その4
「……ギブニー伯爵令嬢、今そのお話は――」
「あら、どうして? せっかくの機会ですもの。ジュリア様にも噂はきちんと把握していただくべきでしょう?」
別の参加者からのやんわりとした制止を無視し、ギブニー伯爵令嬢と呼ばれた十七、八歳に見える女性が微笑む。
しかしその瞳は完全に冷え切っていた。真正面からそんな視線で射抜かれ、マーガレットは無意識のうちに息を呑む。
「ねぇジュリア様……貴女はマーガレット様のお噂についてはどのくらいご存知なのかしら?」
「……このところ社交場から遠ざかっておりましたので」
「まぁ! それはいけないわ! ならば教えて差し上げますわね?」
まるで親切心からの行動といわんばかりに、彼女はひたすらにマーガレットだけを見つめて言葉を重ねる。
「――七名ですわ」
その数字が何を意味するのか、マーガレットは答えを聞かずとも察した。
動揺に目を見開くこちらを嘲笑うかのように、少女が今度はこの場全員に聞かせるように謳う。
「貴女のお姉様がこの三ヶ月で関係を持ったとされる男性の数です……ねぇ、信じられませんでしょう?」
確かにとんでもない醜聞だ。純潔を重んじられる貴族令嬢として正気とは思えない。
しかしマーガレットはこの噂が真実だという確証があった。ジュリアはそういう少女だからだ。
気に入ったものは手に入れる。それは物でも、男性でも同じこと。
一夜限りの相手、数度の相手、定期的な相手――様々にいるが、行きつく先はベッドの中。それだけは変わらない。
「そのご様子ですと、ジュリア様もお心当たりがあるようですね?」
突きつけられた事実を前に言葉が出てこないマーガレットの態度を鼻で嗤いながら、ギブニー伯爵令嬢は更にポツリと零した。
「ちなみにその中の一人はわたくしの婚約者なの」
思わずハッとなって彼女を見返せば、その瞳からは激しい憎悪の念が滲み出していた。
「……ねぇ、分かるかしら? ジュリア様はよき伴侶を得て大変お幸せなご様子。本当に羨ましいこと。ですが私は貴女の姉のせいで人生が滅茶苦茶にされているのよ? こんな理不尽なことあるかしら?」
そう口にした彼女がそれでも最低限の言葉を選び、怒鳴り喚き散らしたい気持ちを抑えていることは明白だった。
戦慄く唇。赤く染まる目元。水の膜で潤んだ瞳。その全てが彼女の怒りを如実に物語っている。
きっとギブニー伯爵令嬢だって本当はこんなことを言いたいわけではないだろう。
それでも、どうしても言わずにはいられなかったのだ。
自分の心の痛みを、苦しみを。
何も知らずに幸せそうにしている憎悪対象の妹に思い知らせたくて。
(彼女だってこれが理不尽な八つ当たりだと理解しているはず……)
妹の所為で傷ついている女性を前に、マーガレットは申し訳なさに心が圧し潰されそうになる。
貴族として今ここで自分が謝罪することが正しいかどうかは分からない――だけど、それで少しでもギブニー伯爵令嬢の溜飲が下がるのであれば。
原因であるジュリアは絶対に謝罪も反省もしないのだから、姉として妹の不始末を心から詫びるべきだ。
そう考え、謝罪のためにマーガレットが立ち上がろうとした時、
「――リア、駄目だよ」
今まで静観していたパーシヴァルがマーガレットの手を掴んで行動を止めた。
いつになく険しい表情を覗かせる彼は、そこで視線をマーガレットからギブニー伯爵令嬢へと動かす。
「ギブニー伯爵令嬢。貴女の気持ちが理解出来ないとは言わないが、その感情を私の妻にぶつけるのは筋違いというものだ。抗議なら正式にワーズワース伯爵家に行なって欲しい。妻はもう、私の――ストラウドの人間だ」
諭すような言葉自体は明らかにギブニー伯爵令嬢へと向けられている。だが、強く握られた手の感触が確かに伝えていた。パーシヴァルは本気で怒っている。それはギブニー伯爵令嬢に対してもだが、おそらくは事の発端となっているマーガレットに対して。
(……きっと、先日のこともあってより幻滅されたのだわ)
メイドのメグとして対峙したあの日のことが脳裏に過る。あの時のパーシヴァルは、少なくともマーガレットに対して嫌悪感は見せなかった。それどころか過ちを犯したこちらを気遣ってすらくれていた。それなのに今、マーガレットの所為で自分と妻は周囲を巻き込んでのトラブルに見舞われている。
まさに恩を仇で返す所業だ。今度こそ完全に愛想も尽きただろう。
(――……痛い、胸が張り裂けそう……)
マーガレットは不意に泣きたくなった。
パーシヴァルに嫌われた自分を想像するだけで、こんなにも痛い。苦しい。悲しい。
そうしてようやくマーガレットは自覚する。
もうずっと前から、自分の特別はパーシヴァルなのだと。
よりにもよって最も好きになってはいけない人――妹の夫、その人なのだと。
未だに振り解けない手の熱がマーガレットの胸を激しく焦がす。
そんな中、パーシヴァルからの強い視線に一瞬ひるんだギブニー伯爵令嬢だったが、
「――ッふざけないで!! 貴方なんかに何が分かるっていうのよ!!」
ここにきて我慢の限界に達したのか、立ち上がるとテーブルを強く手で叩き、恥も外聞もなく声を荒らげた。ガシャン、と食器がぶつかる不協和音が周囲に響く。それでようやくこのテーブルの異変に気づいたのか、ホストであるヘイマー夫人が慌ててこちらへやって来ようとするのが視界に映った。
だが、その前にギブニー伯爵令嬢は大粒の涙を零しながら、パーシヴァルへ噛みつくように叫ぶ。
「愛していたのに裏切られて! この年で婚約破棄になって! 周りからは同情と嘲笑を同時に受けて!! お父様たちにも腫物を扱うようにされて!! わたくしは何も悪いことしてないのに!!」
「……ああ、その通りだ。悪いのは君ではない。君の元婚約者とワーズワース伯爵令嬢、君が責めるべきはその二人だ。その権利が君にはある」
どんなに激高してもパーシヴァルの表情はピクリとも動かなかった。ただただギブニー伯爵令嬢の立場を慮り、大人な対応を取っている。そのことにきっと彼女は余計、苛立ったのだろう。
もはや理屈ではなく感情で動いているギブニー伯爵令嬢は、おそらくパーシヴァルを傷つけるためだけに、その言葉を発した。
「何を偉そうに!! 貴方みたいな人に! 死んだ婚約者を忘れてすぐ別の女に乗り換えた非道な男にだけは言われたくないッ!!」
――その言葉を耳にした、刹那、
「今のお言葉、取り消してくださいッ!!」
騒然となった薔薇庭園を、マーガレットの激しい声が切り裂いた。




