その7(パーシヴァル視点)
「――つまり、純潔でない妹の身代わりとして初夜だけ成り代わるつもりだった……と?」
夫婦の寝室で最愛の少女がコクンと恥ずかしそうに頷くのを可愛いなと思いながら。
杜撰すぎる計画を立てたというワーズワース伯爵家に対して、パーシヴァルは盛大に溜息を吐いた。
「馬鹿げたことを……」
と言いつつも、そのおかげでマーガレットという唯一無二と出逢えたことも事実。
釈然としない気持ちはあるものの、その一点については感謝してもいい。そう考える程度には、パーシヴァルにとってマーガレットは特別だった。
――馬車でのやりとりから数十分後。
こちらの説得が利いたのか腕の中に大人しく収まったマーガレットを文字通り抱きかかえてストラウドの屋敷に戻ったパーシヴァル。だが主人の予定外の帰宅と謎の女性連れという状況に、屋敷内は一時騒然となった。
パーシヴァルは取り急ぎグレアムとナタリーを呼ぶと、まずはナタリーにマーガレットの怪我の治療と、土などで汚れた身を清めさせることを最優先とした。
こちらの命令にナタリーは表情こそ困惑を滲ませるが、無駄口は叩かずに指示に従う。パーシヴァルからマーガレットを預かると、ナタリーは速やかに彼女を浴室へと案内し始めた。
一方、そうもいかない立場のグレアムはパーシヴァルに小声で説明を求める。
「若、いったいこれはどういう状況なのでしょうか?」
「とりあえず結論から言うが……姿は違うけど彼女は俺のリアだ。本当の名はマーガレット」
「……は、あ……はああ????」
「詳細は明日にでもまとめてするから、今日のところは休ませてくれ……流石に疲れた」
こちらの包み隠さない態度に、グレアムが言いたいこと全てを一旦は呑み込んだのが分かった。
「~~~っ……承知いたしました。明日、改めてお伺いします」
こういう敏いところは大変助かる。
一礼した後で他の使用人達に指示を出し始めるグレアムの背を見ながら、パーシヴァルは窮屈な首回りを緩めて髪を乱雑に掻き上げた。王城内を走り回ったため、自分もそれなりに汗を掻いているし疲弊もしている。
(……とにかく、間に合って良かった)
屋敷という己のテリトリーに戻ったことで気が緩んだのだろう。強く握りしめた拳を額に当てながら、パーシヴァルはしばしその場で立ち尽くし、精神を落ち着かせるように目を閉じる。
そうして思い出すのは、マーガレットを助け出すまでの出来事。
飲み物を取りに行って戻ってくれば、そこに居るはずのマーガレットの姿は既になかった。
普通なら化粧室にでも向かったのだろうと考えるところだが、律儀なマーガレットに限ってそれは考えにくい。故にパーシヴァルの脳裏に浮かぶのは彼女の実家の面々の顔。
少しの間だからといって一人にすべきではなかった、と後悔しても始まらない。
パーシヴァルはすぐさま行動に移った。ひとまず近くにいた女性の給仕を呼び止めると、妻が化粧室にいないか確かめてきて欲しいと頼む。さらに別の給仕へは急ぎ待機所からストラウド侯爵家の使用人を呼ぶように手配させた。
そんなパーシヴァルの焦った様子を見て心配になったのだろう。近くにいた職場の同僚が声を掛けてくる。パーシヴァルは端的に「妻とはぐれた」と口にしながら、別の質問を投げかけた。
「ワーズワース伯爵家の方々を見かけなかっただろうか? この会場には居ないようだが」
「こっちの会場にいないのであれば、中ホールの方じゃないか?」
「そうだな……そっちにも人を向かわせてみるよ。ありがとう」
同僚にお礼を口にしながらも、パーシヴァルは内心で舌打ちしたい気分だった。王家主催のこの夜会はとにかく規模が大きい。会場が二つに分かれていることから人の出入りも活発なため、ひそかに特定の人物を探すのにも時間が掛かる。
