その2
「……初めまして。貴女が妻の姉君で間違いないでしょうか?」
「ええ! マーガレットと申しますの! ああ、近くで見ると本当に麗しい方ね……っ! どうぞ仲良くしてくださいましね?」
ドレスに負けない華やかな薔薇の香りを漂わせ、ジュリアはパーシヴァルへと無遠慮に近づく。
今にも零れてしまいそうな胸元を見せつけるようにすり寄るその姿に、マーガレットは色んな意味で戦慄した。初対面の殿方――しかも自分の妹の旦那に対してこの振る舞いは非常識にもほどがある。
一瞬にして顔を青く染めるマーガレット。その隣ではパーシヴァルが変わらぬ穏やかな笑みを浮かべている。だが、表情とは裏腹に口からぼそりと呟かれた声は、
「なるほど……やはりそういうことか」
どこか冷たい響きを宿していたようにマーガレットは感じた。
一方、そんなこちらの様子を斟酌するような人間ではないジュリアは、一切の躊躇なくパーシヴァルの腕を取ろうと手を伸ばす。しかし、
「――失礼。いくら親戚関係になったとはいえ、妻以外との接触はご遠慮願えればと」
すいっと腕を上げて、パーシヴァルはジュリアの攻撃をあっさりと躱してしまった。
さらに彼は隣にいるマーガレットへと甘やかな目線を向け、
「私がエスコートするのは彼女だけです。ご理解を」
「っ……!?」
自然な動作でこちらの腰を柔らかく引き寄せてくる。普段のエスコートは基本的に手を引いてのもので、こういった男女の接触には慣れていないマーガレットの内心は一気に荒れ狂った。
それでも培ってきた外面を崩すまでには至らず、マーガレットはパーシヴァルを仰ぎ見ると気恥ずかしそうに微笑んでみせる。長年の代理淑女経験がなせる業だった。
そんな二人の姿はきっと仲睦まじい新婚に相応しいものだっただろう。
その証拠にパーシヴァルから袖にされた形となったジュリアは、あからさまに不機嫌な顔になって子供っぽく頬を膨らませる。
「ふーん……随分と仲良くなったのね? ジュリアとパーシヴァルさまってば」
「ええ、彼女はとても可愛らしい人ですからね。お義姉さんもそう思うでしょう?」
「…………ええ、まぁ、そうかもしれないわね」
苦虫を噛み潰したように言うジュリアとは対照的に、パーシヴァルはどこか楽し気だった。
(……何故だろう。パーシヴァル様の言葉には棘があるように感じる)
二人のやりとりを黙って観察していたマーガレットがそんな感想を抱いていると、そこへ別の人物が屋敷の奥から現れた。誰あろう、父であるワーズワース伯爵である。
彼はむくれる愛娘に気づくと瞬時に背中を優しく撫でて宥めながら、パーシヴァルへと人の好い笑みを浮かべた。
「ようこそお越しくださいましたパーシヴァル殿。歓迎いたします」
「こちらこそ来訪の許可ありがとうございます、ワーズワース卿」
「……ジュリアも、わざわざすまないね。久々の我が家なのだから、ゆっくりしていくといい」
「はい……お気遣い感謝いたします、お父様」
そんな形式ばかりの挨拶を早々に済ませた後、マーガレットとパーシヴァルは伯爵家の応接室へと案内された。義母ジェシカはどうやら顔を見せないようだ。
逆にマーガレットの姿をしたジュリアは当然のように同席している。テーブルを挟んだ向かい側、伯爵の隣に腰を下ろしチラチラとパーシヴァルを見ているところから察するに、接触の機会を窺っているようだ。おそらく精悍で美しいパーシヴァルの見た目が相当気に入ったのだろう。
(……あぁ、せめてもっと慎み深い格好をしてくれないかしら……これじゃあ完全に痴女だわ……)
夜会でも人によっては眉を顰めそうなほどに大胆なドレス姿で平然と寛ぐジュリアに、マーガレットは居たたまれない気持ちでいっぱいになった。
きっとパーシヴァルの目にはあられもない自分の姿が現在進行形で映し出されているだろう。
いくら中身が自分ではないとしても、外見は確かにマーガレットなのだ。
