その6
ストラウドの屋敷を目指し進む馬車の中で。二人きりの密室で。
完全に固まってしまったマーガレットに対して、パーシヴァルは少し困ったように微笑んだ。
「マーガレット」
「え、あ……その」
「うん。混乱してるのは分かってるから。落ち着いて」
言って、さらに熱をもってこちらの指先を絡め取ってくるパーシヴァルに。
マーガレットは思わずびくりと身体を震わせた。心臓がドクドクと煩い。まるで思考に靄がかかったみたいだ。上手く言葉が出て来ないマーガレットを慮ってか、パーシヴァルは小さな子供に言い聞かせるような優しさで囁く。
「それじゃあ、ひとつずつ順番に話をしていこうか。時間はたっぷりあるから」
「ひとつ、ずつ……?」
「そう。始まりは結婚式の時かな……教会の大聖堂で俺は初めて君を見た」
マーガレットもコクリと頷く。正真正銘、パーシヴァルとの初顔合わせはその場所だった。
あの頃は伯爵家の命に従い、初夜をいかに完遂させるかで頭がいっぱいだった。
「俺はまず君の見た目に驚いた。明らかに貴族令嬢としては痩せ細っていて、顔色も悪かったから」
「……?」
「おまけに話に聞いていた容姿とは完全に別人だったし」
「……えっ!?」
思わず瞠目すれば、パーシヴァルが空いていた方の掌でマーガレットの乱れた髪を整えるように柔らかく撫でた。その手つきはどこまでも甘い。
「チョコレート色の髪とルビーの瞳と聞いていたのに、現れた花嫁は月の光みたいな白金色の髪と透き通るようなペリドットの瞳をしていたから。流石に混乱したよ」
「!?!?」
「一応、周囲から君がどう見えているのかはその時にこっそり確認した。それでなんとなく察したんだ。君はジュリア・ワーズワースではなく、彼女のふりをしている別人だって」
苦笑交じりの言葉にマーガレットは信じられないものを見る目でパーシヴァルを見た。
つまりそれは、最初から自分の固有魔法が彼には通じていなかったということに他ならない。
今まで誰一人として、固有魔法を使ったマーガレットの正体を見破れるものは居なかった。
それなのにどうしてパーシヴァルにはそれが可能だったのか。
こちらの疑問が手に取るように分かるのだろう。パーシヴァルは内緒話をするような近さで、マーガレットの耳元に唇を寄せた。
「――ストラウドの固有魔法について、マーガレットはどこまで知ってる?」
「あ……すみません。なにも知りません……」
「謝らないで。むしろ良かった。家としてはあまり知られてるのも得策じゃないし」
話が逸れたね、とパーシヴァルが穏やかな口調で話題を戻す。
「ストラウドの固有魔法系統は【看る】ことなんだ。それは隠されたものを暴くという性質を持つ」
「隠された、ものを……」
マーガレットはその言葉で以前に街中で会った義弟アランとのやりとりを思い出す。完璧に隠せていたと思っていた肩の怪我を見抜かれたことを不思議に思っていたが、つまりあれは固有魔法によるものだったのだろうか。
「そして俺の固有魔法は【看破】といって……相手の嘘や偽りを見抜く力があるんだ」
「っ!? それなら、本当に最初から――」
「そうだよ。俺は最初からずっと、君の本当の姿しか見ていない。だから言ったでしょ? 俺の妻は最初からマーガレット、君一人だけだって」
何も問題ないといった様子のパーシヴァルだが、マーガレットからすれば問題しかない。
思わず問い詰めるような心持ちでマーガレットはパーシヴァルの瞳を覗き込む。
「どうして……!? 気づいていらっしゃったのなら、どうしてその場で追及しなかったのですか!?」
「理由は色々あるけど……最初は君の置かれた立場への同情とか、酷く痩せ細っていて可哀想とか、そういう気持ちが大きかったかな」
どこか懐かしむようなパーシヴァルに、マーガレットは「同情……」と言葉を反芻する。
確かにストラウド家に来る前の自分は酷くみすぼらしかった。栄養失調で痩せこけた身体。
固有魔法でジュリアの外見になっていたので気にも留めていなかったが、そんな姿をパーシヴァルに見られていたかと思うと別の意味で悲しみが押し寄せる。
しかし同時に、マーガレットはパーシヴァルの行動の意味を理解する。
「……では、私にもっと太るようにと仰っていたのも?」
