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君と、もう一度。  作者: れんティ
決別編
65/126

決別:其の三

 「……何があったか、聞いてもいいかしら?」

俺が落ち着いた頃を見計らっていたのか、千鶴が尋ねてくる。それに弱々しく頷いて、俺はしゃくりあげながら答えた。

「……父さんっに……ぶんっしゅう、みせてったんだ。それっを、今っ頃、言われって」

さすがに聞き取りにくいだろう。深呼吸して、呼吸を落ちつかせる。今度は、普通に喋る事ができた。

「こんなもの妄想だって、いい加減足を洗って店を手伝えって。まるで……まるでお前たちを悪人みたいに、社会不適合者みたいに馬鹿にして、罵って、半年かけた文集を貶して。あの場所は、俺にとって安らげる場所なのに、ヤクザか何かみたいに言って。耐えられなかった。俺を馬鹿にするならいいんだよ。その理由があるから。けど、お前らまで、俺を認めて受け入れてくれたお前らまで悪し様に言われて……」

ふっと、息を吐く。胸中を渦巻くやりきれなさをごまかすように、笑ってみる。千鶴の顔を見る勇気は無くて、手元のタオルを凝視した。

「……耐え切れなくて、いつもみたいに。我を忘れて罵ってた」

俺の独白を、千鶴は黙って聞いている。けど、その顔に隠し切れない疑念がよぎるのを見てとり、気づけば小さく笑っていた。

「……まあ、叫んだだけならここまでならないよ」

「何があったの」

「……やっと、一歩進めたんだ」

きょとんとする千鶴を見ないまま、話を続ける。

「少しずつコミュニケーションを取ろうとしたんだ。文化祭のときは『見に来てくれ』って書き置きも置いてみた。文集を読んでみてくれって置いてみた。面と向かって話す勇気はまだでなかったけど……いつかはって……」

こらえ切れなくなって、拳を握る。体中に力が入って、またしても涙が溢れる。

「……けどっ、ダメだった! もう無理なんだ。あの人たちと一緒にいられる自信が無いからっ。だから……さよならだって言ってきた。俺のことなんて忘れろって、な」

「……それって……」

「ああ、俺はもう、あの家には帰らない」

コレだけは、はっきり告げる。自分自身の意思が鈍らないように。


 「ああ、俺はもうあの家には帰らない」

そう告げた朝陽の目は、どこか硬い光を帯びていた。まるで、必死に自分を守ろうとする野良猫のような。一部の隙も見せまいと身構えるような雰囲気が漂っている。

「……だけど、どこに行くのよ」

突きつけられた衝撃に抗って、何とかそれだけ搾り出す。何か一つでも間違えたら、もう戻れないような恐怖に駆られた頭は、常態以上の働きを見せる。

「秘密基地がまだ生きてるはずだから、当分はそこで寝泊りするさ。後はバイトでも何でもすればいいだろ」

「どうしても、家には戻らないのね?」

その問いに、朝陽は即答しなかった。唇を噛み締めて、俯く。長い前髪が影を作って、その表情を窺い知ることはできなかった。

「……今はまだ、戻る気にはなれない。けど、いつか整理がついたら、謝りに行くよ」

何度目か分からない涙が、またしてもテーブルに落ちる。……もう我慢の限界よ。

 確かに私はその辛さを完全に理解はしてあげられないかもしれない。言葉は朝陽の心まで届かないかもしれない。彼のことをほとんど知らないかもしれない。……悲しみを癒してあげられないかもしれない。

 けど、それでもいいから。届かなくても、分かってあげられなくても、すべてを知らなくても。せめて、私は彼を想っているから。傍にいてあげるから。だから、少しでも頼って。話して。私に教えて。その辛さを、痛みを、悲しみを。いつだって聞いてあげるから。祈るだけじゃ、何も変わらないから。神様がいるなら、何でこんなに朝陽が悲しむのよ。