これまでも社交界で散々、マーガレットに扮したジュリアは際どい格好をしていたし、複数人の男性に肌を赦していることは知っている。最初こそ気持ち的に抵抗はあったが、次第に感覚が麻痺してもはや何も思わなくなっていた。それなのに――
(――パーシヴァル様には、こんな姿見られたくなかった……)
貴族社会におけるマーガレット・ワーズワースは毒婦。その事実は覆らない。
でも、パーシヴァルの目には触れさせたくなかった。マーガレットは自分でも驚くほどに落胆する。
そんなマーガレットを他所に、伯爵は上機嫌でパーシヴァルとの話に花を咲かせていた。
「パーシヴァル殿のご活躍は方々から黙っていても聞こえてきますよ。半年前の隣国との条約締結にも、貴殿が多大なる功を挙げたと」
「いえ、そんなことは。私は職務を全うしただけですし、実際に締結まで話を取り纏めたのは王太子殿下に他なりませんから」
「またまたご謙遜を……ですが確かに殿下の功績もまた目覚ましいですな。噂に聞く限りでは、パーシヴァル殿は殿下からも信頼を厚くされているとか?」
「……目を掛けていただいているのは確かですね。学院時代からの付き合いということもありますし」
「まぁ! パーシヴァルさまって殿下とも懇意にされていらっしゃるの!? それは素晴らしいですわ~!」
目をキラキラさせながらジュリアが言う。隣に座る伯爵も同調するように頷いていた。
持ち上げられたパーシヴァルは僅かに苦笑いを浮かべながらも、表面上は穏やかに返した。
「同じような者は大勢いますし大したことではありませんよ。それよりも私の方こそ伯爵家には改めて感謝を申し上げねばなりません」
「……と、仰いますと?」
「このように素晴らしい女性を妻に出来たのですから……私は幸運な男と言わざるを得ません」
優しい眼差しをこちらへと向けながら、パーシヴァルはきっぱりと言い放つ。
その視線から逃げるようにマーガレットは少しだけ俯いた。真っ向から褒められた経験など数えるほどしかないから、どう反応していいか分からない。
すると伯爵は非常に誇らしげな態度でパーシヴァルへと目を細めた。
「ええ、ジュリアは何処に出しても恥ずかしくない私の自慢の娘です。縁談の申し込みも引きも切らない状況でしたが――だからこそ親としては、最高の相手に嫁がせたいと考えましてね」
「……そのように私を評価していただけたのでしたら光栄です。では、マーガレット嬢もやはり相手は厳選していらっしゃるのですか? とても美しいご令嬢ですし、既に複数からお声が掛かっているのでは?」
突然自分の名前を出されて、マーガレットは思わず膝の上に置いた拳に力を込めてしまう。
伯爵は虚をつかれたような表情を一瞬だけ浮かべたものの、すぐに取り繕って穏やかに言った。
「勿論ですとも。マーガレットも大切な娘です。彼女にとって最良の嫁ぎ先を妻と共に選んでいるところですよ」
「――――なるほど、よく分かりました」
パーシヴァルはそれだけ素っ気なく言うと、テーブルの上の紅茶に手を伸ばした。
その姿がどこか平静さを保とうと努力しているように見えて、マーガレットの胸に不安が広がる。
マーガレットは自分の毒婦の噂をどこまでパーシヴァルが把握しているか知らない。
もし全てを知っているのであれば、今のやりとりは完全なる皮肉だ。しかし、パーシヴァルの性格からそのような意地の悪い会話を仕掛けるとは考えづらい。
(パーシヴァル様……いったい何を考えていらっしゃるの……?)
この場で問うわけにもいかず、マーガレットは答えの出ない疑念に頭を支配されていく。
すると、そんなこちらに更なる試練を与えるかのように、
「ねぇ、ジュリア。少しだけ二人きりでお話がしたいの……いいわよね?」
ペリドットの瞳をギラつかせた妹が、好戦的な笑みを浮かべながらコテリと首を可愛らしく傾げた。




