文化祭:其の六
『五組目!コンビ・ブレイカーズ!』
「え?」
「どうかしたの? 真澄」
丁度あたしたちがグラウンド横にたどり着いたとき、五組目の紹介が流れた。あたしが驚いたのは、そのコンビ名。その名前は、あさ兄ちゃんとちづちゃんが書いた小説の題名じゃん! そして、主役は冷淡な少年と、飄々とした少女のコンビ。もう、あの二人しかないじゃん。二人に自覚はないけど、あの主人公たちは二人にそっくりだったし。
息を整える。グラウンドに半円を描いて並ぶ即席キッチンの内、一番手前側に位置するキッチンに、あたしの予想通りの姿が立っていた。二人で手分けして、四方にお辞儀してる。
「あ、一番手前の二人って、八神先輩と安倍先輩じゃん」
「そうだよ! あの二人、料理はすっごい上手いんだから!」
「え?そうなの? わたし、安倍先輩が料理上手いのは、兄貴に聞いたけど、八神先輩は知らないよ?」
「あさ兄ちゃんって、自分のご飯は自分で作ってるから、下手な大人より自炊年数長いんだもん! 上手くて当たり前だよ!」
「あ! 何かこそこそ話してるね」
そう呟いたのは、優衣ちゃんかな。
言われた通り二人に視線を下ろすと、ちづちゃんより少し背が高いあさ兄ちゃんが腰を曲げてちづちゃんの耳に口を寄せてる。どうみても、内緒話の最中だった。
「食材とかの確認かな?」
「案外、もう作るもの決まってたりしてね」
あの二人だもん、それくらいしててもおかしくないかも。
けど、二人を応援してたいのに、目を逸らして逃げ出したいって叫ぶ自分がいた。
そんな会話の間にも司会によってイベントは進行してて、ルールの説明が終わってた。
『それでは、ワイルドキッチン、スタートッ!』
司会者渾身の絶叫に被さるように、どこからかブザーが響き渡る。
ブザーがなった途端、各コンビの片割れが五人、一斉に中央のカゴ目掛けて走りだした。あそこから早い者勝ちで食材を持っていくから、全員が必死の形相をしてる。まあ、ここからだと詳しい表情は見えないんだけどね。
「あ、八神先輩、的確に持ってってるねー」
晴子ちゃんの声につられてあさ兄ちゃんを探すと、皆が我先にと押し合いへし合いしてる中をすり抜けるようにして、特定のものだけを持っていってる。やっぱり、さっきの時点で作るものは決まってたみたい。けど。
「あれ? 動きが止まったね」
「何か迷ってる?」
華麗、という表現が似合うような動きだったあさ兄ちゃんだけど、生ものと野菜の間で動きが止まった。少し小首を傾げてる。あれ、何か考えてるときの癖なんだよね。
「あ、動いた! あさ兄ちゃん、やっぱり何か迷ってたのかな?」
「かもね。待ってる安倍先輩も、ちょっと戸惑ってるみたい」
そう言われてみれば、駆け戻ってきたあさ兄ちゃんを見て、ちづちゃんも小首を傾げてる。何か、動作がそっくりで笑っちゃうよ。
……そうは言っても、あんまり笑えないんだけどさ。
朝陽が持って帰ってきたものを見て、私は思わず首を傾げていた。
さっき決めた品目は、豚汁とかき揚げ丼。
そして、朝陽が持ち帰ってきた材料は、「豚肉五十グラム」「ごぼう一本」「にんじん一本」「里芋一個」「こんにゃく一個」「長ねぎ一本」「煮干一袋」「玉ねぎ一個」「小麦粉一袋」「卵一パック」そして、「甘エビ一パック」「大根一本」。その二つは、どうしたいの?
私の言わんとする事を悟ったのだろう。全力疾走で乱れた息のまま、切れ切れに話し始めた。
「甘エビの、刺身くらいなら、追加しても、大丈夫だろ」
まあ、そうね。というか、ここからカゴまで五十メートルくらいだと思うんだけど、息切れしすぎじゃない?
