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君と、もう一度。  作者: れんティ
バレンタインデー編
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バレンタインデー:其の十一

 息が切れる。体内への酸素供給がまともに行われているか怪しくなってくるほど、呼吸が苦しかった。疲労で足が鈍り、不恰好になる。

 それでも、止まるという選択肢が思い浮かぶことはなかった。

 雪に埋もれた路地から転がるようにして飛び出し、学校前の道路を渡りきる。校門にもたれかかるようにして息を整えてから、下駄箱を震える手で引き開けた。

 靴を履き替え、渡り廊下を駆け抜ける。途中ですれ違った何人か驚愕に満ちた表情で振り返ってきたが、この際放っておいて構わないだろう。

「おい! あぶねぇぞ!」

階段のところでぶつかりかけた一人が大声を上げたが、それも無視だ。謝ろうかとも思ったが、知らない三年生だった。もう、会うこともないだろうからいいか。

 蜜柑さんに叱られて秘密基地を飛び出してから、一時間弱が経っている。現在時刻は六時近く、千鶴があれからずっと待っているとすれば、二時間ほどが経っていることになる。

 人を待つ時間は長い。待たせる方は感じないほどの時間でも、待つ方にとってみれば長く苦しい時間だ。今みたいな場合ならそれは顕著に現れる。

 きっと、千鶴の中では今、不安が渦巻いて、押し潰されそうになっているだろう。でも、千鶴のことだから、きっとその不安に耐え続けて、今も潰れそうな胸を抱えて屋上で待っているんだろう。

 だから、早く行かないと。

 そう思っているのに、反面、行きたくない自分もいる。このまま逃げてしまいたい、そんなことを思う自分が。現に、屋上へ近づくにつれ、疲労とは違う理由で足が鈍っていく。

 ――――たった数十秒の勇気を出せれば、それで十分じゃないですか!

 脳裏を過ぎる蜜柑さんの言葉が、背中を押してくれる。あの時見せてくれた真剣な表情が、泣き顔が、叫び声が、体中を巡っていく。足が動く。腕を振れる。迷いも押しのけられる。

 千鶴と相対して、何を言えばいいかはまだわかっていないけど。それでも、まずは顔を合わせないと始まらないから。そう、教わったから。

 今まで誰も教えてくれなかったことを、自分の心を削ってまで教えてくれた蜜柑さんにも、良樹にも、感謝してもしきれないほどだ。この恩は、どこかで返さないと。

 ――――――間違ったら訂正すればいいんです! 喧嘩したら謝って仲直りすればいいんです!

 本当に、それだけで解決するのかはわからない。たかが一度や二度頭を下げたくらいで清算されるほど、俺の犯したものは小さくないと思う。けど、だったら何回でも、何十回でも、頭を下げて、謝って。そうする覚悟はある。そうしないとならないと思う。

 四階を通り過ぎる。踊り場で転びかけながらも反転して、目的地を見上げる。

 突き当たりに設けられた踊り場よりも少しだけ大きなスペース、不要な机やら掃除用具箱やらが押し込められたそこに、佇む人影があった。

 俺の荒い息が聞こえたのか、はたまたけたたましい足音か、屋上の扉をぼんやりと眺めていたそいつがこちらを振り返る。

 うなじの辺りで一纏めにされた長い髪が、体の動きに合わせて揺れる。薄暗闇の中でも、はっきりわかる。千鶴だ。

「千鶴!」

視線があった途端、耐え切れなくなって叫ぶ。

 けれど、千鶴はそれに答えず、扉から屋上へと出て行った。

 ぐらりと視界が揺れる。けれど、これくらい、予想できていた反応だ。まだ、何も始まっていない。俺はまだなんにも成し遂げていない。謝っていない。名前を呼んだだけで、一度避けられただけで、立ち止まってたまるか。

 待ってるって、蜜柑さんに教えてもらったんだ。だったら、行かないと。

 最後の数段を駆け上がり、そのまま横っ飛びに扉へ飛び込む。

 何とか着地し、正面を見上げる。

 数メートル先に、千鶴が立っていた。

「ちづ……」

「待ってたわよ」

いつも通りの声音。いつも通りの態度。ただ一つ、唇が固く引き結ばれている以外は。

「ちづ、ごめん。俺、酷いこと言ったよな。最低だよな。心配してくれたのに、全部拒絶して。でも、あんなこと言いたくなかった。こんなこと言ったって、信じてもらえないかもしれないけど、俺、あんな風に言いたいわけじゃなかったんだ」

なんて言えばいい。どう伝えればいい。どうしたら、俺の中で渦を巻くこの感情を、千鶴に伝えることができる。

 わからない。わからないけれど。支離滅裂でも、それでも、言わないと、始まらないから。自分で解決しないとならないから。

「でも、千鶴の言ったことは、ごめん、許せなかったんだ。それで、キレて、あんなこと言っちゃったんだ。……ごめん、ごめんなさい。許してもらえるなんて思ってないけど、せめて、謝らせてくれ」

 腰を折る。頭を下げる。視界が屋上から、自分の靴に変わる。

 沈黙。千鶴はどんな顔しているんだろう。怒っているのか、はたまた呆れているのか、下りた沈黙から想像することはできない。

 千鶴に嫌われた。

 その言葉が、自覚となって俺の体中を駆け巡る。それは、今までに感じたことがないほど痛くて、苦しくて。どうしようもなく、泣きたくなった。

 「……私も、ごめんなさい。どうかしてたのよ。言っちゃいけないことなんて、少し考えればわかるはずだったのに。朝陽が嫌がることくらい、わかってたのに。本当に、ごめんなさい」

勢いよく顔を上げる。視界がまたも移り変わり、今度は、俺と同じように頭を下げる千鶴の姿が中心になる。

 ――――――どうして、こんなに簡単なことが分からないんですか。

 ああ、本当に。今まで悩んでたことが馬鹿みたいに思えてくるほど、簡単じゃないか。こんなに簡単に、解決できるんじゃないか。確かに、傷つけた事実は変えられないけれど、それでも、ちゃんと仲直りできるじゃないか。

 でも、俺が果たすべきものは、ここからが本番だ。

「……なあ、千鶴。もう一つ、言いたいことがあるんだ」

「私も。渡したい物があるの」

そう言った千鶴が、右手を腰の後ろから前に回す。そこに握られていたのは、少しひしゃげた小箱。真澄に渡された物よりも小ぶりだけれど、千鶴らしく落ち着いた色合いの包装は手が込んでいる。

「朝陽、これ……少しひしゃげてしまったけれど、受け取ってもらえるかしら?」

両手で差し出されたそれを受け取るために、数歩、前に出る。

 フェンスの向こう側では、冬らしい、澄んだ星空が、広がっていた。

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