エピローグ(パーシヴァル視点)
約三ヶ月に及ぶ海外出張から、ようやく帰国することが出来たのは早朝のことだった。
パーシヴァルは王城にて必要最低限の引継ぎ作業だけを終えると風のように帰途へ就いた。
周囲も空気を読んで引き留めるような無粋な真似はしない。何故ならパーシヴァルは自他ともに認めるほどの家族第一主義者だからだ。結婚するまでは仕事一筋だった姿を知る者は苦笑を禁じえないほどに、すっかり宗旨替えをしたパーシヴァルは、大量のお土産と共に慣れ親しんだ屋敷の門を潜る。
時刻はまだ昼過ぎ。
ちょうど、春の花々が咲き誇る瀟洒な庭園に、パーシヴァルは愛しい人の姿を見つけた。
「――マーガレット」
呼べば、庭園の一角にある大きなアカシアの木の下に備え付けられたベンチで一人、静かに本を読んでいた彼女が弾かれるように顔を上げる。
そのペリドットの瞳が自分を映す瞬間が堪らなく好きだ。
彼女は予定より早い帰宅に驚きからか二度ほど瞬きをした後で、
「パーシヴァル様」
蕩けるように、幸せそうに、微笑む。
二十三歳になったマーガレットはすっかり少女から大人の女性へと変貌を遂げているが、こうした表情をすると途端に幼くなる。自分や特定の人物にしか見せない無防備な表情。
パーシヴァルが速足で近づけば、マーガレットもベンチからゆったりと立ち上がる。
「待って、動かないで。そのままでいいから」
慌てて制止の声を上げたパーシヴァルに困ったように笑う彼女は、ベンチの上に本を置くとそのまま両手を大きく広げた。パーシヴァルはその柔らかな身体を正面からそっと、包み込むように優しく抱きしめる。
「おかえりなさい、パーシヴァル様」
「うん、ただいま。長いこと留守にしててごめん」
「……お仕事なのですから、どうか気になさらないでください。無事に帰ってきてくれれば十分ですから」
「相変わらず俺の奥さんは優しい……そうだ、体調はどう? 崩したりしてない?」
「ええ、ここのところ体調も良いですし――あ」
言葉を詰まらせたマーガレットがどこか照れくさそうに破顔する。
「……今、動きました。この子もお父様に『お帰りなさい』って言ってるのかも」
「本当!? それは嬉しいな……!」
パーシヴァルはゆっくり抱擁を解くと、マーガレットの少し膨らんだ腹部にそっと手を触れる。
するとタイミングよく、彼女のお腹の内側からぽこんという返事が振動として伝わってきた。思わず表情が緩んでしまうパーシヴァルを嬉しそうに見ながら、マーガレットが囁くように告げる。
「最近はかなり活発に動いているんですよ? お医者様からも順調に育っているってお墨付きをいただいてますし」
「それは良かった……本当にごめんな、妊娠中に家を長く空けることになって」
「うふふ……大丈夫ですよ。屋敷のみんなが協力してくれますし、私が丈夫なのは知っているでしょう?」
「そうかもしれないけど、心配なものは心配なんだよ……君に何かあったら、俺は平静ではいられないんだ」
真剣な面持ちで言えば、マーガレットがくすぐったそうに頬をほんのりと染める。
その可愛らしさに吸い寄せられて、パーシヴァルは彼女の唇に自分のそれを重ねる。はじめは触れる程度。だが徐々に深度を上げていけば、そこからは手加減も忘れて貪ってしまう。
何せ三ヶ月ぶりなのだ。このくらいは赦して欲しい。
「っ……だめ、ここ……外だから……っ」
「……大丈夫。誰も見てないよ」
実際には当然ながら少し遠いところに使用人達が息を潜めつつ控えているし、このやりとりもバッチリ見られているが――
羞恥心よりも目の前の愛しい存在を確かめることに忙しいパーシヴァルは、そんな言い訳をして行為を続行しようとする。
だが、そこへ思わぬ伏兵が現れた。
「あー! おとうさま、かえってきてる!」
背後からその声が聞こえた瞬間、流石のパーシヴァルもマーガレットを解放せざるを得なかった。
パーシヴァルは最後に妻の滑らかな朱色の頬に唇をそっと当てると、数歩下がってからゆっくり身体ごと後ろを振り返る。すると視界の先に、艶やかな白金の髪をツインテールに結った可愛らしい幼女が駆け寄ってくる姿が飛び込んできた。パーシヴァルは破顔と共に地面へと膝を折る。
「ただいま、リリィ」
「おかえりなさい、おとうさまっ!」
無邪気な子犬のように勢いよく胸へ飛び込んできた愛娘を悠々と受け止め、そのまま肩の高さまで抱き上げてやる。一気に視線が上がったのが嬉しいのか、コロコロと可愛らしい笑い声が庭園に響いた。
今年四歳になる長女のリリィ。
その見た目は最愛のマーガレットそっくりである。
当然ながらパーシヴァルはこの愛らしい娘を目に入れても痛くないほどに溺愛していた。
日増しに重たくなる体重に成長を実感しつつ、パーシヴァルは唯一自分の色を引き継いだ金色の瞳を覗き込む。
「留守の間、良い子にしてたか?」
「うんっ! だってリリィ、もうすぐおねえさんになるんだもん!」
「そうか、偉いぞリリィ。そんな良い子のリリィには珍しいお土産がたくさんあるからな」
「ほんとっ!? おかしある?」
「もちろん。さ、お庭で遊んでいたのなら、そろそろお昼寝の時間だろう? 起きたらお母様と三人一緒におやつにしよう」
「わかった!」