「とにかく、始めよう」
「はいはい」
『さて! すべてのコンビが調理に入りました! ……おおっと、コンビ・妙味、いきなり何を始めた? どう考えてもジャガイモの皮くらいは剥いた方がいいんじゃないだろうか!』
司会者が料理研部長にマイクを譲り、解説要素を少し加えたような実況が始まる。とりあえず、「妙味」の料理はどこに行き着くんだろう。審査員の生命に関わらないと良いけど。
『コンビ・みらく! 片方の動きがすさまじい! もう片方は立ちっぱなしか? ……と思えば、コンビ・生徒会書記! 煮干の下処理が丁寧だ! 大事だぞこの処理!』
実況が目まぐるしく状況を伝えていく中で、まだ一度もあさ兄ちゃんたちは話題に上ってない。確かに突出して凄いわけでもおかしいわけでもないけど、もう少し目立っても良いんじゃないかな。
なんて愚痴っぽく思ってたら、実況者たる料理研部長も、ようやくあさ兄ちゃんたちに目を留めたみたいだった。
『コンビ・あじよし! 豆腐の切り方が妙にテクニカルだ! ……しかし、やはり特設キッチンは二人で使うには手狭と言うことか? すべてのコンビが大なり小なり、接触によって手元が狂って……いや、いやいやいや! コンビ・ブレイカーズだけは例外だ! 何だあのコンビネーションは!』
実況者の言葉によって右往左往する観客の視線が、あさ兄ちゃんたちに集中する。確かに、二人ともまるで互いの動きが予測できてるみたいに、互いが避け合い、譲り合って料理してる。
『あれこそ、まさしくコンビ! 人並みはずれた技術で魅せなくとも、着々と、淡々と作業を進めている! そしてあれは刺身のツマか!? 丁寧かつ素早い包丁捌きだ!』
「ホントだ、狭そうだけど、ぶつかってないね」
「何か、相方の位置とか動きとか、全部把握してる感じ?」
「そうそう! 『お前の事くらい、見なくても分かるさ』みたいな!」
「それこないだのドラマの奴じゃん!」
『コンビ・妙味! 何だその料理は! だし汁で煮てどろどろになったバナナに……大根おろしとしょうが!? 審査員諸君の健康と存命を祈ります……』
「……食べたくないけど、味は知りたいわ」
「あ、それ分かる!」
騒いでる晴子ちゃんと優衣ちゃんの横で、あたしはずっとあさ兄ちゃんたちの様子を見てた。優衣ちゃんの引用したセリフが当たらずとも遠からずなように、あたしには見える。
『ブレイカーズ、豚汁担当と……かき揚げだ! かき揚げ担当に分担した模様! 肘があたりそう……で当たらない! まぐれか意図してか、草食動物並みの視野がありそうだ!』
そんな特殊能力は、あの二人には備わってない。けど、お互いがちゃんとお互いを見てる、そんな気がした。どれだけ料理に集中しても、どれだけ相手が見えなくても、何となく、動きが分かる。たぶん、あの二人はそんな感覚で動いてるんだよね。
あたしだって、そうだから。あさ兄ちゃんが不意に視界から消えても、次にどう動くのか、とか。何をしたいのか、とか。大体の予想は付くから。それくらいは、あさ兄ちゃんとずっと見てきたから。目で追ってきたって言っても、あながち間違ってない。
けど、あたしが培ってきた十年以上のキャリアを、ちづちゃんは半年と少しで越えてきてる。もちろん、小学校のときの四年間もあるけど、それだって一度リセットされたようなものなのに。
ううん。あたしはきっと、分かってる。ずっと前から思ってるって、今まで誰よりも近くにいたからって、特に偉くはないんだよね。だって、あたしは何を言ったわけでもないから。あたしの想いを、何一つとしてあさ兄ちゃんに伝えてないから。今起きてる事は、「態度で伝えよう」なんて、弱気な態度を続けてきた、あたしの油断が生んだ当然の結果。
けど、だからといって今更諦めるなんてできないもん。今までダメだったけど、ちゃんと伝えたいから。
我知らず、拳を握り締めてた。
『妙味! 一体それは何だ! 液体か? 固体か? それにしても一体どういう過程を辿ったらそうなるんだ! ……生徒会書記、照り焼きが佳境に入った! いい香りが漂ってきている!』
実況者の言葉通り、微かに香ばしい香りが漂ってくる。けど、それを楽しむ前に、当たらし香りが上書きしてきた。
『おおっと! 絶妙なコンビネーションを魅せるブレイカーズ、かき揚げを上げる音と香りで、照り焼きを上書きしてきた !……しかし、おっと? ここで担当者交代か? まさかの交代だ! 今変わると、揚げ具合の感覚が分からないんじゃないのか!? ……みらくは、リンゴを剥いています。しかも、球体を多面体に生みかえるおまけつき。そして、時間は残り十分!』
実況の声は届くけど、見ている人たちはかき揚げの香りと、妙味が生み出す獣臭じみた香りに釘付けだ。特に、かき揚げ。
あさ兄ちゃんにかき揚げを任せたちづちゃんが、大根を刻んでツマを作る作業を引き継ぐ。さすがというのべきなのかな、正確に大根が細切れになってく。
『あじよし、オムレツがそろそろか? ……さて、妙味の面妖怪奇な料理は続いています。今度は溶き卵に……あれはトマトか? 溶き卵にトマトをぶち込んだーっ! そのまま全力で混ぜる! そしてフライパンへ! そこには微塵切りにされた豆腐とひき肉、それから白菜が乗っている! それは何という料理だ!』
それは最早料理じゃないと思う。審査員席に座ってる人たちが、皆青くなってるし。
『さて、残り五分! おっと、ブレイカーズは豚汁を温めなおす! その気遣いが温かい! あじよしも味噌汁二つが完成! みらくは……それはリンゴか? 一昔前のモヤモヤしたボールみたいになっているぞ!』
それぞれのコンビが最終調整に入って、お皿に盛り付けていく。あさ兄ちゃんたちも、危なげない手つきでお皿に盛って、お盆を審査員席に運んでいく。
『三! 二! 一! ゼロ! そこまでーっ!』




