パーティー:其の六
時計の針は、そろそろ七を指そうかという頃。
机の上にはケーキの残滓が残ったナイフ。シンクの中には数多の皿。
パーティーの会場は、食卓から居間に移っていた。
「……っと!」
「あーくそっ、惜しい!」
「油断大敵よ」
「あっ、負けてしまったわね」
現在、螢先輩が家から持ってきた新型ゲーム機を、亜子先輩の家の巨大と言っていいテレビに繋ぎ、対戦型格闘ゲームが行われていた。
四人対戦が限度なため、メンバーを少しずつ変えながら四人ずつ回していっている。
そして今、亜子先輩、千鶴、良樹、俺、の対戦は、上から千鶴、俺、良樹、亜子先輩の順位で決着が着いた。
「よし、次は?」
「僕と、柏木と、部長と、綾野先輩ですよね」
「だな。よし、やるぞ」
四人がそれぞれコントローラーを握り、好きなキャラクターを選ぶ。全員のキャラクターが決定したところで、画面が暗転した。
画面中央を横断する、『FIGHT』の文字。そこから、各キャラクター入り乱れての乱闘が始まる。
「私、少し外の空気を吸ってくるわ」
画面内で行われる乱闘を眺めていた千鶴が、不意に立ち上がる。掛けてあったコートを羽織って、玄関から出て行く。それを少し不思議な気分で見ていると、良樹が立ち上がった。
「オレも、ちょっと涼んでくるわ」
そう言うと、コートも羽織らず慌てて玄関を出て行く。なんだあいつは。
慌しい移動の音が消える。すぐに、ゲームの衝撃音とBGMが戻ってきた。
「おお、逢引か?」
乱闘の隙間、周囲から狙われなくなったところで、螢先輩が揶揄するように口を挿む。それが、何となく俺の心に根付いた。
逢引。ちづと良樹が? ありえない。じゃない、信じられない。信じたくない。なんで、そんなこと言うんだよ。そんな訳ないだろ。
……ダメだ。抑えないと。こんなところで、こんなことで、螢先輩たちに当り散らすわけにはいかない。
「……どうかしたか?」
視線を感じて、その方向を見やる。そこにいたのは、どこか不満そうな顔をした蜜柑さんだった。目が合い、曖昧に笑われる。そんなことをされるのは不本意ではないので、とりあえず尋ねてみた。
「いえ、すごく不機嫌な顔してたので……どうしたのかなって思ったんです」
喉に息が引っかかって、奇妙な声が漏れる。そんなに、表情に出ていたのか。気をつけないとダメだな。ばれたら元も子もない。というか、弊害が大きすぎる。
俺の表情から何を受け取ったわけでもあるまいに、蜜柑さんは少し考え込むような素振りを見せると、不意に口を開いた。
ちなみに、蜜柑さんは早々に脱落したらしい。体力ゲージがモノトーンに変わっている。
「……朝陽さんは、好きな人っていないんですか?」
数度、瞬きする。蜜柑さんが唐突に紡いだ問いは、俺の意識に浸透するまでかなりの時間が必要だった。
「……え、いきなりどうした?」
「ちょっと聞いてみたかったなんです。でも、どうなんですか?」
珍しく、蜜柑さんは譲る気など無いようだ。確固たる意思を宿した瞳で、真っ直ぐに俺を射抜いている。
「お、面白そうだな――っと!」
「あ、くそ! ……でも、それ僕も聞きたいです」
「あたしもー! ってあー! 栄介君酷いー!」
「部長に言ってよ。部長が当たればよかっただけなんだから」
「俺はもう部長じゃないぞ」
「そんな事は言ってません!」
「まあ、朝陽の話を聞こうぜ」
乱闘中の三人も、口々に乗ってくる。これは、逃げられないかもしれないな。
曇天な上に日が落ちた空は、モノトーンという言葉が当てはまる。その下で、前庭の中に私は立っていた。特に、理由があったわけじゃない。ゲームを終えて、何となく外の空気を吸いたくなっただけ。空気が悪いわけじゃないけど、それでも外の空気とはどこか違うもの。
「おーい、安倍!」
不意に、背後から樋口君の声が飛んでくる。どうやら、ついて来てたみたいね。
少々億劫だけど、礼儀として振り返る。私の予想とは裏腹に、防寒具を身につけないで立っている、樋口君がいた。
「あら、樋口君。寒くないの?」
「ああ、まあな。我慢できる範囲内だ」
そう言って、にやりと笑ってみせる。唇の片端だけを吊り上げる小さな笑い方は、お世辞にも似合っているとは言えないわね。朝陽の方がよっぽど。けど、笑顔の方が嬉しいのよね。その点、樋口君は屈託なく話せるから、良いのだけど。
そんな事を考えながら樋口君を収める視界を、白いものが横切る。上から下に、舞うようにして。
それは、関東の方ではロマンチックなシチュエーションの代名詞として喜ばれるもの、私たちにとっては、取るに足らない日常のものだった。
「……雪、ね」
「お、振ってきたな。確か、夜からとは言ってたけど」
その言葉に、遥か遠く感じる記憶を掘り返す。朝、朝食を取りながら見た天気予報。確かあの時――――
「今日は、ホワイトクリスマスね」
そう、朝陽が箸を止めずにそう言ったのよね。真顔でそんなことを言うものだから、少し笑っちゃったのよ。
「……ロマンチックだな」
「あら、いいじゃない。北国の特権よ?」
今朝の会話をなぞるような樋口君の発言に、堪え切れなくて少し笑う。そんな私の言葉に首を捻った樋口君は、ようやく思い至ったのか、手を叩いた。
「ああ! 関東とかじゃ雪降らないもんな!」
「ええ。だからこそロマンチックだなんて言ってられるのよ。こんな風に、日常になったら何も感じないでしょ?」
皮肉った私とは反対に、樋口君は納得いかない顔。何が、そんなに気に触ったのかしら。
「そうか? どれだけいつも通りでも、『ホワイトクリスマス』って言葉だけで感動的じゃねぇ?」
その単純かつ明快な言葉に、思わず体を曲げる。堪えようとする体に反抗するように、私の口から笑い声が漏れていく。
そんな私をぽかんと見ていた樋口君は、ふと何かを考え込むような動作で、虚空に目を泳がせる。
「……なあ、安倍」
半ば無意識のように発せられた、意志の篭っていない声。それは私にとって聞きなれないものだった。それゆえに、どうしても意識が引き付けられる。
思案を終えて、何かを悟ったようなその表情に。
「どうかしたの?」
「……うーん、あー、月が、綺麗ですね」
反射的に空を見上げて月を探してから、今は雪が降っていて、月なんて見えないことを思い出す。つまりこれは、一種の比喩表現。
そして、それが含む意味には心当たりがあった。
――――なあ千鶴、『月が綺麗ですね』って知ってるか?
