パーティー:其の十二
「それで、良樹先輩はどうして遠回りして帰るの?」
ちづちゃんを家まで送り届けた後、良樹先輩と並んで元来た道を戻りながら、あたしは痺れを切らして尋ねた。
それにしても、ちづちゃんがあそこまで頑なに家に上げてくれないとはねー。あんなに嫌がるとは思わなかったから、ちょっと無神経だったかな。
閑話休題。ってこれで使い方あってるのかな? まあいっか。
あたしの問いに、良樹先輩は少し困って眉を下げた後、ちょっと屈んであたしの耳に口を寄せた。
「これは秘密にしといて欲しいんだけどさ」
「うん。あたし口は堅いよ?」
「オレ、さっき安倍にフラれたんだよ。だから、二人っきりにはなりたくなかったわけ」
体中に衝撃が走る。それは驚きだったり、不安だったり、悲しみだったり、怒りだったりするけど、一番大きかったのは、納得だった。
「そっかー、やっぱりかー」
あたしがにんまり笑って顔を覗きこむと、良樹先輩は狼狽したように仰け反る。どうも、驚かれなかったことに驚いてるみたい。あたしは、驚かれなかったことに驚いてることに驚いてるんだけどさ。なんて、訳がわかんなくなってきた。
「なんか納得してねぇ?」
「うん。納得してる」
「なんでだよ」
何にも分かってなさそうな良樹先輩がおかしくて、自然と笑えてくる。
「だって、良樹先輩、すっごく辛そうな顔してる」
根拠は無いけどね。なんとなく、そう見えただけ。けど、そうだっていう確信だけはあった。そして、図星だったのか良樹先輩は目を逸らす。
「でも、そんなに好きだったの?」
「ん? 何がだ?」
「ちづちゃんのこと。あたしに分かるほどって、相当だよ?」
「あー……まあな。確かに、こんなに人を好きになったのは小夜子先輩以来かな」
最後に付け足されたその言葉は、あたしの知らないこと。しかも、聞き捨てならないことだった。
良樹先輩も、小夜子先輩が好きだった?
そんなの。聞いたこともない。あんなに近くにいたあさ兄ちゃんだって知らなかったんじゃないかな。そうじゃなきゃ、あんなにはっきりしない気持ちで付き合い始めたりしないもん。あさ兄ちゃんはそんなに軽い人じゃないから。むしろ、良樹先輩のためにはっきり断ってたと思う。
けど、あさ兄ちゃんは小夜子先輩に押し負けて受け入れた。元々嫌ってたわけじゃないから、それは当然だったのかもしれないけど。
あの時、良樹先輩も好きだったんだったら、話は別。あさ兄ちゃんは、誰かの思いを踏みにじってまで、本気で好きなわけじゃない人と付き合ったりしないだろうしね。
「……あれ、どした?」
「あ、ごめんなさい。初耳だったんだもん」
「あー、言ってなかったっけな」
「うん。今聞いたよ」
常態を装った受け答えをしながら、あたしは一つ、気づいていた。それでも、それを口に出すのははばかられて、どうしてももごもごとしてしまう。
それに、目ざとく気づいた良樹先輩が、問うような視線を向けてくる。こういうところのストレートさは、あさ兄ちゃんにはないんだよね。
「だから、そんなに辛そうなんだね」
「ん? なんでだ?」
言うべきか否か、たっぷり数十秒悩んでから、口を開く。
「だって、あさ兄ちゃんに二回も負けちゃったんだもん」
途端、良樹先輩の顔が醜く歪む。様々な感情の本流がめまぐるしく表に出てきて、それらのせいで目元が、口元が、引き攣ってる。
何か耐えられないものに必死に耐える人って、こんな顔するんだね。
とんでもなく辛そうで、でも声を掛けてあげられない。声を掛けると、自分に何かが降りかかってきそうで。人のテリトリーに土足で踏み込む事になりそうで。怖い。
「……お前、オレが頑張って気にしてなかった事、ずけずけ言うんだな」
「ごめんなさい。でも、言わなきゃって、思ったの」
これだけは、伝えておかないと。
「何をだよ」
今、目の前で辛そうな顔をしてる良樹先輩に。
「全部、吐き出しちゃっていいよ? あたし、聞いてるから」
「……あー、ッそ」
俯いて、あたしから背けてた目を覗き込むようにしてそう言うと、数瞬のタイムラグの後、良樹先輩がそう吐き捨てる。
天を仰いで、手で顔を隠して、良樹先輩の表情はあたしからだと見えない。
だけど、目元から、頬を伝って首元の辺りまで落ちていく一筋の水滴は、紛れもなく、良樹先輩の涙。良樹先輩が吐き出した、感情の雫。
