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君と、もう一度。  作者: れんティ
決別編
63/126

決別:其の一

 風が音を立てて、雪が吹きすさぶ。窓の向こうは氷点下とはいえ、家の中は暖房によって暖かく保たれている。けれど、寒々しく感じてしまうのは、この広い一軒家に住んでいるのが私だけだからかしら。

 文化祭から二ヶ月以上が経って、季節は既に冬へと移ろった。今年の初雪は十月の終わり。それ以来ジェットコースターのように気温は下がっていき、今は一日の平均が氷点下なんて日はざらにあるわね。

 今日は十二月四日。世間一般にとっては何てことのない土曜日。けれど、私にとっては一年に一回の特別な日。

 何と言っても、今日は私の誕生日なんだもの。

 昨日、真澄ちゃんや清水君、先輩たちからはお祝いされて、朝陽にもおめでとうと言ってもらえて、それだけで十分すぎるほどに幸せな誕生日ではあったのだけど。それでは足りないと思ってしまう私は我儘なのかしらね。おそらくは、わがままの部類に入るんじゃないかしら。自分では認めたくないのだけれど。

 本当なら、私の正面にはお父さんとお母さんがいて、豪勢な料理があって、おいしいケーキにろうそくが揺らめいていたはず。事実、これまでの誕生日は毎年そうだった。こちらが恥ずかしくなるくらい盛大なパーティ。

 けれど、今年は両親共に海外で仕事中。一応今朝メールが来ていたけど、そこには忙しいためにテレビ電話の時間すら取れないと書いてあった。

 肺に溜まった空気が、すべて口から出て行く。

 誕生日の七時。普段なら豪勢な食卓も、今はバランスの取れた簡素な食事だけ。これなら、ため息くらいは許して欲しいわね。……少しくらい豪華なものを作ればよかったかしら。けど、それは色々面倒なのよね。食べるのは自分だけだもの。

 もう一度、ため息を零そうとしたとき。

 不意に、インターホンが鳴った。おかしいわね。来客の予定なんて知らないし、郵便物もそんな知らせは受けていない。

 けれど、私のそんな疑問は、応対画面に映った顔を見て吹き飛んだ。

 慌てて玄関に飛び出す。置いてあった冬靴につま先だけを突っかけて、鍵を開ける。

 息を切らして開いた先には、朝陽がいた。

 鼻の頭や頬は真っ赤で、頭には雪が積もっている。コートやマフラー、肩から提げた大きな鞄にはずぶ濡れ。早く乾かさないと風邪引くわよ。

「……よう、誕生日おめでとう」

けれど、当の朝陽は私の心配なんてどこ吹く風、涼しい顔で鞄を漁り、その中から丁寧にラッピングされた小さな箱を取り出した。そして、弧を描くような軌道で放ってくる。

「あら、ありがとう。とりあえず入って。その髪もコートも、乾かさないとダメよ」

「……ああ、悪い」

朝陽を招き入れて、コートやマフラーなんかを掛ける。洗面所でドライヤーを渡し、私は余っていたお味噌汁を温めに入る。今からお茶を入れるより早いし、栄養もマシだものね。

 しばし無言で、ドライヤーが稼動する音だけが響く。それを破ったのは、私だった。

「それにしても、急にどうしたのよ」

「……誕生日のプレゼント、渡してなかっただろ。というか忘れてたから、今日慌てて買いに行ったんだよ。悪いな、食事中だったんだろ」

「いえ、それは別に。まだ食べ始めてなかったもの。あなたこそ、わざわざごめんなさいね。寒かったでしょう。というか、あなたご飯は?」

 見た限り、朝陽は帰ってきてそのままここに来たようだから、おそらく食べていないとは思うけど、一応の確認。

「……ああ、まだ食べてないな」

「食べていかない? 作りすぎちゃったのよ。ちょっと質素だけど」

これは本当。引っ越す前は三人分作ってたし、引っ越してからも朝陽にお弁当を作ってあげてるから、一人分の分量が把握し切れていないのよ。だから、作りすぎるのは日常茶飯事。今日だって、ぼんやりしていたら二人分になっていた。

「……そうだな、余ってるなら、貰えるか?」

ふと、首を捻る。今日の朝陽はなんだか会話のテンポがゆっくりね。ぼんやりしている、と言った方がいいかしら。他の何かに気を取られて、目の前の事がおろそかになっているような気がしてくる。

「髪が乾いたら、こっちにきて。それまでに準備はしておくから」

お味噌汁の他にも、ご飯や肉じゃがを温める。

 その間に、朝陽も髪を乾かし終わったらしかった。まだほんのりと朱に染まっている頬や指先を気にする様子もなく、私の元から調理を終えたお皿を食卓へと運んでいく。

瞬く間に、私と朝陽、向かい合う形での食卓が出来上がっていた。


 手元の皿から、肉じゃがを口に運ぶ。俺が作るものとは少し味付けの違うそれは、食道を通って胃の中から冷め切った体を温めていく。

 夏休みに見た幻影。今ならその正体が分かる。

あれは、俺の望み。俺が望んだ幸せな家庭を具現化した、俺が考える幸せの象徴。それに千鶴を据えたのが、俺のバカさ加減と言うことか。

 不意に、手元の箸に水滴が落ちる。視界が滲む。なんだ?