聞き分けの良い返事をする娘の頬に口づけて、パーシヴァルは音もなく近づいてきた侍女ナタリーの腕の中にリリィを預ける。その時、未だにキスの余韻が抜けきらずぼーっとしていたマーガレットに対して、ナタリーに抱っこされた娘がにっこりとしながら話しかけた。
「おかあさま、おとうさまがかえってきてよかったね! ずっとさみしいって、いってたもんね!」
「リ、リリィ!? それは内緒のお話って言ってたでしょう!」
「あ、そうだった!」
失敗したとばかりに小さな口を両手で覆う愛娘の頭を、パーシヴァルは思わずぐいぐいと撫でる。
「……いや、お手柄だぞリリィ。そうか、お母様は寂しがってたんだな?」
「パーシヴァル様っ!?」
「リリィもさみしかった! でも、おかあさまのほうが、リリィよりちょっとだけ、しょんぼりしてた!」
「~~~っ!! も、もう二人とも、この話は終わりですっ!」
赤面するマーガレットに不思議そうな顔を向けるリリィは、女主人の意を汲んだナタリーによって抱きかかえられたまま、屋敷の方へと連れて行かれた。
そうして再び二人きりになった庭園で、パーシヴァルは最愛の妻の頬をゆるやかに撫でる。
「寂しかったんだ?」
「……意地悪」
「ごめんごめん。でも、俺も寂しかったよ」
「――本当ですか?」
「俺は君にだけは決して嘘はつかない。知ってるだろう?」
コクンと素直に頷く彼女をもういちど腕の中に閉じ込める。自然とこちらの背中に回された腕の感触が嬉しい。華奢な首筋に顔を伏せて「愛してるよ」と囁けば、同じだけの熱量で「私も愛しています」と返される。
固有魔法によってその言葉が嘘か本当か分かってしまうパーシヴァルが唯一、安心して言葉を聞くことが出来る相手でもある彼女の存在は、今日も自分の足りない隙間を埋めてくれる。
あの偽りの結婚から六年――甘えるのが非常に下手だったマーガレットが少しずつ、でも確実に可愛らしい我が儘を言えるようになり。
結婚三年目にはリリィという娘に恵まれ。
そして今、もう一人家族が増えようとしている。
「夏にはこの子も生まれて、リリィにもそろそろ固有魔法が発現する頃か……」
「……ええ、時が経つのはとても早いですね」
少々苦みを含んだマーガレットの声に、パーシヴァルの眉間にも自然と皺が寄る。
おそらく彼女は危惧しているのだろう。パーシヴァルもマーガレットも固有魔法の能力値は非常に高い。つまり二人の娘であるリリィや、この先生まれてくるだろう子も、もれなく強力な固有魔法を授かる可能性が高いのだ。
しかしそれは決して良いこととは言い切れない。
実際パーシヴァルは王家直々に能力制限が掛けられているし、その生き方はある程度、国に縛られてしまっている。
そしてマーガレットの固有魔法も、本当の力――つまりワーズワースの血縁のみならず、老若男女好きに変身することが可能であること――が把握されれば、おそらく諜報活動要員として一生涯、国に従事させられることだろう。
だからパーシヴァルは、未だにマーガレットの本当の固有魔法を王家や国に偽っている。
エドガー王太子殿下も例外ではない。
この秘密は、マーガレットと二人、墓場まで持っていくつもりである。
「もしこの先、子供たちが固有魔法で悩む日が来たら……その時は俺たちで出来る限りのことをしてやればいい。きっと大丈夫だよ」
「……ありがとうございます、パーシヴァル様」
「それは……何のお礼?」
「本当に、心強いなって……不安になることはきっとこれからいくらでもあると思います。でも……パーシヴァル様となら、乗り越えていけるって信じられるから」
だから、ありがとうございます――と、マーガレットは顔を上げてパーシヴァルを覗き込みながら目を細める。しかしパーシヴァルからすれば、お礼を言うのは自分の方だ。
彼女と出逢えなかったらきっと、自分は本当の意味での幸福を知らないままだった。
真実だけを映し出す瞳に苦悩しながらも、他者の嘘と折り合いをつけて生きる。
それは決して不幸ではないかもしれない。
けれど心から愛し愛される喜びを知ってしまったパーシヴァルからすれば、やはりそんな未来は選べない。
だからパーシヴァルはマーガレットや子供たちを守るためならば嘘も平気で吐くし、相手を騙すことも厭わない。
すべてはこの平穏な日常を守るために必要なことだから。
「……マーガレットは、今、幸せ?」
パーシヴァルの何気なさを装った、しかし本当はとても重たい質問に、
「はい、とても」
マーガレットはいつもと変わらない笑みで応える。
その濁りのない柔らかな声の響きに自分こそ幸福を感じながら。
控えめに、だけど確かに甘えるようにすり寄ってきたマーガレットへ、パーシヴァルは何度伝えても足りないほどの甘さで「愛してる」を囁いた。
【了】
マーガレットとパーシヴァルの物語はこれにて閉幕となります。
応援してくださる方々のおかげで、本作も無事に完結することが出来ました。
改めて厚く御礼申し上げます。
もし本作を気に入ってくださった方がおられましたら、ぜひ評価やご感想、いいねなどで応援いただけますと嬉しいです。
本当に最後までお付き合いいただきありがとうございました。
また別の作品でもお目に掛かれたら幸いです。




