その3
「――皆様、本日は足をお運びいただき感謝いたしますわ。薔薇も見頃ですし、是非とも楽しんでくださいませ」
ヘイマー公爵夫人の挨拶でお茶会は和やかに始まった。
広大な庭園内のスペースに設けられたテーブルは全部で三つ。それぞれ円卓で八人掛けだ。
席順は爵位や主催者との関係性によって決められるのが一般的。しかし夫人はその辺りの慣例よりも招待客の過ごしやすさに主眼を置いているのだろう。
マーガレットとパーシヴァルは招待客の中でも比較的年若い者たちのテーブルへと誘導された。
儀礼的に軽く各々が自己紹介を済ませると早速、このテーブルでは一番年長である伯爵がこちらへと話し掛けてくる。隣に座る女性は彼の妻だ。ちなみに今日のお茶会に参加している男性は全員既婚者であり、妻の付き添いとして出席している。
「お二人とも、この度はご結婚おめでとうございます。しかし大変驚きましたよ。まさか社交界でも難攻不落と謳われたジュリア様のお相手がパーシヴァル殿とは……!」
「――難攻不落、ですか? 妻が?」
パーシヴァルの疑問を含んだ声に、伯爵が意外そうな表情を浮かべる。
「おや、ご存知なかったのですか? 今まで数多の男たちがジュリア様の手を取ろうと、それはもう猛アプローチをしていたものです。ですが誰一人として色よい返事は貰えなかったと」
「へぇ……」
興味深げに彼の話に耳を傾けるパーシヴァルに、マーガレットは居たたまれない気持ちが湧く。
(誰からの誘いも受けなかったのはジュリア様の命令で、難攻不落なんてそんな大それたものじゃないのに……っ!)
すべてはジュリアが望んだ結果によるもので、マーガレットの意思ではない。むしろ断るたびに相手が悲しそうにしたり、腹を立てたりするので、夜会での男性との交流は辛い記憶でしかなかった。
ダンスについてもジュリアの代役で何度かレッスンを受けたことがあり踊れるには踊れる。が、披露したことは一度としてない。デビュタントの際のダンスもジュリア自身が行なっている。そして途中で飽きて帰った彼女の代わりを務めたのが、夜会での最初の入れ替わりとなった。
(もう二年も前のことなのね……懐かしい)
ちなみにマーガレット自身は身体が弱いという偽りの理由のもと正式なデビュタントを経験していない。そしてジュリアが社交界デビューをした後、彼女の付き添いとして夜会に出席するようになった。そこからは姉妹で参加する度に入れ替わり、マーガレットは品行方正なジュリア・ワーズワースを演じてきたわけである。
(こう考えると、私の人生ってほぼジュリア様に捧げられているのね……)
なんなら初夜完遂後も陰ながらサポートすることを検討してしまっている。
改めてこれで本当にいいのか、マーガレットが笑顔の裏で思考を巡らせていた時――
「では妻の手を取る栄誉に与れるのは未来永劫、私だけということか……それは嬉しい」
横から何気なく発せられた声。その衝撃にマーガレットは手にしたティーカップを危うく取り落とすところだった。堪らず視線を向ければ、言葉通りの嬉しそうなパーシヴァルが目に飛び込んでくる。
「まぁ、ストラウド様ったらお熱いですわね~」
「こんなにも情熱的な旦那様に愛されて、ジュリア様が羨ましいですわぁ」
同席する女性数名からの羨望の声と眼差しがマーガレットへと集中する。この流れは良くない。社交界では隙を見せると簡単に玩具にされてしまう。仮にもパーシヴァルの妻として夫の醜聞になるような態度は決して見せるわけにはいかない。
なんとか気合いで平静を装うと、マーガレットはティーカップをソーサーに戻し、出来るだけ淑女然とした笑みで楚々と答えた。
「ええ、パーシヴァル様は私には過ぎたお方で……彼と結婚してから毎日がとても幸せです」
マーガレットとしては貴族の妻として、ごく当たり前の返しをしたに過ぎなかった。
だが周囲は何故か呆気にとられたような顔を一様に浮かべている。しかもその視線の先はマーガレットにではなく、その隣へと向けられていて。
いったい何事かとマーガレットも追従すれば、そこには珍しく頬を染めて動揺しているパーシヴァルがいた。その常にない表情に驚き、マーガレットは咄嗟に声を掛ける。
「パーシヴァル様? どうかなさいましたか?」
「――い、いや、すまない。君の口からそんなことを言われたのは初めてで……その、嬉しくて……」
口もとを手の甲で覆いながら、パーシヴァルは照れくさそうに目線を外す。普段こちらが赤面させられることはあっても、彼を赤面させたことはほとんどない。なので何故こんなにも彼が過剰反応するのか理由が分からず、マーガレットは内心では大いに動揺していた。ギリギリ表には出さなかったが。
すると二人のやり取りを見守っていた伯爵が、もはや堪えきれないとばかりに哄笑した。
「いやぁ、とても良いものを見せていただいた! 外交では冷静沈着で知られるパーシヴァル殿も、奥方の前ではただの男性に過ぎませんな!」
「うふふふ、本当ですわねぇ……!」
「ここだけの話、お二人とも結婚してからはあまり社交場には出ておられなかったから一部では不仲という噂もありましたのよ? でも、ねぇ?」
「ええ、こんな風に見せつけられてしまっては……噂は所詮噂ということですわね!」
完全にこちらを揶揄いながら盛り上がる周囲に、マーガレットも羞恥で真っ赤になる。
淑女としてあるまじきことだ。しかし熱がなかなか引いてくれない。
ちらりとパーシヴァルを窺えば、彼は彼で気まずそうに紅茶へと手を伸ばしている。その頬の赤みは健在で、マーガレットはこんな場でなければ正面からじっくり見たいとすら不謹慎にも思ってしまった。
だが、そんなことを考えていられたのも僅かの間だけだった。
「……でも、噂だって馬鹿には出来ませんよ?」
突然、今まで黙って会話の聞き役に徹していたご令嬢が声を上げた。
彼女は他の人たちとは違い敵意ある眼差しをマーガレットへと向け、そして。
「例えば――貴女のお姉様の大変ふしだらなお噂ですとか、ね?」
まるで冷や水を浴びせるかのようなその発言に、場の空気は一瞬にして凍り付いた。




