その4
「マーガレットさえよければ、これからも息子の傍に居てやって欲しい。どうやらパーシヴァルは、君じゃなければ幸せになれないようだからね」
侯爵のその言葉に、マーガレットは即座に頷き返すことが出来なかった。
マーガレットの気持ち自体は単純明快だ。パーシヴァルが好きで、ずっと傍に居たい。
叶うならば、彼と共に生きていきたい。ただそれだけ。
半面、こうも考えてしまう。
自分は本来ならばパーシヴァルと釣り合うような存在ではない。自分は伯爵家で冷遇され続けてきた訳あり令嬢で、彼は筆頭外交官として活躍する未来の侯爵。そこには大いなる隔たりがある。
そもそも奇跡のような偶然により、マーガレットはパーシヴァルに救って貰ったに過ぎないのだ。
彼に相応しい女性はもっと高貴で、清廉潔白なご令嬢のはずなのだ。
それこそ亡くなってしまった彼の婚約者のような。
だから自分のような人間が彼の手を取ってもいいものなのか、どうしても迷いが生じてしまう。
(――だけど、それでも)
マーガレットは目を閉じて軽く息を整えた後、侯爵の目を真っ直ぐに見て口を開いた。
「本当は私のような者はパーシヴァル様には相応しくありません。ですが、それでもお赦しいただけるのであれば……パーシヴァル様のお傍に居させてください」
それは祈りにも似た願いだった。
伯爵家での生活で十年以上の間、失われていた願望という名の我儘。それを口にする勇気をマーガレットは確かに得ることが出来たのだ。他ならぬパーシヴァルが隣に居てくれることによって。
そんなマーガレットの答えに、侯爵は深々と頷いてみせた。
「勿論だとも。逆にマーガレットが嫌がってもパーシヴァルの方が無理やりにでも閉じ込めてしまいそうで、そちらの方が心配にはなるが」
「そのようなことは……」
「――いや、俺はマーガレットが離れていきそうになったら全力で逃げないように繋ぎ止めるよ?」
当然のことのように言ってパーシヴァルはようやくマーガレットの首元から頭を上げた。
その表情はどこか不満げである。
「……散々言ってるのにあまり伝わってないようだから何度でも繰り返すけど」
パーシヴァルはマーガレットから離れると、姿勢を正してこちらと向き合う。
「俺はマーガレットのことを愛してる。一生を共にしたいと思ったのは君が初めてなんだ」
「っ……!!」
「マーガレットは? 俺のこと好き?」
僅かに不安を滲ませながら訊いてくる彼にマーガレットは真っ赤な顔でコクコク頷く。
途端にパーシヴァルが表情を緩めるので、もう胸がいっぱいで何も言えなかった。
「もうっ! パーシヴァルったら、あまりマーガレットを困らせるものじゃありませんよ?」
「マーガレット、もしパーシヴァルに嫌気が差したら遠慮なく相談しなさい。我が領地でのんびり暮らすのも悪くないからな」
侯爵夫妻が冗談交じりにマーガレットへと温かな言葉を掛けてくれる。それでマーガレットは本当に二人が自分を厭っていないのだと肌で感じた。嬉しさのあまり思わず涙が出そうになる。
マーガレットはグッと涙を堪えると、二人に対してふわりと微笑み返した。
「……ありがとうございます。侯爵様、奥様」
「あら、そこはお義父様とお義母様って言って欲しいわ?」
「っ……よろしいのですか?」
「良いも何も、君はもう息子の伴侶で我々の家族だよ、マーガレット」
その言葉に、今度こそマーガレットは我慢が出来なかった。感激して声もなくボロボロと泣き始めてしまった自分を、パーシヴァルが労わるように優しく抱きしめてくれる。
「なにも心配いらない。俺たちがずっとマーガレットの傍に居る」
「っ……パーシヴァル、さま……」
母を喪って以来、もう二度と手に出来ないと思っていたものがこんなにも近くにある。
その幸福を噛みしめながら、マーガレットはパーシヴァルの胸元に顔を埋めた。
夕食を共に囲んだ後で、ホテルに戻る侯爵夫妻を名残惜しくも見送り。