「……なんでそういうこと言うかな……」
「あ、ごめんなさい。辛そうだったから」
――――辛いときは、泣いたり喚いたりして吐き出した方がいいのよ。それは悪いことでもかっこ悪いことでもない、相手を信頼するがゆえの行為なんだから。
確か十二月の初めの方だったかな、ちづちゃんがあさ兄ちゃんに諭してたのを小耳に挟んだことがある。何となく、そういう考え方ができるって大人だ、って感心した記憶があるんだ。
「辛いときはさ、泣いても喚いてもいいじゃん。そうやって、自分の中に収まりきらないものを吐き出して、整理した方がいいよ。それは悪いことでも何でもなくて、相手を信頼することなんだもん。……って、受け売りなんだけどね」
今ここで、ちづちゃんの受け売りだと言ってしまえば、良樹先輩はもっと辛くなるかもしれない。フラれた相手の優しさに救われるなんて、かなり惨めだと思うから。曖昧に言葉尻を濁す。
「あー……悪い、真澄ちゃん。ちょっと、肩貸してくれ」
丁度向かい合う格好だった良樹先輩が、一歩進んで私の肩に額を当てる。黙ってその後頭部を撫でてあげると、微かな嗚咽が漏れ出した。
「……なんでッ……!」
「……うん」
「……俺の好きな人は皆あいつが好きなんだよ……!」
それは、紛れもなく良樹先輩の本音。あさ兄ちゃんにぶつけることが、間接的とは言え朝兄ちゃんが原因で傷ついたことを告げることが、できなくて。無理やりしまいこんだ感情。
なんて言えばいいのか、そもそも何かを言って良いのかすら分からないで、良樹先輩の固い髪の毛を撫でる。
「……俺の欲しいものは、全部あいつに渡されて……!」
辛うじて聞き取れていた言葉が、嗚咽に上書きされていく。黒と白の世界に小さく響く、良樹先輩の泣き声。それすら通りを走る車の走行音に掻き消されて、切れ切れだけど。
初めて聞く良樹先輩の弱音は、あたしの心に一つ種をまいた。
一般的に、人前で泣く男性は忌避されるか、いじられることになるのかもしれないけど。あたしが目の前の良樹先輩に抱いたのは、そんな否定的な思いじゃない。むしろ、肯定的。仲の良い友達くらいでしかないあたしに、そんな姿を見せてくれたことに対する喜び、少しでも吐き出したことへの安堵、支えたいと言う庇護欲。そんなものが、あたしの中で育ってる。
無音で降り積もる雪。時折エンジン音を響かせ通り過ぎていく車。反対車線を歩く人。窓から零れる灯り。闇色の空。
良樹先輩が顔を上げたのは、あたしの肩が小さく濡れて、色が濃くなった頃だった。
「……わり、肩、濡れちゃったな」
「ううん、だいじょぶだよ。どうせコートだから」
「でも、後五分くらい外歩くだろ」
「まあ、コートだから、冷たくないしね」
言い募る良樹先輩を引っ張って、歩き出す。これ以上ここにいても邪魔だし、身体も冷えるしね。
不意に通り過ぎた車が、歩道と車道の境目に積み上げられた雪の合間を縫って、ヘッドライトであたしたちを照らす。煌々と輝くそれは、お互いの顔をはっきり認識するには十分すぎる光量。
明かりに照らされた良樹先輩の顔は、真っ赤な目元が目を引く、憔悴した顔だった。
「良樹先輩……」
思わず立ち止まって、その名を呼ぶ。不思議そうにあたしを見下ろす良樹先輩の表情はいつも通りで、けどその表情が痛々しさを加速させてる。
なのに、良樹先輩はあたしの顔を見て、あろうことか笑って見せた。
いつものように快活に、人好きのする笑みで、あたしと視線を合わせる。
「んな痛々しい顔すんなって。一回泣けば楽になるもんだぞ?」
「そんなの……信じられないよ……!」
「真澄ちゃん」
思わず叫んだあたしを、真剣な声で諭す良樹先輩。その顔はいつもみたいな子供っぽい雰囲気なんて微塵も感じられない。紛れもなく、『先輩』だった。
「……これ以上は、オレが一人でどうにかする。真澄ちゃんに言ったところでどうにもならねぇどころか、傷つける事だってありうるからさ。ま、なんとかなるだろ」
「でも……」
「心配してくれてありがとな。でも、ホントに大丈夫だから」
言い募るあたしの頭を痛くない程度に叩いて、良樹先輩が笑う。小さく唇の片端を吊り上げて、あさ兄ちゃんのように。
これまで似合わないと思っていたその笑い方が、妙にしっくりきた。