確か、珍しく晴れた日だったかしら。朝陽が家に転がり込んできてからだから、一週間くらい前ね。その意訳もそのとき聞かせてもらった。だから、それを額面どおりに受け取るわけにはいかない。
「ごめんなさい、私、まだ死ねないの」
少し考えて、これが一番角が立たないと考えた答えを口に出す。少し、遠まわしすぎたかしら。というか、言ってて恥ずかしいんだけど。
私の声が樋口君に届いたとき、帰ってきたのは笑い声だった。
「……あー、はは……あっはははは!」
唐突な笑いに、私はどうしようもなく立ち尽くす。何か言ってあげたいけど、ここで言ってしまうのはどうしようもない間違いのような気がして、口を開く事ができない。朝陽のときほどの焦燥はないけど、罪悪感ばかりが募っていく。
「はははははは! ……あー、笑った。安倍って、上手い返し方するよなー」
「そうかしら。朝陽に教わったのよ。こういう返しが一般的だって。それを否定にしてみただけなのだけど……」
朝陽の名前を出した途端、笑っていたはずの顔が曇る。何か、おかしなことを言ったかしら。
「なあ、理由、聞いていいか?」
小さく首を傾げた後、それが返事の理由を指していることに思い当たる。これ以上傷つけないように言葉を選びながら、慎重に答えを紡いでいく。
「他に、好きな人がいるのよ。だから、樋口君は、いい友達でいてほしいの」
身勝手な、私個人の要望。それでも、樋口君は大きく笑ってくれた。
「その好きな人って、朝陽だろ?」
笑顔の中に苛立ちを押さえ込んだ顔で、樋口君が私に人差し指を突きつける。真実を告げる探偵のように、知っているはずのない答えを伴って。
図星を指され、言葉に詰まる。居たたまれなさに視線を逸らしてしまうと、樋口君はし
てやったりと唇を曲げた。やっぱり、似合ってないのだけど。
「……どうして、分かったのかしら」
「そりゃ、好きな人のことだからな。それくらいは見てる」
面と向かって言われると、やはり恥ずかしいわね。ただの友達としか見ていなくても、そう言われると嬉しさはある。自分を好いてもらえるというのは、人の欲求を満たすものだから。
「やっぱりか。そんな気がしてたんだよ。わりぃな、オレのわがままにつき合わせて。今のは忘れてくれて構わない」
「……忘れるのは、少し先になりそうだけど」
こんな衝撃、忘れられるはずがない。自慢じゃないけど、私の人生の中で告白されたのは、これが初めてよ?
「それでもいいぜ。でも、気を使うのだけはやめろよな」
「分かったわ。私は今まで通り、樋口君に接するから」
「頼む。そうしてくれるとありがたい」
今しがた振られた相手と二人きりだというのに、樋口君の態度になんら変わった様子は見当たらない。そういうところが樋口君の長所で、美徳なのかもしれないわね。
「じゃあ、私は戻るから」
元々外の空気を吸いに来ただけで、特に長居する気もなかったもの。コートだけだと、やっぱり寒いわね。
「おう、引き止めて悪かったな」
「いえ、気にしなくていいわ」
もう少し、気の利いた返しができればいいんだけど。
「ノーコメントで」
何度目かわからないその言葉を吐くたびに、真澄の表情が怒りに染まっていく。そんな顔されたところで、正直に答える気にはなれないのだが。
「ちゃんと応えてよあさ兄ちゃん!」
「お前らゲームしろよ」
さっきから、ゲーム画面のキャラクターは臨戦態勢のまま身じろぎもしない。司令塔であるコントローラーは真澄が振り回している。このゲーム、モーションセンサーは使わないはずだが。
「そんなの後でいいの!」
「よくないだろ。まあいい、俺も外の空気を吸ってくる」
「あー! 逃げたー!」
真澄の叫びを背中に受けて、そそくさとコートを羽織る。
玄関で、千鶴とすれ違った。
「あ、おう」
「あら、少し寒いわよ」
そんな警告を一言残して、さっさと戻っていく。
けど、俺は千鶴のそんな素っ気無い態度よりも、表情の方が目に焼きついた。
その、罪悪感と嬉しさを二対八で混ぜたような、複雑な表情に。
――――おお、逢引か?
なんだよ、良樹と二人で外に出たのが、そんなに楽しかったのかよ。
ああ、ダメだ。嫌な奴だ。こんなの、大嫌いなのに。




