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君と、もう一度。  作者: れんティ
決別編
64/126

決別:其の二

 何に影響されるでもなく自然に目が覚めた。枕元の時計に表示されたのは十二月四日、午前八時。ああ、今日は土曜日だったか。そう納得して、一瞬パニックに陥りかけた頭を修正する。

 ベッドから体を起こして大きく伸びをする。自然に漏れた呻き声は無かったことにして、箪笥を引き開ける。

 階下から音はしない。家の開店時間は午前九時だから、まだあの人たちものんびりしているんだろう。それは俺の知った事じゃない。

 着替えて台所に入り、簡単に朝食を作る。出来上がったそれを居間のテーブルに運んで腰を下ろしたところで、戸口から入ってきた人影と目が合った。

 植物の臭いを纏った、中年と言うには年を取った男性。確か去年か一昨年に五十を越えたらしい。詳しくは知らない。

 俺の格好と、その手元の料理を一瞥して、何も言わずに台所へ入って行く。飲み物を注ぐ音がしているから、大方水分補給に来たのだろう。

 普段なら、俺はこのまま食事を取り、父さんは用件が済み次第店に戻る。

 そう、普段なら。その点、今日は少し違った。

「……文集、一応目を通した」

特徴的な低音が紡ぐ言葉の意味を理解したとき、俺は揺れで気分を悪くするほどの勢いで振り返っていた。

 確かに、俺は自分の分の文集を書き置きと共にテーブルに置いておいたし、翌日、文集がなくなっていたの事実だ。けれど、それについて何も言ってこなかったから、無かったことにするのだとばかり思っていた。できれば文集を返して欲しいな、くらいに考えていたのだ。

 それを、二ヶ月以上経った今になって言ってくるとは。確かに高校の一部活が発行した文集にしては厚いが、そんなに時間がかかるわけでもあるまいに。子供の頃の印象だと、本を読まないと言うわけではなかったはずだが。自分たちだけ好きなもの読んで、という怒りがあったのを覚えている。遠い昔の話だが。

 つまり、俺は父さんがこのタイミングでこんな事を言ってくる理由を、理解できていなかった。

「……そ、っか。……どうだった?」

単純な、確認だった。バカみたいに厳格な父さんが、十年以上も指示に従わない放蕩息子の行動成果を褒めるはずがない。けど、できれば内容の否定はして欲しくないな。あれは俺だけのものじゃない。千鶴と一緒になって考えたものなんだから。

 俺のたどたどしい質問を、父さんがどう受け取ったのかは定かではない。何せ、俺と父さんの間には壁が立ち塞がっていて、その顔を見ることは叶わないから。

 「……体裁は整っているようだったな」

それが聞けただけで、俺はもう十分だった。二年間俺なりにコミュニケーションを取ろうとしてきた結果だとするなら、俺はもう少し近づいていけるかもしれない。

 「……しかし、お前があんなものまでやるとはな。もう少しまともに育ってくれていると思っていたのは、幻想だったか」

……なんて言った?

「私たちへの反抗のつもりなら、上々だな。気持ちの悪いオタク集団と肩を並べて、妄想を垂れ流すなんて。もう私は恥ずかしくて外を歩けない。お前がそれでいいなら私たちは口を出さないが、お前もいい加減に意地を張るのを止めて真っ当に生きたらどうだ」

 「……やめろ」

俺の口から、俺自身の声とは思えないほど低い声が零れる。ダメだ。これ以上言ったら、取り返しがつかなくなる。何度もやってしまったように、罵詈雑言を吐き散らしちゃダメだ。ここは逃げるべきだ。父さんの言った事なんて無視して、部屋に篭ろう。そうだ、本屋に行こう。そこで気を紛らわそう。生憎外は風が強いけど、どうにかなるだろ。

 「……何と言った」

そうやって宥める理性とは間逆に、このまま怒りを吐き散らしてしまえと怒鳴る自分がいる。だって、千鶴を馬鹿にされたんだ。真澄も、螢先輩も、がわら先輩も、清水も。こんな馬鹿な俺を、その裏側を知ってもなお友人だと、先輩だと、幼馴染だと、可愛い後輩だと、そう笑ってくれた人たちを、いなくなったら必死に探してくれた人たちを、「気持ちの悪いオタク集団」? 俺が本心から楽しんで、全身全霊で取り組んだものを、「あんなもの」? 半年以上かけて練り上げた物語を、「妄想」?

 ……ふざけるな。

「……ふざけるなよ」

「お前が文芸部とやらにどれだけ入れ込んでいるのかは知らんが、私は認めない。あんな意味も教訓もない妄想を嬉々として販売するなんて、まともな神経ではないだろう」

意味も教訓もなくて当たり前だ。あれは娯楽。分類するならライトノベルだ。中高生の暇つぶしに教訓や意味があったら、それはもう授業と変わらない。

 「ッざけんなよテメェッ!」

耐えられなかった。

「俺を馬鹿にすんならすりゃあいい! テメェらの馬鹿みたいな束縛から逃げ出した挙句に今更溝を埋めようとするような人間だ。どうとでも言やぁいい。そう言われるだけの理由があるんだ。けど、けどな! あいつらを馬鹿にすんのはぜってぇ許さねぇ」

