その5
マーガレットは震えていた。それは恐ろしかったからではない。
怒りでどうにかなってしまいそうだったからだ。
騒然としていた場は一転して静まり返り、すぐ隣ではパーシヴァルの視線と息を呑む気配が伝わってくる。事の発端となったギブニー伯爵令嬢ですらも、何か信じられないものを見るような目をこちらへと向けていた。
そんな彼女だけを真っ直ぐに見据えて。
パーシヴァルの手をやんわり剥がし、その場ですっと立ち上がったマーガレットは再び鋭い声を発した。
「ギブニー伯爵令嬢、発言を撤回してください」
「っ……な、んで」
「何故? 夫が謂れのない誹謗中傷を受けたのです。撤回を要求するのがそんなにおかしなことですか?」
自分でも驚くほどに冷ややかな声が出た。言葉こそ取り繕えているが、それもパーシヴァルやストラウド侯爵家の体面にこれ以上泥を塗ってはいけないという理性でギリギリ保てているだけだ。決して冷静さを取り戻せたわけではない。
「……謂れのないって、事実じゃない! 貴女との結婚が何よりの証拠だわ!!」
「この結婚は元々両家当主の合意によるものです。私とパーシヴァル様の意思ではありません」
「っ!?」
ざわり、と今度は別の意味で会場に動揺が走った。貴族間での政略結婚は当たり前のことだが、わざわざそれを口外することは少ない。しかも先ほどまであれほど新婚仲睦まじいと周囲から囃し立てられていたマーガレットの口から飛び出したのだ。
そんな周囲の反応などお構いなしに、
「そしてパーシヴァル様は最後までこの結婚には反対されておりました。亡くなられた婚約者様に不誠実であるからと。それでも家のために私との結婚を承諾されたのです。その振る舞いを非道と罵る権利が、ギブニー伯爵令嬢にはあるというのですか?」
淡々と言葉を重ね続けるマーガレット。対するギブニー伯爵令嬢は表情に焦りと戸惑いを浮かべるが、それでもキッとこちらを睨みつけて反駁した。
「……だったら貴女はストラウド様には愛されていないってことじゃない。惨めね」
「いいえ、そんなことはありません。パーシヴァル様は私を尊重してくれています。私たちは政略で結ばれましたが、少しずつ距離を縮めながら夫婦としての形を作っている途中なのです」
(――本当の夫婦となった時に隣に居るのは、私ではないけれど)
胸の裡に秘めた痛みを押し隠しながらマーガレットは誰もが認めるほどに美しい微笑みを浮かべた。今が幸せだと感じているのは、紛れもない事実だったから。それを周囲に知らしめるように。
「……それでも、わたくしは貴女の姉の所為で……だから、わたくしは……っ」
なおも言葉を詰まらせながらも言い返そうと必死になる相手に。
今度は笑顔ではなく沈痛な面持ちを浮かべ、マーガレットは深々と頭を下げた。
「――そのことに関しては、血縁として本当に申し訳なく思っております。私の謝罪などギブニー伯爵令嬢の心の慰めにもなりませんが、それでも……謹んでお詫び申し上げます」
「っ……ジュリア、さま……」
ギブニー伯爵令嬢の目から再び涙が溢れ出し紅潮した頬を濡らす。そんな彼女の肩を背後からそっと抱きしめる者がいた。ヘイマー公爵夫人だった。夫人の慰めるような眼差しに、ギブニー伯爵令嬢は己の言動をようやく省みることが出来たのだろう。
堪らず震える両手で自らの顔を覆い隠すと、彼女は涙交じりの声で言った。
「っ……申し訳、ございませんでした……ストラウド様への発言も、すべて……撤回いたします」
「――謝罪を受け入れます。こちらこそ配慮が足りなかった……すまなかった」
