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君と、もう一度。  作者: れんティ
夏休み編
48/126

勉強会:其の三

 「あさ兄ちゃん! ここわかんないよー!」

「朝陽! これどうやって解くんだよ!」

結局こうなるのか。

 真澄豊四季の相手を俺が、蜜柑さんへの説明を千鶴がするはずだったが、開始十分でもう俺の負担が限界を超えそうだ。

 真澄が教えを請うているのは、一年の日本史。良樹は二年の数学だから、俺は一、二分毎に思考の切り替えを要求されているわけだ。それも百八十度近く。

「千鶴! 手伝ってくれ!」

しかも俺は数学があまり得意じゃない。人並みに取れるとは言え、人に教えるほど俺自身の理解が深いわけじゃない。その点、千鶴はどちらかと言えば理系らしいから、任せても大丈夫だろう。

「良樹、千鶴に頼め」

「はいよ。安倍―」

「分かってるわ。ちょっと待ってくれるかしら?」

「あさ兄ちゃん! あたしに集中するの?」

「社会なら俺の得意分野だからな。蜜柑さん、ごめん、大体の説明は受けただろうから、その原稿読んで待っててくれ」

「はい、分かりました。私にも何か手伝える事があれば言ってください」

「その心遣いだけは貰っておくよ」

薄く笑って、良樹と真澄に挟まれる形になっている今の位置からよける。良樹の隣には千鶴が入るだろうと思っていたのだが、以外にも千鶴はたったままやるつもりらしい。

 「で、ペリーは千八百五十三年だ」

「な、なんで?」

「当たり前だろ。江戸時代は千六百年からだ。ペリーが来たことにより尊皇攘夷運動が始まるから、千六百年に来られると江戸時代の二百年がどこかへ消えるだろ」

「あ、そっか」

「一応徳川さんに謝っとけ」

「ごめんなさい!」

「俺は徳川の末裔じゃない。で、ペリーが来たから尊王攘夷運動が始まる」

「ああー! 分かった! 分かったよ!」

真澄が理解を終えたらしく、宿題にガリガリと書き込み始める。手持ち無沙汰になった俺は、何とはなしに顔を上げる。

 それが、間違いだった。

「で、ここでこうなるから、これで連立方程式を作るのよ」

「あ、あー! なるほど。ここが抜けてっからわかんねぇのか!」

「ふふっ、そうよ。じゃあ、もう解けるんじゃないかしら?」

 グラリ、視界が刹那の間揺れる。鍵の上から鎖を巻いた想いは、今にもすべて引きちぎりそうだ。

 なんだよ、その顔。俺には、そんな笑み見せないくせに。

 嫌な奴だ。俺の中で閉じ込めている嫌な奴が鎌首をもたげる。どろりとした感情を吐き出して、俺の内臓を黒く塗りたくる。ダメだ、今出てきたら、それこそ俺は、こいつらの中にいられなくなる。

 けど、良樹に数学を教えている千鶴の顔は、見たこともない笑みで彩られていて。

 どうしようもない苛立ちが生まれた。


 「あさ……」

質問しようと上げた顔を、弾かれたように下げる。見たくなかった。今の顔は。できればそんな顔、今しないで欲しかったよ。

 どうして、そんな顔するの。あたしが栄介君とはしゃいでも、そんな顔しないのに。どうして、そんなに悲しそうな顔でちづちゃんを見てるの? 良樹先輩と話してるのが、そんなに悔しい?

 あさ兄ちゃんがそんな顔で見ている風景がどうにも気になって、ちらりと盗み見る。そして、その意味を悟った、悟っちゃった。

 そこには、見たことないくらい優しげな笑みを浮かべるちづちゃんがいた。無邪気に笑う良樹先輩の手元を指差して、的確なアドバイスをしていく。

 どうして、そんな顔するのか、分かってるもん。

 あさ兄ちゃんは、ちづちゃんが好きなんだ。

 あたしがあさ兄ちゃんをどれだけ好きでも、あさ兄ちゃんはちづちゃんを見てるんだ。

 どうしようもなく、泣きそうだよ。


 一度コツを掴んでしまえば、スラスラと解ける。樋口君は根本的に残念なわけじゃなくて、理解が少しだけ足りないだけみたいね。

 無邪気にはしゃいで、私の解説に耳を傾けて、分かれば嬉しそうにといていく。人に教える事のくすぐったさが背筋を駆けて、私は自然と笑っていた。

 樋口君が難問に熱中し出したから、私は手持ち無沙汰になって顔を上げる。

 すぐに、それを後悔した。

「だから、井伊直弼は桜田門の外で暗殺されたんだ。だから桜田門外の変っていうんだからな。桜田門街って町じゃないし。名前の暗記じゃなくて、その出来事の要点を覚えろ」

「うえー、分かったよー」

楽しそう、ね。すっごく。

 何よ、そんな風に二人笑いあっちゃって。そんなに楽しいの?

 私は真澄ちゃんみたいに元気じゃないし、ころころ表情が変わるようなかわいらしさも無いわ。無愛想なのは重々承知の上。それが私なんだって、納得してたのよ。

 けど、今はそんな自分がすごく嫌。朝陽は、きっと真澄ちゃんみたいに可愛くて、守ってあげたいような人の方がいいのね。

 朝陽の内面を見ても、私は一緒にいようって言える。けど、あれが私に降りかかってきたとき、本当に笑って受け流せるのかしら。真っ向から受け止めて上げられるのかしら。

 きっと、できない。どこかで逃げ出してしまう。

 それが、怖い。口では言えても、いざ自分の番だとなったら逃げ出してしまうような、裏切りを働いてしまいそうで。そんなことをしたら、今度こそ朝陽は誰とも触れ合わなくなってしまうかもしれないって、分かってるから。

「だから、薩英戦争だろ。薩長戦争じゃない。それは薩長同盟だろ。手を組め。戦うな」

「ぐっちゃぐちゃだよー!」

「歴史はそんなものだ」

 真澄ちゃんは、朝日のうちを知っている。けど、あの時朝陽の声を聞いたのは私だけ。それは変わらない事実だけど、真澄ちゃんは朝陽がどれだけ罵っても、ついて行くのよね。

 そう思うと、どうしようもなくやりきれなかった。

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