(最悪、殿下に借りを作ってでも手を貸してもらうべきか――)
先ほどから嫌な胸騒ぎが治まらない。
パーシヴァルはやって来た使用人数名に妻の捜索と、万が一に備えて馬車をすぐ動かせるよう手配を言いつける。さらに自身もホールの出入り口へと向かった。ここで待っていても埒が明かない。今この瞬間にも彼女が危険に晒されているのではないかと思うと、居てもたっても居られなかった。
大ホールから王城内の広い廊下へと出る。
少し迷った挙句、あまり人気のない方向へと歩き出したパーシヴァルの背に、
「パーシヴァルさまぁ!」
媚びるように甘ったるい声が投げ掛けられた。
足を止めたパーシヴァルが振り返れば、そこに居たのはチョコレート色の髪とルビーの瞳の少女――ジュリア・ワーズワース。普段ならば会いたくもないが、今の状況では貴重な情報源になるかもしれない人間だった。
そして少女が纏うドレスと宝飾品を目にした瞬間、パーシヴァルは叫び出しそうな自分を必死で抑えつけた。奥歯を噛みしめて声を押し殺す。
そんなこちらの様子を意にも介さず、ジュリアは無邪気な笑顔でこちらへと駆け寄ってくる。
あと数歩で接触するという距離でパーシヴァルはようやく口を開いた。
「……聞きたいことがあるから正直に答えてくれ」
「え? なに、突然……」
「お前の姉……マーガレットはどこだ」
「っ!? そんなの、知らないわ!」
パーシヴァルの言葉でジュリアがあからさまに挙動不審な態度を取る。何かを知っていることは明白だった。逃げられては困るので、パーシヴァルは不本意ながら手を伸ばしジュリアの左肩を掴んだ。本当はこのまま力を加えて痛みを与えたいくらいには憤っていたが、寸でのところで理性が勝つ。
最優先はマーガレットの保護だ。他のことは後で構わない。
パーシヴァルはもう一度低く問う。
「居場所を教えろ。今すぐに」
「やっ……! ちょっと、なんなの!?」
「どこに連れて行ったんだ? 休憩室? それとも別の場所か?」
「っだから! 知らないって言ってるでしょ!」
軽く身を捩りながら抗議の声を上げるジュリアの胸元――ちょうど心臓の位置で黒い光が明滅する。
これがパーシヴァルの固有魔法【看破】の正体。
相手が嘘偽りを述べると、その嘘が視覚情報となり、パーシヴァルに伝達されるのだ。
知らない、が嘘であるならばこの女は確実にマーガレットの居場所を知っている。
絶対に逃がすわけにはいかない。
「……聞き方を変えよう。君は先ほどまで休憩室に居た?」
「っ……そうよ。お父さまたちと一緒に居たわ!」
「だがその場にマーガレットは居なかった、と」
「居なかったわ」
「なら、君は姉が今どこに居ると思う?」
「はぁ? もうなんなの……知らないって言ってるのに」
「やっぱり人気のないところかな? 恋仲の男と一緒にいる……とか」
情報を得るためとはいえ、自分でも吐き気のする言葉を口にするパーシヴァルに、ジュリアが何故か「ああ!」と合点がいったように破顔した。
「そうよね! お姉さまは男好きだし、今頃は逢引でもしていらっしゃるのでは?」
「ッ――なら、逢引に都合のいい場所にいるってことか? 例えば?」
「そんなの休憩室でもなければ、後は中ホール裏手の庭園くらい――」
そこまで聞ければ十分、明確な答えになっていた。
パーシヴァルは掴んでいたジュリアの肩から手を外すと、もはや用はないと踵を返す。
「えっ!? パーシヴァルさまぁ!?!?」
「お前に名前を呼ばれる筋合いはない――失礼する」
そこから走って庭園へと駆けつけた結果、見知らぬ青年に襲われているマーガレットを発見した。
あと少し遅ければ取り返しがつかないことになっていたかと思うと背筋が凍る。
もう二度と、あんな思いは味わいたくないし、彼女にも絶対にさせたりはしない。
(……やるべきことは多くある、が)