声を荒げた俺に対するいらえは、ため息だった。

「お前が何故それだけ文芸部とやらを崇拝するのかは知らんが、もういいんじゃないか。このまま続ければ、お前はいつか後悔することになるぞ。今のうちに足を洗って、人様に顔向けできるような事をしろ。店を手伝うのもいいんじゃないか。お前が真っ当に生きてくれれば、私たちもようやく人様に胸を張れる。商店街の人たちだって心配してるんだぞ?」

商店街の人。その言葉で最初に浮かんだのは、菊池さんだった。忙しいだろうにわざわざ文集を買いに来てくれて、店番だった千鶴や真澄とも屈託なく笑っていた。次の日に、文集の感想を聞かせてくれたときは、舞い上がりそうだった。

 それを、この男は、『商店街の人たちだって心配している』? 確かに、心配してるだろうな。俺とあんたらの不仲を。

 それに、足を洗う? まるで文芸部をヤクザか何かみたいに言いやがって。

「……結局、自分たちの面子のためかよ」

「……何?」

「そうだろ。俺にクソ真面目に育てててぇのも、文芸部を辞めさせて店番させてぇのも、全部自分たちが他所に向かっていい顔するためだろ。俺はテメェらの人形じゃねぇ。テメェらの世間体をよくするための道具じゃねぇんだよ!」

「ふざけるな! 私たちはお前のためを思っ」「ちげぇだろ」

これ以上はダメだ。そう叫ぶ理性を押し込めて、俺は叫んだ。

「ちげぇだろうが! 『俺のためを思って行動する自分マジいい親』なんて悦に浸りてぇだけだろ? その『俺のため』って奴が迷惑だって、さっさと気づけよ唐変木! テメェらは何でわかんねぇかな。いい加減に自分の考えだけを押し付けんのやめろよ。文芸部がオタクの巣窟だなんて誰が決めた? 半年かけて練り上げた物語が妄想だなんて誰が言った? 今の俺が真っ当じゃないなんて誰が思う? そんなこと言うのはテメェらだけだ! 妄想を垂れ流してんのはテメェらの方だろうが! その鋼鉄製の頭に入った歴史書みてぇな考え方だけが真実みてぇに語ってんじゃねぇ!」

そこまで叫んで、俺は口を閉じた。肩で息をしながら、壁の向こうを睨みつける。そこから、返事はない。

 「……やっと、あんたらと話してみようかと思えるようになった。あんたの嫌いな文芸部の奴らと関わって、ようやくあんたらともう一度分かり合えるかも知れないと思ってた」

これまでにないほど泣きたいのに、出て行くのは乾いた言葉だけ。

「……けど、やっぱり無理だ。あんたらは、今の俺を構成するすべてを否定するんだもんな。もう、いいや。もしかしたら仲直りできるかもしれないなんて希望に縋って同じ家で生活してきたけど、さすがにそこまで言われたら一緒にいられる自信無いから」

壁の向こうで、あの男は今どんな顔してるんだろうな。知りたいけど、知りたくない。

「……さよならだ。俺の事は忘れてくれ。こんな親不孝者の事なんて。あんたらの思い通りに育たなくて悪かったな」

 半分以上残っている朝食をほったらかしにして、居間を出て行く。自室に入って鍵をかけて、そのまま扉伝いにずるずると座りこんだ。

「……は、はは……ははは……」

あれだけ好き勝手言ったんだ、俺の居場所はもうこの建物内には無いだろう。俺だって、あれだけ言ってなおこの家で生活できるほど図太い神経は持ち合わせていない。

 クローゼットから、林間学校で使った大きな鞄を引っ張り出す。その中に着替え三着と日用雑貨を詰め込む。余ったスペースに教科書類をすべて突っ込んで、最後に読みかけの本とUSBメモリを入れると、丁度鞄が一杯になった。

 ……しかし、これからどうしようか。そういえば、あの秘密基地はまだあそこにあるから、当面はそこで寝泊りしよう。

 財布と携帯、腕時計をつけて、俺はひっそりと家を出た。途端に雪を伴った強風が頬を叩く。萎えかける心に鞭打って、一歩踏み出す。

 幸い菊池さんと鉢合わせることなく商店街を出て、足を止める。

 そういえば、今日は千鶴の誕生日だったな。昨日真澄が大はしゃぎしていた。どうせなら、プレゼントでも買ってやるか。昨日は一言かけただけだしな。

 何となく、振り向く。そこにあったのはいつも通りの外見。慌てた様子も、人が出てくる様子も無い。

 俺がいなくなったところで、あの人たちの日常には何の影響も無い。

 それを再認識した気がして、ぎゅっと心を握りつぶされるような感覚を味わう。それはとてつもなく痛くて、苦しかった。別に、首を絞められているわけでもあるまいに。何か他の事を考えて気を紛らわせていないと、狂ってしまいそうだった。

 今回は、今までみたいに取り返しがつくようなものじゃない。自分の方から決別を告げた以上、もう後に引くことはできないんだ。今更泣きついたところでどうにもならないし、どうしようとも思わない。そう思うくらいには、俺はあの人たちを嫌っていた。

「さーて、何がいいかな」

冗談めかして口に出す。千鶴は何をあげれば喜ぶだろうか。小物だとセンスが問われすぎていて怖いな。

 風のせいか、妙に寒くなって、一度身震いした。

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