パーシヴァルの端的だが思いやりを孕んだ温度の言葉を受け、ギブニー伯爵令嬢は今度こそ本格的に泣き出してしまう。ヘイマー夫人はそんな彼女を使用人に頼んでそっと場から退席させた。そして周囲を見渡すと主催者として謝罪の言葉を口にする。
「――皆様、本日はこのような騒ぎになってしまい申し訳ありませんでした。特にパーシヴァル様とジュリア様には不快な思いをさせてしまい、お詫びの言葉もありません」
「いいえ、夫人……事の発端の原因は私の姉にあります。むしろ私の方が夫人や皆様に多大なご迷惑を……」
「ジュリア様、それは違いますよ」
今にも謝罪しそうなマーガレットを止めるように、同席していた最年長の伯爵が声を上げる。
「パーシヴァル殿が仰ったように、貴女は既にストラウド家の人間です。ワーズワース伯爵家のことに口を出すのはむしろ過干渉というものですよ」
「……はい」
「しかし貴女の謝罪のお気持ちが本物であったからこそ、ギブニー伯爵令嬢も自らの過ちに気づいたのでしょう。……傍で見ていた我々にも、お二人の誠意や互いを想い合う様子は十分に伝わってきましたよ」
伯爵は朗らかに笑うと自分の妻や同席者たちへ目配せをする。その意を汲み、皆口々にマーガレットとパーシヴァルを褒め讃え始めた。
「それとジュリア様はお気づきになられていないようだったが、パーシヴァル殿はずっと貴女だけを心配しておられた。ご自分の名誉などどうでも良いと言わんばかりにね」
伯爵の言葉にマーガレットが思わず目を丸くしていると、
「――伯爵、あまり揶揄わないでいただきたい」
どこか気まずそうなパーシヴァルが割って入る。
「いやいや、同じ夫という立場の身からするとね。こういうことは伝わっていた方が夫婦仲は安泰というものだよパーシヴァル殿」
「その通りですわよ、ストラウド様。……ジュリア様も、どうぞ自信をお持ちになって? 貴女は旦那様にとても愛されているわ」
――そうして伯爵夫妻の機転もあり場の空気が正常化されていき。
乱れたテーブルがセッティングされ直されると、お茶会は和やかに再開された。
途中で他のテーブルの方々との交流の機会も設けられ、参加者たちはあちこちで話に花を咲かせている。ギブニー伯爵令嬢の起こした騒動など最初から存在しなかったと言わんばかりに。
その辺りは流石ヘイマー公爵夫人の招待した客人ということだろう。トラブルには慣れているし、後に引きずらない心得もしっかり持ち合わせている。
帰り際にヘイマー夫人からもう一度丁寧な謝罪と、この埋め合わせの約束をこっそりと受けた後。
お茶会は恙なく終了し、マーガレットたちは馬車に乗って帰路に就いた――そんな、馬車の中で。
対面ではなく何故か隣り合って座ったパーシヴァルの横顔は、どこか葛藤を孕んでいるように見えた。
「……パーシヴァル様」
「うん」
「怒って……いますか?」
「……いいや、怒ってはいないよ」
そう言いつつも、パーシヴァルはこちらを見ようとしない。普段ならば目を見て話すのが常の人なのに。マーガレットは気まずい状態が続くことに耐えられず、伏し目がちに思いつくまま口を開いた。
「あの、勝手なことをした挙句に淑女としてあるまじき振る舞いをしてしまい、本当に申し訳――」
「――違う。そうじゃないんだよ……リア」
その声からどこか寂し気な雰囲気を感じ取り、マーガレットは不安になって顔を上げた。
するとパーシヴァルもこちらを見ていて。その瞳の美しさに思わず、魅入られる。
「君が謝ることなんて何一つない。もし俺が怒ってるとしたら……それは自分自身にだよ」
「……どうして?」
その問いには応えず、パーシヴァルはマーガレットの頤にそっと手を添える。そして――
「――ごめん。俺も存外……悪い男みたいだ」
互いの唇が、優しく触れ合うように重なった。




