前倒しでのご出立ですが、何か不手際でもございましたでしょうか……」
「いや、出来るだけ早期に契約の内容を詰めるためだ。そなたらの準備が十分であった証拠だから、気を回す必要はない。
だがそうだな、実際に判を押す時は王都へ来てもらうことになるが、その際、夫人と令嬢には遠慮してもらおう」
日程を早めたことで不安そうだった子爵は、最後の言葉でさらにおどおどし始めた。
それはどういう、と聞きかけたが、この場で使者と使用人全員に聞かせていい内容ではないと推測したのか、その先を呑み込んだ。
勘のいい男だ。
そうして、雪乃とシリル達は、王都へと帰還した。
それから一カ月ほど後になって、ハートリー・ホール子爵が王城を訪れた。
適正な値段で、鉱山の国家占有取り引き契約を済ませた子爵は、その功績を称えて王への謁見を許された。
謁見室には、壇上に王と王妃、右サイドに王子たちと雪乃、左サイドに重鎮たちが並んでいる。
呼びこまれた子爵は、息子二人と護衛を一人、連れていた。
ほどよい緊張はあるものの、必要以上に固くならず、王に賜った褒美にも穏やかに礼を述べている。
やはり、出来る男だ。
「時に」
全てが終わり、退室間際、王が思いついたように言った。
「細君と令嬢になにやら問題があったとか」
子爵はさすがに、ぴりっと顔を強張らせた。
そして、少し小さな声で、
「まことにお恥ずかしいことでございます。
使用人や当家に仕える護衛たちのための予算を使い込んでおりました。
私が把握できていなかったために、彼らにはつらい思いをさせてしまいました」
「そんなものは当主の仕事ではない、そのための家令だろう」
王は、少しだけ呆れたように言う。
「おっしゃる通りにございます。当家の家令は、歳を……とりました。
本人のまだ仕えたいという気持ちを汲んでおりましたが、こたびのことで隠居を申し渡し、同時に妻と娘も実家に帰らせました」
「ふむ。甘い処分だが、シリルに言わせれば、それがお前の美点だそうだ」
「……もったいなきお言葉」
「国の事業を任せるにあたり、今後は領主として、上に立つものとして、そして王家に仕える者としての厳しさを身に付けるがいい」
「肝に銘じ、息子ともども、ここにさらなる忠誠を誓う所存でございます」
肯いた王を見て、宰相が退室を促した。
ホール子爵は、丁寧な礼をする。
後ろの息子と護衛もそれに合わせ、正面と右側に二度の礼をした。
その時、雪乃と護衛の目が合った。
その足には、立派なブーツが履かれていた。
あれならばきっと、強く、速く、走れるだろう。
にっ、と笑って見せると、彼は、雪乃に向かってもう一度深々と礼をした。
この鉱山を皮切りに、アウリラ地方国は国内資源を強化し、どんどんと国力をつけた。
そして一年後。
レヴァーゼ国は連合国に攻め入られ、歴史からその名を消した。