手短にシャワーを浴びながら頭を適度に冷やしたパーシヴァルは、ラフな格好へと着替えを済ませて夫婦の寝室へと足を踏み入れる。そこには同じように身を整えたマーガレットが居た。
彼女はこちらの入室に気づくと、飲んでいたティーカップを置いて足早に近寄ってくる。
左頬には大きなガーゼが貼られていて痛々しいが、彼女の表情自体は落ち着きを完全に取り戻していた。
「あの、パーシヴァル様。今日は本当にありがとうございました」
開口一番のお礼に素でキョトンとするパーシヴァルへ、マーガレットが言葉を重ねる。
「助けてくださったこと、まだきちんとお礼を言えていなかったので……あの時、パーシヴァル様が来てくれなければ、私はおそらく――ここへは二度と戻って来られなかったでしょう」
「それは……」
「あの男性が、どうやら私の……マーガレットの婚姻先のようです。今日そのまま私をご自身の屋敷に連れ帰るとも仰っていました」
淡々と告げられた内容に息を呑む。本当に間一髪だったのだ。
そもそもマーガレット・ワーズワースは書類上、パーシヴァルにとって妻の身内という以外は赤の他人に過ぎない。そして彼女に対する決定権は保護者であるワーズワース伯爵が有している。
パーシヴァルがあらゆる手段をもってマーガレットを助け出そうとしても、それなりに時間は掛かっただろう。
その恐ろしさにパーシヴァルは堪らなくなってマーガレットの細い身体を強く抱きしめた。
一瞬、身を硬くした彼女はそれでもおずおずと、こちらの背に手を回してくれる。
そしてゆっくりと撫でてきた。まるで大丈夫だと安心させるように。
期せずして先ほどとは立場が全く逆になってしまったが、それでもパーシヴァルはマーガレットの優しさに甘えた。自分がこんなにも精神的に脆いだなんて、パーシヴァル自身も初めて知った。
そうしてしばらく抱きしめ合った後で。
パーシヴァルは伯爵家の計略と事の経緯をマーガレットから簡単に聞き出した。
妹の身代わりになった理由があまりにもくだらな過ぎて閉口したが、それ以外は凡そ調査した結果の通りだった。
情報を基にパーシヴァルが明日から自分はどう動くべきかを考えていると、腕の中のマーガレットがうつらうつらと舟をこぎ始める。流石に疲れが出たのだろう。
この辺りが限界だなと、パーシヴァルはマーガレットを抱き上げてベッドへと連れて行く。
「……パーシヴァル、さま……」
「続きはまた明日にしよう。おやすみ、マーガレット」
「……はい、おやすみ、なさい……」
まるでスイッチが切れたかのように、マーガレットが深い眠りに落ちる。
その穏やかな寝顔にじんわりとした幸福感を覚えながら、パーシヴァルは名残惜しくも部屋を出ようと身体を起こしかけ――
「……あ」
気づく。こちらの服の裾をぎゅっと握る細い指先。
それほど強い力ではない、甘く柔らかな拘束とも呼べないそれに、自然と笑みが浮かんでくる。
(……まぁ、添い寝ぐらいなら赦されるだろう。夫婦だし)
脳内で言い訳をしながら、マーガレットの横に自分の身体を滑り込ませる。
この五ヶ月ですっかり手触りの良くなった白金の髪をしばし愛でると、パーシヴァルはマーガレットを包み込むように抱き寄せ、そのまま目を閉じた。
石鹸の香りに混じる彼女の淡い匂いに、途方もない安堵を感じる。
「……愛してるよ、マーガレット」
思わず口をついて出たその言葉に。
腕の中のマーガレットがほんの少しだけ、幸せそうに笑ったような気がした。
これにて第6章も終了となります。ここから先は反撃のターンに入りますので(と言ってもそこまで過激なものにはならない予定ですが)、よろしければ引き続きお付き合いいただければ幸いです。
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