寝支度を済ませたマーガレットは夫婦の寝室のベッド、その縁に腰かけてきた。横には当然のようにパーシヴァルが居て、こちらの肩を軽く引き寄せてくる。彼の胸に寄り掛かる形は少し恥ずかしかったが、同時に圧倒的な安心感を覚えてしまう。
「……そう言えばさっき親父に聞いたんだけどさ」
微睡む空気の中、そんな風にパーシヴァルは話を切り出した。
「ずっと不思議に思ってたんだよ。なんで親父はワーズワース伯爵家との縁談をこんなにも性急に決めてきたのかって」
それは確かに疑問だった。当時のパーシヴァルは婚約者を亡くしたばかり。
年齢的にも二十二歳とそこまで結婚を焦るような状態でもない。結婚の話は一、二年先でも特に問題はなかったはずだ。にもかかわらず、侯爵は渋るパーシヴァルを押し切って婚約はおろか婚姻まで進めた。
そこには何か明確な理由がないとむしろおかしい。
「……お義父様は、なんと?」
マーガレットが僅かに不安を滲ませながら問うと、パーシヴァルはクスリと笑った。
「どうやら夢を看たらしい」
「夢……ですか?」
「といってもただの夢じゃないんだ。親父の固有魔法に関係してる」
【夢看】の固有魔法だと、パーシヴァルは教えてくれた。
「感覚的には予知夢に近いらしいんだが……俺とジュリアの結婚式の様子が看えたんだってさ」
「!? それで……伯爵家に結婚の打診を?」
「うん。これは何としても成就させた方が良いって勘が働いたらしい」
侯爵の話によれば、当時の社交界におけるジュリア・ワーズワースは奇跡的に婚約者も居ない状態だったが、出来るのも時間の問題だったらしい。ジュリアは一つの瑕疵もない美しく完璧な淑女。しかもヘイマー公爵夫人をはじめとする有力な女性貴族にも可愛がられている。
ワーズワース伯爵家についてもマーガレットの醜聞以外は特に際立った問題はなく、まさにジュリアは優良物件として数多くの貴族が縁談の打診をしていたらしい。
そのため侯爵は多少強引と知りつつも早急にワーズワース伯爵と交渉し、無事に婚姻の約束を取り付けたとのことだった。
「そうだったのですか。ぜんぜん知りませんでした」
マーガレットはジュリアの身代わりでしかないので、その辺りの事情には疎かった。
まぁ知っていたからといって、当時のマーガレットに出来ることなど何もなかっただろうが。
と、そこで前触れもなくパーシヴァルがマーガレットを抱き寄せる腕の力を強くした。
「今になってみれば親父には感謝しかないな。もしマーガレットが俺以外の奴と……って考えただけでも頭がおかしくなりそうだ」
あまりにも情熱的な言葉にマーガレットは赤面を禁じえない。
パーシヴァルの言葉や態度は本当に露骨だ。
しかし、だからこそ。マーガレットをこんなにも安心させてくれる。
「……パーシヴァル様」
「うん?」
そんなパーシヴァルにマーガレットは少しでも想いを返したくて。
「私はもう貴方だけのものです。何処へも行きません……いえ、行きたくありません」
恥ずかしさを押し殺しながらも頑張って言葉にする。
「大好きです、パーシヴァル様」
最後に美しい青の瞳を覗き込んで微笑めば、パーシヴァルがぶわっと顔を赤らめた。どうやらきちんと伝わったようでホッとする。
しばらくすると頭上から、パーシヴァルのどこか呆けた声音が聞こえていた。
「……初めて、マーガレットに好きって言われた」
「あれ? そうでしたっけ……?」
「うん……あー、ヤバい。嬉しすぎてちょっと泣きそう」
言って、パーシヴァルはマーガレットの身体をすっぽり包み込むように抱きしめる。
互いの心音が聞こえてきて、それがとてもむず痒い。けど、嬉しい。
「あのさ、審議が終わったら……」
「……はい」
「待たせてた初夜、今度は絶対にするから――覚悟してて」
「っ!? ~~~~……はい」
とてもか細い声で返事をすれば、パーシヴァルが幸せそうに笑う気配がした。