「うん。とにかく最初の頃は君をいかに健康的な姿に戻すか、そればかりを考えていた」
氷解する疑問と共に、胸がぎゅっと苦しくなる。
(そうか……可哀想だったから、優しくしてくれていたんだ……)
もしかしたら、病気で亡くなったというパーシヴァルの元婚約者も影響しているかもしれない。
彼は本当に優しい人で、困っている相手に手を差し伸べるのが当たり前だと思っている。
つまりマーガレットもそんな彼の優しさが救い上げた存在ということだろう。
本来ならば喜ぶべきことなのに、その事実に深く傷ついてしまう自分の身勝手さと浅ましさに嫌気が差す。
「それは大変……お見苦しいものをお見せしてしまいました。申し訳ありません」
表情を翳らせたマーガレットが謝った途端、パーシヴァルがあからさまに眉を寄せた。
「見苦しいだなんて思ったことはないし、たとえマーガレットでも自分の事をそんな風に言って欲しくはない」
「ですが……」
「マーガレット、聞いてくれ」
パーシヴァルが反論は赦さないと言わんばかりの強い口調で、告げる。
「俺は君に謝って欲しいわけじゃない。責めるつもりもない」
「何故ですか? どう言い繕ったところで私がパーシヴァル様を騙していたことに変わりはありません」
「君が、というよりもワーズワース家が、だろう? マーガレットは逆らえずに指示に従っただけだ」
確かにその通りだが、マーガレットは安易にこちらを赦そうとするパーシヴァルを否定する。
「それでも、罪は罪です。私は赦されないことをしました。その報いは受けるべきです」
「……意外と頑固だな。騙された張本人である俺はそもそも気にしてないんだが?」
「パーシヴァル様だけでなく、事はストラウド侯爵家全体に関わることです」
「あー、まぁそれについてはまた別で考えてることはあるんだけどな……」
とにかく、とパーシヴァルは仕切り直すように言う。
「俺はマーガレットを罰するつもりはないから。事の経緯は一応説明して貰うつもりだけど、それ以外は特に求めてない」
きっぱりと線引きをされてしまい、マーガレットは口を噤む。
明らかになった罪をどう裁くかの決定権はパーシヴァルやストラウド侯爵家にあるのだから、確かに自分の処遇について異議を申し立てるのは筋違いというものだ。頭では分かっているが、どうしても心の方は納得がいかない。それを何かで埋めたくて、マーガレットは提案する。
「それなら……パーシヴァル様は何か私に望むことはありますか? 私に出来ることなら、なんだってしますから」
「……また凄いこと言うなぁ。しかも本心なのか……本当に危なっかしい」
パーシヴァルは何か葛藤するような表情を覗かせた後で、じゃあ、と切り出した。
「ひとつだけ、いい?」
「はい、なんなりと」
「俺はね、マーガレット……君に幸せでいて欲しい」
その言葉で、マーガレットの思考は一時的に止まった。
(……どう、して……)
自分を騙してきた相手にこんなにも優しくするのか。
彼の真意が分からず、マーガレットは胸の苦しさから表情を歪める。
するとパーシヴァルは今までゆったりと撫でていた白金の髪からするりと手を動かし、
「……なんて、何の下心もなく言えればカッコイイんだろうけど――」
苦笑交じりに、マーガレットの右頬へと滑らせた。
包み込まれるように触れた指先が熱い。まるで溶けてしまいそうなほどに。
「――君が好きだよ、マーガレット。だから俺の傍で幸せになって欲しい。別の誰かのもとへなんて、もう渡してはあげられない」
「っぁ……」
「本当に嫌なら拒絶してくれ。そうじゃないなら……俺のものになってくれ」
クラクラする。都合の良い夢だと言われた方が信じられた。
だけど彼の瞳は言葉よりもなお雄弁に、マーガレットを欲している。本気だと、逃げることは赦さないと伝えてくる。
「……駄目、です」
「マーガレット」
「駄目……そんなの、赦されません」
「マーガレット……君は本当に」
続く言葉が、マーガレットを追い詰める。
「嘘が下手だ」
本音を言わない唇を咎めるようにそっと柔らかく塞がれて。
言い訳はおろか呼吸すら奪われながら、マーガレットは暴かれた自らの恋情をパーシヴァルが欲しているのだと、ようやく実感した。




