その1
目が覚めると、何か温かいものに包まれているのを感じた。
思い出すのは十年以上前の記憶。
伯爵家の離れの片隅で母と二人、寒い日はよくこうして同じベッドで暖を取り合った。部屋は確かに寒かったけれど、心は温かかった。今はもうぼんやりとしか思い出せない、優しい記憶。
(……あたたかい)
このぬくもりを手放したくなくて温かい方へと自然に身体を寄せれば、それに応えるように密着度が上がる。同時に頭を撫でられて、やはり子供の頃の夢を見ているのだと錯覚した。
だが、それが大いなる勘違いだとすぐに気づく。
「……かわいいなぁ」
耳元で囁かれた声は明らかに男性のもの。そこでマーガレットは一気に覚醒する。
ハッとして顔を上げれば、とろりと熔けるようなサファイアの瞳がこちらを見ていた。
「おはよう、マーガレット」
「お……おはよう、ございます……?」
「よく眠れたみたいで良かった。そろそろ起こそうかと思ってたから」
微笑み掛けてくるパーシヴァルに目を白黒させながら、マーガレットはとにかく離れなければと身体を起こそうとした。が、
「っ……パーシヴァル様……! あの、腕を……!!」
「うん、ごめん。もうちょっとだけ」
「ひゃあ!?」
まるで腕の中へと閉じ込めるみたいに抱き寄せられて、思わず変な声が出てしまった。恥ずかしさで赤面するマーガレットにパーシヴァルが追い打ちをかける。
「別に恥ずかしがることはないだろ? 俺たち、夫婦なんだし」
「えっ、や、それは……っ」
違うと思います、と否定する勇気はなかった。それを言った途端、パーシヴァルの機嫌が急降下するような気がしたからだ。しかしこのままというわけにもいかず、マーガレットはどうしたものかと頭を悩ませる。本気で抵抗すれば抜け出すことも出来るだろうが、本音を言えばマーガレットだって別に嫌ではないのだ。ただ恥ずかしいだけ。言葉にすればきっと、その偽りすらも見抜かれてしまう。
八方塞がりのマーガレットだったが、救世主は部屋の外から訪れた。
二度のノック音と共に聞こえてきたのは馴染みのある女性の声。
「……旦那様、入室してもよろしいでしょうか? 朝食のご用意も整っておりますが」
「あー、うん。少し待って」
パーシヴァルは扉の向こう側へ返事をすると、
「残念、時間切れだ」
次いでマーガレットにだけ聞こえるように囁き、腕の中から潔く解放した。ホッとすると同時に、ほんの少しだけ名残惜しく感じてしまった自分を見つけて内心狼狽する。思わず手近にあった枕を拾って顔を隠すべく押し付けると、パーシヴァルがクスクスと可笑しそうに声を漏らした。
「ごめん、そんなに恥ずかしがるとは思わなくて。俺は先に行くからゆっくり支度して。一緒に朝食をとろう」
マーガレットの頭をひと撫でしてから、パーシヴァルは上機嫌で部屋を出て行く。入れ替わりに入ってきたナタリーは、未だにベッドの上で枕を抱えて座り込むマーガレットを見るやいなや、
「……まったく、旦那様にも困ったものですわね」
と、愚痴っぽく呟いた。しかしすぐさま気持ちを切り替えたのか、彼女はマーガレットの傍に寄ってくると一転して優しく声を掛けてくる。
「おはようございます――奥様」
「……おはよう、ナタリー」
マーガレットはそろりと枕から顔を上げてナタリーを見た。今の自分の姿はジュリアではない。だが、彼女は何も詮索せずに自分をパーシヴァルの妻とみなして丁重に扱ってくれる。
身支度を手伝って貰いながら、マーガレットは思い切ってナタリーに話を切り出した。
「あの……ナタリーは、気にならないんですか? 私の姿のこととか……」
「それはもちろん気になりますけど。でも容姿が違うだけで、奥様の中身は何も変わっていませんし」
「……そう、かな?」
「ええ。表情や仕草、話し方なんかでその辺りは分かりますよ? 何より……今のお姿の方が奥様らしいと感じています。こちらが実際のお姿なんですよね?」
コクリと頷けば、ナタリーは長年の疑問が解けたと言わんばかりに微笑んだ。
「どうりで旦那様が奥様のお衣装を選ばれる時に色に厳しかったのか分かりましたわ。旦那様は、本来の奥様に似合う衣装を選ばれていたのですね」
「っ……!!」
言われて初めて気づいた。確かに違和感はあった。
チョコレート色の髪とルビーの瞳のジュリアと、白金色の髪とペリドットの瞳のマーガレット。
両者の持つ色は大きく異なっているので、自然と似合う色も異なってくる。その点においてパーシヴァルから贈られる衣装や装飾品は、思い返せば明らかにマーガレットに似合う色で統一されている。
(本当に最初からずっと……私の姿が分かってたんだ)
胸の奥がぎゅっと疼く。
知らない間にずっと大切に守られていたのだと、改めて実感した。
着替えを済ませて食堂へ赴くと、パーシヴァルが待っていた。
席につくとすぐに朝食が供される。
「あの、パーシヴァル様。私の姿は本当にこのままで宜しいのでしょうか?」
「勿論。というか、もうあの姿になる必要はないから」
使用人を下がらせ、二人きりとなった食堂でパーシヴァルが言う。その表情は真剣そのものだった。よほどマーガレットに固有魔法を使って欲しくないらしい。
「パーシヴァル様は、私の固有魔法についてどれほどご存じなのでしょうか?」
思わず尋ねれば、パーシヴァルは「ある程度は推測だけど」と前置きをしてから答えた。
「自分や他人の姿を任意で変えられる【変身】の固有魔法――違う?」
「……いえ、御明察の通りです」
「ちなみに細かい条件とか制約とか聞いても大丈夫?」
「はい、もちろん」
マーガレットに隠す気はない。母と約束した事柄まで含めて、ひとつひとつ丁寧に説明をした。
すべてを聞き終えると、パーシヴァルはどこか遠い目をしながらポツリと零す。
「……これは、マーガレットの母君に感謝するしかないなぁ」
「母に……ですか?」
「うん。もしワーズワース伯爵が君の本当の力を知っていたら、たぶん今の状況にはなってないから」
「と、仰いますと?」
「一言で説明するのは難しいんだけど――」
パーシヴァルが言葉を続けようとした、その時。
「――旦那様、失礼いたします」
どこか硬い面持ちをしたグレアムがこちらの返事も待たずに食堂へと入ってくる。
それを見たパーシヴァルは、先んじて口を開いた。
「……来たか。何人だ?」
「――三名です。いかがいたしますか?」
「追い返しても諦めずに来るだろう。とりあえず応接室に通してくれ」
「承知いたしました」
命令を遂行すべくグレアムが踵を返す中、マーガレットは不安を隠し切れないままパーシヴァルを見つめる。するとこちらの視線に気づいた彼は、何も心配することはないと言わんばかりに微笑んだ。
「大丈夫だよ、マーガレット。俺は君を決して手放したりはしない」
「……では、やはり」
「ああ、招かれざるお客様だ」
つまりはワーズワース伯爵家の三人が来たということ。
昨夜のことを思い出して反射的に拳をぎゅっと握り締めるマーガレット。するとパーシヴァルは立ち上がり、座ったままのマーガレットを背後からそっと抱きしめた。
驚く間もなく、パーシヴァルが言う。
「とりあえず前哨戦といこうか」
その声はどこまでも強く、自信に満ち溢れていた。