「あ、朝陽っ!?」

千鶴が慌てた様子で身を乗り出す。なんだ? 俺がどうかしたのか?

「……そんなに……え、あれ?」

千鶴の驚きを問おうと発した声が上擦っていることを目の当たりにして、俺はようやく自分が鳴いていることを自覚した。

「どうしたのよ! 何かあったの? あ、おいしくなかったかしら?」

食事がまずくて泣き出すなんて、俺は千鶴にどんな奴だと思われてるんだ。

 自然と弧を描く口許とは裏腹に、滴る水滴は量を増していく。

「わ、るい……ごめっん……」

言葉が出ない。言いたいことはたくさんあるのに、言わなきゃならないことが山ほどあるのに、音になるのは嗚咽だけ。

「ちょっと、大丈夫!? と、とりあえずタオルか何か持ってくるから……!」

椅子をひっくり返す勢いで、千鶴がどこかへ走っていく。まったく、慌てすぎだろ。けど。

 心配、してくれてるんだよな。

 挙動が怪しくなるくらい、いつものクールな様子なんてどこかに吹き飛ぶくらい、俺のことを心配してくれている。俺の思い違いじゃなければ、の話だけど。

 その事実が、俺の涙を増加させる。

「……っあ……っく、あっく……うっくぁ……」

おかしいな、涙なんて、とっくに枯れ果てたと思っていたのに。

 泣きたいときに出てこないで、泣きたくないときに出てくるなんて、とことん天邪鬼な奴だ。俺の涙なんだから、それもそうか。

 「こ、これで涙拭いて」

差し出されたタオルをありがたく受け取って、顔を埋める。ふわりとした肌触りのタオルで顔を覆い、俺は呼吸を落ち着けるべく努力する。しばらくは収まりそうにないけど。


 正面で肉じゃがを頬張る朝陽を眺める。いつもよりも表情の動きが少ないけど、おいしくなかったかしら。味付けはいつも通りのはずなんだけど。

 私のそんな懸念なんてどこ吹く風、淡々と肉じゃがを胃に運んでいた朝陽は不意にどこか遠くを見つめるようにして固まり、次いで目を潤ませる。

 同じように固まる私になど目もくれず、朝陽の目に溜まった涙は一筋、頬を滴り落ちていく。

「あ、朝陽っ!?」

急に泣き出した朝陽に驚いて身を乗り出すけど、当の朝陽は自分が泣いていることが分かっていないかのように振舞っている。現に、小首を傾げて私を見ている。

「……そんなに……え、あれ?」

発した声も上擦っていて、ほとんど聞き取れない。その様子が痛々しくて、私は支離滅裂な発言をしていた。

「どうしたのよ! 何かあったの? あ、おいしくなかったかしら?」

自分で言っておいてなんだけど、どういうことよ。ご飯がまずくて泣き出すって情緒不安定すぎるじゃない。朝陽はもう少ししっかりしてる……はずよ。

 この光景を見ているとそう断言もできないんだけど。

 弧を描く口許とは裏腹に、朝陽の涙は増量していく。

「わ、るい……ごめっん……」

残念だけど、私の言葉は朝陽に届かないから。願ったところでそれは変わらなくて、私はただでさえ少ない言葉のレパートリーをさらに減らす事になってしまう。

 結局私は何を言うでもなく、撤退を選択してしまう。

「ちょっと、大丈夫!? と、とりあえずタオルか何か持ってくるから……!」

慌てて足を動かし、洗面所へと逃げ込む。その横に設けられた棚からフェイスタオルを取り出して、呼吸を整えてから朝陽の元に駆け戻る。

 私が戻ったとき、朝陽はまだ泣いていた。当たり前だけど、夏休みはすぐに泣き止んでたから、それくらい根の深い悲しみなのだと、目の前が暗くなりかける。

 「こ、これで涙拭いて」

震える手で差し出したタオルを受け取って、朝陽がそこに顔を埋める。

 私はここにいる。いいえ、私がここにいる。何らかの感情を抱えて涙を流す朝陽の前に、私はいる。言い換えれば、私しかいない。

 つまり、今朝陽の話を聞いて、朝陽の心を落ち着かせられるのは、私しかいない。

 けど、私にできるの?

 事情も知らない。朝陽の辛さを十分の一も理解してあげられない私に、できるの?

 この間も、私は彼のことを知らないと思い知ったばかりなのに。私の声が届くことを願うことしかできなかったばかりなのに。

「……大丈夫?」

返事はない。当たり前よ。ここまで号泣している人間が、大丈夫なはずない。私は馬鹿?

 私が朝陽の悲しみを癒せるなんて、辛さを理解して上げられるなんて夢は見ないから。

 どうか、お願い。この命だって何だって捧げるわ。

 今目の前で泣いている想い人の涙を止められるなら。

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