パーティー:其の十
「で、どうする?」
神原商店街東口。今はもう限られた店舗の明かりがついているだけの寒々しい風景の中、俺たちの少し前を先導していた良樹が振り返った。ついでに、問題提起も行う。
先送りにしていた問題を提示され、全員の歩みが止まった。
「……良樹、時間大丈夫か?」
「ああ、平気だ」
「じゃあ、真澄と千鶴、頼めるか?」
言ってしまってから、千鶴は気まずいかとも思ったが、幸いにして良樹の返事は色好いものだった。
「おう、いいぞ。お前は、綾野か?」
「まあな。峰山方面は、この時間は神高の方まで行かないとないからな」
何が、とは言うまでもない。バスのことだ。どうしても、商店街方面の住民は山川の方に出かけることが多いため、峰山行きバスの本数は少なくならざるを得ない。
「あー、そういやそうだな。わかった。二人は任せろ」
「ああ、頼んだ。じゃあ行こう。蜜柑さん」
「あ、はい!」
「オレらも行くぞー。まずは安倍の家だな」
「あら、私は最後でいいわよ」
「ところが、オレの家は真澄ちゃん家からの方が近いんだよ」
「あら、そうなの。それならわかったわ」
三人の賑やかな声を聞きながら、俺と蜜柑さんの二人は高校方面へと足を運んだ。実は、東口から高校に行くには、真澄の家とは違う道の方が早い。これは、真澄や千鶴は知らないことだ。なにせ、入り組んだ裏路地をくねくねと進むのだから。
まあ、そんなことは良い。今は、さっさと蜜柑さんを送り届ける方が第一だ。
「……こっちで、いいんですか?」
「ああ。間違いないよ」
蜜柑さんが半歩後ろをついてくるのを確認しながら、入り組んだ裏路地を、頭に入れたルート通りに進んでいく。
「……そういえば、まだ、答えを聞いてなかったですね」
「何のだ?」
「朝陽さんの、好きな人です」
反射的に足が止まる。俺の肩に蜜柑さんの肩がぶつかるのを感じながら、俺は謝りもせずにすたすたと歩き出した。さっきよりも、少し速い速度で。
「あ、待ってください! 教えてくださいよ!」
懸命に俺に追いすがる蜜柑さんには罪悪感を禁じえないが、答えたくないのが本音。ここは、さっさとバス停まで行ってしまうべきだ。
そう思って、わざわざ足を速めたのだが。
「……バス、後十五分は来ませんね」
「みたいだな」
時刻表に表示されている時間は二十一時二十五分。現在、午後九時十分だから、蜜柑さんの言う通り、あと十五分は待たなきゃならないわけだ。
「蜜柑さん、バス停から家まではどれくらい?」
「大通りを二分くらいです。だから、バスに乗れば後は大丈夫ですよ」
「そうか。分かった」
「……あの、朝陽さん」
無言のまま、三十秒ほどが経過したとき。蜜柑さんが口を開いたのを聞いて、俺はため息をつきたくなった。
やっぱりか。今日の蜜柑さんはいつになく積極的だから、まあ来るだろうとは思っていたけれど、やはり答えるとなると恥ずかしいものは恥ずかしい。
が、蜜柑さんの、鈴の音を髣髴とさせる声が紡いだ問いは、まったく別のものだった。
「……人を好きになるって、どういうことなんですか?」
「……はい?」
いささか無愛想な返事だが、今の俺にはそれ以上のことが言えない。蜜柑さんの問いは俺の神経すべてを麻痺させるほどの魔力を持っていた。
「……そうだな。その人のことをいつも目で追ってるとか」
「目で追っている……ですか」
「ああ。その人のことを気がつけば考えてたりとか」
もう、蜜柑さんからの返事はない。それでも、強制されていたはずの返答を、やめる気に離れなかった。自分の思考を整理することも兼ねて、答えているから。
「……朝陽さんのその人は、誰なんですか?」
「言ってもいいかな」
「ええ、教えてください」
ゆっくりと、吐き出す。その名前を呼ぶことで、俺の中で祈りのように、安心をもたらす。あいつの名前を。土俵に上がらないと、今度こそ良樹に殴られそうだから。
「……千鶴。俺は、千鶴が好きだよ」
「……そう、なんですか……」
蜜柑さんが、小さく俯く。髪の毛で顔が隠れて見えないが、俺には寂しそうに見えた。
「……それって、どういう感情なんですか?」
蜜柑さんが次に声を発したのは、数分が経った後だった。
唐突に聞かれ、答えに窮する。心の中で勝手に泳ぎまわるそれらを一つ一つ捕まえて言葉にしていく作業は、思いのほか時間がかかった。
「あいつといると、安心できる。安らげる。話せば楽しくなる。どれだけ辛くても、嫌なことがあっても、あいつがいれば一日は幸せだ」
「それは、私も、千鶴ちゃんや柏木さん、樋口君にだって感じます」
「それだけじゃない。時々、どうしようもなく触れたいと思う。自分の方を向いていてほしいとも。誰か別の人と話してる姿は見たくないし、自分の前でだけ笑って欲しいと思う。あいつがいないとどうしようもなく不安だし、あいつがいれば何だって楽しい。あいつは俺のすべてで、あいつにとっても俺がそうであって欲しいと思う」
なんて、一般的な高校生の恋愛の基準としては、重い部類に入るのかもしれないけれど。どうしようもなく、そう思ってしまう。
俺を本当の意味で認めてくれたのはあいつだけだから。『親と喧嘩した』その一言で、普通の人は俺が悪いように感じる。俺は思春期の不安定な子供で、あっちは老成した大人だから。筋が通っているのは親の方だと。
それが、嫌だった。だから、俺は認めてくれた千鶴ともっと接したいと思うようになって、それがいつからか恋慕に変わっていた。
思考に沈む俺を、強烈な光が包む。
バスが、到着していた。




