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君と、もう一度。  作者: れんティ
決別編
66/126

決別:其の四

 「とりあえずお風呂入れるから、ちょっと待ってて」

冷め切った肉じゃがを苦笑いで平らげて、皿洗いを申し出た俺の横を千鶴が通り過ぎていく。台所から直線上に、風呂場が見える。そこに向かったのだろう。

 程なくしてシャワーから水が迸る音が響きだし、俺の手元で水道が立てる音と二重奏を奏でる。風呂洗いをするなら、俺がそっちの方がよかったんじゃないかなんて考えは後の祭り。千鶴はすでにすりガラスの向こうへと消えてしまった。

 とりあえず手元が狂うと大変なので、泡立った皿に集中する。

 くぐもった悲鳴と硬質なものがぶつかり合う音は、聞こえない振りをしておこう。幸い滑っただけのようだし。

 『あの、そういう番組じゃないですから』

『あ、そうなの?』

テレビから流れ出すしょうもないバラエティを聞き流しながら、何となく時間を浪費すること二十分ほど。唐突に流れ出した音楽は、風呂が沸いた合図だろうか。

「先に入っていいわよ」

「いや、そうも行かないだろ。俺は後でいい」

「あんな雪の中、ずぶ濡れだったんだもの。風邪引かないうちに入った方がいいわ」

有無を言わせない口調と鋭い視線に俺は早々に白旗を揚げ、渋々と風呂場に向かう。

「洗濯物は洗濯機に入れていいわ」

「わかった」

その道すがら鞄から着替えを取り出し、角を曲がる。

 とりあえず服を脱いで、風呂の扉を開けた。


 扉の向こうから、微かなリズムが聞こえてくる。音量を絞ったそれは、テレビを消して本を読んでいた私の耳に飛び込んできた。

 くぐもって聞き取りにくいけれど、たぶん歌。それも、朝陽が好きなアニメの曲。ひいては私も見ていたアニメの主題歌。スローテンポな切ないメロディと、それにあった歌詞。確か内容は……

 「『そんなつもりじゃなかったなんて、今更言っても遅いよね。告げた言葉は取り消せない』」

 一瞬息が詰まる。呼吸に失敗した体が反射的に咳き込み、体を折り曲げる。

 そんな私の反応が過剰だったように、朝陽は歌い続ける。扉越しでくぐもった声は、それでも十分に聞こえた。

 そのすべてが妙に朝陽と私の心情にあっていて、ページはさっきから変わっていない。苦笑いがこみ上げてくるほど、この状況に合った歌ね。それを素知らぬ顔で歌う朝陽の心情が分からないけど……って。

 馬鹿みたい。この歌はただ悲しいだけの悲恋じゃない。終盤にがらりと……

 「『もう一度、最初から。壊して崩したその上に、新しい花を咲かせよう。次は笑わせて見せるから、僕にもう一度チャンスを下さい』」

クシャリ、と手元で音がする。いつの間にか手に力が入っていて、ハードカバーのページに皺が寄っていた。

 慌ててそれを伸ばしながら、体中に入った力を抜く。平然と歌を続ける朝陽の声が、今度は妙に悲しげに響いた。

 途端に溢れ出す涙は堪えて、ハードカバーを閉じる。……イタズラでもしようかしら。

 階段を上がって、自室の衣装箪笥を漁る。私と朝陽の身長差は大体十センチくらいだから、私が普段着てるのだと、小さいわよね。……そういえば、確か私の適正サイズより一回り大きいパジャマがあったはず。

「……あった」

衣装箪笥の横のクローゼットに仕舞い込まれていたパジャマ。確か、お母さんが間違えたんだったかしら。あんまり詳しくは覚えてないけど。

 広げたそれは、好都合なことに朝陽が着て丁度いいくらい。柄もチェックだから、そこまで抵抗は無いはずよ。とはいえ、女物であることは一目で分かるデザインだけど。

 それを朝陽が着ている姿を想像して、小さく笑う。きっとぶつぶつ文句を言いながらも、最終的には着るんでしょうね。顔つきは特別女っぽいわけじゃないけど、これを着せて気持ち悪いほどじゃないし、肌も比較的綺麗で髪も長め。うん。許容範囲内じゃないかしら。さすがに、お互い気分が悪くなるようなイタズラは非生産的すぎるもの。

 畳み直したそれを抱えて、階段を下りる。

 お風呂から朝陽が上がる気配が無いのを確認して、朝陽の着替えとパジャマを交換。そもそも朝陽が用意した着替えは部屋着といえなくも無いけど、材質や形状は外向き。夜に家でゆっくりするための格好じゃないわね。だからこれは、気を利かせたのよ。別にやましい気持ちがあったわけじゃないわ。

 緩む頬を必死に押さえて、元の揺り椅子に戻る。さて、どんな反応をしてくれるかしら。


 「え? ち、千鶴お前!」

「あら、何かしら?」

「俺の着替えどこやった?」

朝陽が叫んだのは、それから五分くらい後のこと。予想以上にうろたえた様子の声は、その服の意味が分かってるからかしら。

 お風呂場に向かう曲がり角に背をつけて、会話する。もどかしけど、ここで私が出て行くわけにもいかないものね。

「あなたの着替え、部屋着には向かないでしょ?それならそのまま寝れるわよ」

「そういう問題じゃないだろ……確かにパジャマの類は持ってこなかったけど、さすがにお前のを借りるわけにはいかないって。俺も一応男なんだよ」

「あら、なりふり構ってられないんじゃない? そのままそこにずっといる気かしら?」

言葉に詰まった朝陽が、むぐぐ、と不思議な声を上げる。そして意を決したように呟いた。

「……分かった、着ればいいんだろ」

「賢いわね」

笑いを必死に押し殺して、衣擦れの音を聞く。

 数十秒後、出てきた朝陽は予想外に似合っていた。

「……案外似合ってるじゃない」

「女物が似合うって、嬉しくないんだけど」

真っ赤な顔を背ける朝陽は、不服そうな表情。三十分くらい前まで泣いていたとは思えないくらいいつも通りね。いいことだけど。

「家にいるなら、寝るときはそれを着るといいわ」

「……こっそり家に帰ってパジャマ持ってこようかな」

真剣な形相で呟いた言葉は聞かなかった振りをして、お風呂場に向かう。

 堪えきれずに、体を曲げた。

「ふふふふ、あははははははは!」

「笑うなよ!」

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