その6(パーシヴァル視点)
「――嫌だった?」
狡い質問だという自覚はあった。
彼女の性格から考えて、本心かどうかはさておき返ってくる答えは予想が出来ていたからだ。
「……いいえ。嫌では、ありません」
想像通りの言葉。他の人間であれば、その言葉が本心であるかどうかに苦悩することもあるだろう。
だが、パーシヴァル・ストラウドに限って言えば違う。
潤んだ瞳に戸惑いを色濃く滲ませた少女が口にした言葉が嘘か真であるか。
その答えを誰よりも知っているから。
(やはりこの力は卑怯だな。色恋ごとに関しては特に)
心の中で自嘲しながら、パーシヴァルは嫌がられていない確信を言い訳にもう一度、口づけを落とす。
びくりと肩を跳ねさせた相手が、何かに縋るようにこちらの服の裾をぎゅっと握ったのが分かった。
突然の事態に混乱しているのは間違いない。
だけどギリギリのところで踏み止まり、自分から逃げようとしない彼女に。
(そんな風だから、俺みたいな男に捕まってしまうんだよ……マーガレット)
パーシヴァルは悪い大人の本心を隠しながら、心の中だけで彼女の本当の名前を転がし、柔らかな唇の感触を堪能する。
呼吸の仕方も知らない無垢な反応が愛おしい。
本当の彼女を知るのは自分だけだと、強く実感出来るから。
――初めて出逢った時にマーガレットへ抱いたのは間違いなく同情心と庇護欲だった。
明らかに栄養が足りずガリガリに痩せ細った身体が痛ましかった。その上で何やら複雑な事情を持ちながらもパーシヴァルの心に寄り添おうとする心根の優しさに、彼女を救ってあげたいという気持ちが湧いた。それはきっと、病を前に何もしてあげることが出来なかった元婚約者による影響も少なからずあっただろう。
だが共に時間を過ごすうちに、それだけでは片づけられない感情が芽生えていった。
少しずつ健康を取り戻していくのが嬉しかった。小さなことでも楽しそうに笑ってくれるのが可愛かった。仕事をしたいと願い出る様子がいじらしかった。こちらを信頼して向けてくる綺麗な瞳が――言葉などよりもずっと尊かった。
最初は、自由を手に入れた後で彼女が望めば喜んで手放す気でいたのに。
自分との婚姻に縛り付ける気なんてなかったのに。
いつの間にか、共にいる未来を想像することがごく自然なものとなっていた。
それでも、今日を迎えるまでは。たぶん、彼女が本気で望めばまだ。
その手を別の誰かに渡すことも出来ただろう。
決定打は、そう――お茶会での彼女の予想外な行動。
『今のお言葉、取り消してくださいッ!!』
感情を昂らせながら叫ぶマーガレットは苛烈で、鮮烈で、美しかった。声を荒らげるなど貴族令嬢としては褒められた振る舞いではない。ましてや彼女は穏やかな性質で、淑女の中の淑女と謳われるほどの少女だ。だからこそ彼女の激しい怒りはパーシヴァルだけでなく周囲をも驚愕させた。
しかもその感情の発露が彼女自身のためではなく、ただただひたすらにパーシヴァルを想って行われたことだと理解した瞬間。
制止することも忘れてマーガレットに見惚れながら、パーシヴァルは自分でも気づいていなかった恋情をようやく自覚した。
そもそも持って生まれた固有魔法の所為で自分に恋愛は難しいと思っていた。
人は必ず嘘を吐く。それは無論、パーシヴァルもそうだ。だけどこの力はパーシヴァルが望む、望まざるに関わらず、他者の嘘を強制的に暴いてしまう。そんな自分の傍に居るということは、常に本心を晒せと言っているのと変わらない。
政略結婚ならばお互いに適切な距離を置き、上手く付き合っていくことも出来るだろう。
そもそも妻となった女性にこの魔法の詳細を説明しなければいい。パーシヴァルが相手の嘘に見て見ぬふりをすれば、表面上は穏やかな日々を送れる。
そういう意味では元婚約者であるエルザは理想的な女性だった。
昔から人間性をよく知る幼馴染。互いに恋愛感情もなく、自分は妹のように彼女を慈しみ、彼女は兄のように自分を慕ってくれていた。そんなエルザの本心が分かっていたからこそ、パーシヴァルはエルザに恋愛感情を抱かずとも余計な罪悪感を覚えずに済んだのだ。
そんな事情など知る由もないマーガレットは、パーシヴァルを誠実だと言った。
しかしそれは違う。むしろ逆だ。
自分は計算高い卑怯な男で、本来であれば自分などに好かれる女性は可哀想だろう。
(それでも、もう――逃がしてはあげられない)
ゆっくりと唇を離せば、酸欠気味になってしまったらしいマーガレットが上気した頬を晒しながらこちらの胸へと身体を預けてくる。顔を俯けているのは恥ずかしいからだろう。乱れた息を調えようと震えながら呼吸を繰り返すその背中に、パーシヴァルはそっと手を回した。
ゆるい力で抱きしめれば、彼女が緊張で身体を強張らせる。彼女の生い立ちは既に細部まで調査済みで、その環境からこうして人と触れ合うこと自体に慣れていないことは予想がついた。
怯える子猫を宥めるように優しくその背中を撫でる。位置関係から自分の胸元に当たる吐息のくすぐったさに、パーシヴァルは今までに感じたことのない幸福を覚えていた。
「……これからは、もう少しスキンシップを増やしていこうか」
「っ……パーシヴァル、様……?」
「駄目?」
「だめ……では、ありませんが――どうして……急に」
自分の腕の中でこちらの真意を確かめようとしてくるマーガレットに、パーシヴァルは自然と目を細める。
(そんなの、俺がただ愛しい君に触れていたいからだよ……なんて)
本音を言ったら、彼女はどういう反応を示すのだろうか。
知りたいような知りたくないような曖昧な感情を持て余す自分を嗤いながら、
「俺も君も、今の内から少しずつこういうことに慣れていった方がいいと思って。いずれは、それ以上のことをするんだから」
哀れな少女を完全に囲い込むことを決めた悪い大人は、己にだけ見えている月光のような白金の髪にそっと唇を寄せた。
これで5章は終了となります。
物語も折り返しを過ぎましたので引き続きよろしくお願いいたします。
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