 だから、せめて私が。

 立ち上がって、朝陽の傍に動く。わけが分かっていない顔で小首を傾げる朝陽の首に、腕を回す。

 至近距離で交わった視線に熱を帯びる頬は知らないふり。朝陽の肩と後頭部を自分の肩口に引き寄せて、両腕に、痛くない程度の力をこめる。

「……辛かったわね」

何を言えばいいのかは、きっと理屈じゃないのよ。

「苦しかったわね。あなたも、言いたくは無かったんでしょ?」

あやすように、耳元で囁く。

「やっと作り上げたものを、壊すのは痛いものね」

ちゃんと教えてあげる。私がここにいることを。

「必死で作った文集を貶されるのは悔しいわよね」

あなたの味方だってことを。

「仲のいい友達を馬鹿にされるのは辛いわよね」

一人で抱え込まなくていいってことを。

「でも、ありがとう。私たちのために怒ってくれて」

心を閉ざさなくていいってことを。

 「……泣かないつもりだったのに……ホント、情けないよな」

「情けなくなんて無いわよ」

一杯泣いて、一杯喚いて。

「……辛いときに泣くのは当たり前よ」

そうやって感情を吐き出して、気持ちの整理をするんだから。

「苦しいときに頼るのは当然なのよ」

せっかく面倒な人間関係を築いているんだから、そうやって使わないと。

「じゃないと、行き場の無い感情が心に溜まって、壊れちゃうわよ」

だから、泣いていいのよ。喚いていいのよ。行き場の無い怒りも苦しみも悲しみも、恨み言だって全部、私が聞いてあげるから。

 もう、苦しそうな顔で無理に笑わないで。自分を卑下しないで。

「……見てる方が、辛いんだから」

「でも、俺は……」

「あなたは優しいわ。他人のために、親と喧嘩するなんて、そうそうできることじゃないもの。あなたの怒りは当たり前よ。ダメな事じゃないわ」

恐る恐る、背中に手が回される。優しく背を撫でてあげると、決壊したように叫び出した。

「うあああああああああ――――――!」

背中に回された手に、力がこもる。服を濡らす涙は、止まることを知らない。

 けど、それでもいいのよ。それでいいの。全部吐き出した方が良いに決まってるもの。

 叫び続ける朝陽を抱く手に、少しだけ力を込めた。


 途切れた涙と、枯れた声。胸の内に溜まっていたやりきれなさをすべて吐き出した後、残ったのは迷いだけだった。

「……落ち着いた?」

相も変わらず耳元から、千鶴の囁き声が聞こえてくる。途端、自分の体勢が急に恥ずかしくなり、離れようと身じろぎする。

 それを感じ取った千鶴が腕を放し、一歩離れる。少しだけ赤くなった顔と、沈黙。それを破ったのは、千鶴だった。

「……あなた、秘密基地に寝泊りするって言ってたわよね」

唐突な質問に、何を言われたのか分からず硬直する。が、すぐに持ち直して頷いた。

「冬なんだから、凍死するわよ」

「まあ、コートとかで何とかするよ」

俺の楽観的とも言える返答に、千鶴はため息をついた。

「しばらく帰るつもりは無いんでしょ? だったら、家に泊まりなさい」

千鶴が申し渡したその意味を、俺が正確に理解するまで数瞬の時間を要した。

 「は? え? いや、それはさすがに迷惑だろ」

「別に迷惑なんかじゃないわよ。この家は私一人だもの」

「え? お前、親は?」

「四月から海外よ。親がいなくて心配だからって、人付き合いの良いこの町に戻ってきたんだから」

さっきから千鶴の話は突拍子も無さすぎて、元々思考能力が低下していた俺の頭では即座に処理しきれない。結果、間抜けに鸚鵡返しするしかなかった。

「……マジで? お前四月から一人でこの家に暮らしてるのか?」

「当たり前よ。海外にでもいなきゃ、誕生日に一人で肉じゃがなんて食べてないもの」

「……それもそうだ」

それでも頷くにはためらいがある。幼馴染とはいえ六年のブランクがあるわけで、二人とも高校二年生、一応年頃と呼ばれる時期だ。そんな状況で男女二人が一つ屋根の下など、互いにそんな意味を意図していないとしても、対外的に問題が山積みだと思うんだが。

 一行に頷く気配を見せない俺に業を煮やしたのか、千鶴はどこかへ小走りにいなくなると、携帯を持って戻ってきた。

 さっきと同じく俺の目の前に陣取ると、手早く画面を弄る。すぐに、耳に当てて誰かと会話を始めた。

 「……もしもし、お母さん?……いいえ。ちょっとごめん。すぐ終わるわ。……ええ。相談なんだけど。……まあ、そんなものよ。猫じゃなくて朝陽だけど。……ええ。親と喧嘩みたい。……ええ。気持ちの整理がつくまでは帰らないそうよ。……ありがとう……分かったわ。じゃあまた」

ぽかんとする俺を尻目に、千鶴はさっさと携帯を耳から離すと俺の方を向いて笑った。

「お母さんとお父さんは構わないそうよ。あなたが帰る気になるまで家にいればいいわ」

 ゆっくりと、顔を下げる。そんなに優しくしてくれる意図は分からないし、この好意に甘えていいのかも判断できない。俺が泊まることで迷惑をかけることは多いはずだ。

 けれど、後頭部に刺さる視線は、有無を言わせない力を孕んでいて。

 悩んでも答えが出ないなら、いっそ甘えていいのかな、なんて。

「……悪い、しばらく頼む」

 そう言うと、千鶴は見たこと無いような顔で笑った。

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