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君と、もう一度。  作者: れんティ
決別編
67/126

決別:其の五

 「朝陽、ちょっと手伝ってくれない?」

乾ききっていない髪に上気した頬、部屋着という名の薄着。非常に精神衛生上よろしくない光景にもひとまず慣れ始めた時間。千鶴がそんな事を言い出した。

 とはいえ、泊めてもらっている俺はそれを無碍にするほど厚かましいわけでもなく。掛けていた揺り椅子から立ち上がって、千鶴の後ろから階段を上った。

 六年と半年以上前は俺の行動範囲の一つだった千鶴の家。しかし、今の俺たちは数人でどこかに出かけることはあっても、誰かの家に遊びに行くことは少ない。それも、異性であれば当然だ。

 そんな訳で、俺は千鶴の家の二階を久し振りに見ることになった。

「……変わってないけど……少し狭くなったか?」

「あなたが大きくなったのよ。ほら、こっち」

千鶴に先導されるまま、廊下の突き当たりの部屋に入る。扉が開かれた途端、ひんやりでは足りない空気が体を包む。

「さすがにストーブ切ってると寒いわね」

「俺はそれよりも部屋の内装が不思議なんだけど」

寒さに体を震わせながら、部屋の中に踏み入れる。茶色い立方体が積み重なり折り重なったそこは、迷路のようだ。

「私の部屋以外は、基本物置よ。引っ越しのときに、捨てられないけど持って行けないようなものは、ほとんど私の荷物と一緒にこっちの家に運んで、荷解きしないまま詰め込んであるの」

「なるほどな」

生まれてこの方引っ越しなど経験したことも無い俺としては、その判断の良し悪しは分からない。とりあえず曖昧な相槌を撃つのが精一杯だ。

 そんな俺の様子など気にも留めず、千鶴は何かを探して熱心に茶色い立方体の山を崩している。あの散らかし方だと、出られないんじゃないだろうか。

「確かこの辺に……違うわね……どこだったかしら……」

 ぶつぶつ呟く千鶴の精神と脱出経路が心配になり始めたとき。

「あったわ」

ようやく千鶴の身長が元に戻った。そういうとなにやら今まで縮んでいたようだが、別に薬やらなにやらを飲ませたわけでは無い。ただ単に探し物のためにしゃがんでいただけだ。

「……けど、これ使えるかしら?」

千鶴が抱え上げたのは、ケースに入った布団。半年以上仕舞い込まれていたそれは埃を被っていて、千鶴の不安も頷ける。そして、それはどうやら掛け布団のようだが。

「まあ、俺はソファで寝てもいいし。そこまで骨を折る必要は無いだろ」

「そうもいかないわよ。しばらく家にいるなら、いつまでもソファだと困るでしょ。でも、今からは面倒ね。明日にしましょ」

「分かった」

後方を塞いだ段ボール箱を払いのけて道を作り、部屋から出る。迎えてくれた温かい空気にほっと一息ついて、階段を下りた。


 「っと!」

朝陽の短い叫びに重なるようにして、耳障りな異音が生まれる。咄嗟に立ち上がった私は、朝陽がそれ以降何も言わないことを受けて、もう一度腰を下ろした。

 それでも気にはなって、歯を磨き終わった朝陽が戻ってきたところで聞いてみた。

「何があったの?」

「歯磨き粉が投身自殺を図った」

答えた朝陽の、真顔と回答のギャップがおかしくて、吹き出す。そんな私を見て、朝陽も笑った。

「まさか自殺を図るなんて、驚きだわ」

「労働条件の改善を進言するぞ」

「人聞きの悪い事言わないでよ。うちはそこまでブラックじゃないわ」

大げさに気分を害してみせる。私の演技を見破った上で乗ってくる辺りは、さすが朝陽と言うことかしらね。

「しかしな、現に『過労と精神的苦痛で嫌になった。死んで楽になろうと思った』って言ってるんだぞ」

「あら、それは彼が人一倍働いていたからよ。何でもご両親の介護と元妻への慰謝料でかなり厳しいらしいもの」

「確かに、保険が下りるよう、俺の仕業に見せかけようとしたのは事実だが。そこまで彼を追い詰めたのはお前だろう」

「自分を嵌めようとした相手の肩を持って憤るなんて、とんだ偽善者だこと。あなたの化けの皮が剥がれるのを楽しみにしているわ」

丁度いいセリフに繋がったから、揺り椅子から立ち上がって暖房のタイマーを設定。戻り際にボイラーの電源を消して、朝陽を促す。

 「そろそろ寝ま……って、言うまでもないみたいね」

そこにいたのは、私の特等席で、お気に入りの揺り椅子に座り、安らかな寝息を立てる朝陽。私が立ち上がってから戻ってくるまで、二分足らずなんだけど。そんなに眠かったのかしら。

 だけど、仕方ないかもしれないわね。親と喧嘩して、家を飛び出して。朝陽に貰ったプレゼントの包み紙には、電車で十五分くらいの大きな駅にしかないアクセサリーショップのロゴが印刷されてたから、その辺りまであの大きな荷物を担いで行って来たのでしょうし。肝心のプレゼントはまだ開けてないけど。

 本当なら、このまま気が済むまで眠らせてあげたいのだけど、そうは問屋が卸さないのよ。なぜなら、朝陽を二階まで運ぶのは無理だから。

「朝陽、起きて」

「……んー……ああ、ちづ」

焦点の合ってない瞳で私のあだ名を呼ぶ朝陽を立たせて、手を引く。微かな手ごたえと共に足音が一人分増えて、そのまま階段を上る。

 寝る前の点呼作業を心の中で行って、朝陽の手を引っ張り直す。

 眠いのか、意識が起きていないのか、妙に抵抗のない朝陽を自室まで連れ込んで、ベッドに座らせる。

 コテンと横倒しになり、次いでもぞもぞと居心地のいい場所を求めた朝陽が、再び寝息を立て始める。

 その横に滑り込んで、朝陽の寝顔を見つめる。夏の合宿のときと同じような体勢ね。

 「……お疲れ様」

あれから切ったみたいだけど、相も変わらず長い髪を撫でる。くすぐったそうに身じろぎしたその寝顔は実年齢より幼く見えて、笑みが零れる。その顔を見ながら、目を閉じた。

 「……お休み」

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