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君と、もう一度。  作者: れんティ
夏休み編
45/126

夏休み:其の十七

 「それでは柴田さん、お世話になりました」

「いいのよ。そんなにかしこまらなくても。じゃあまた泊まりに来てね?」

「ええ、また来年の夏にでもお願いするかもしれないから」

昨日、あれから俺が旅館に戻ってきたのは、千鶴の発見報告から三十分が経過した頃だった。まあ真澄が騒いだり清水に罵られたり螢先輩にからかわれたりがわら先輩に説教されたりとその後一時間ほどギャーギャー騒いだから、終身は二時間ほど後になった。まあ、とりあえずは俺の土下座から始まったわけだ。


 規則正しいリズムに揺られ、俺たち六人は帰路を機械任せに辿っていた。バスからローカル線、普通列車を経て、現在は特急列車。全行程四時間ほどのうち、二時間半が特急だ。

 またしてもじゃんけんが行われた結果。俺の隣は千鶴。千鶴の前が清水で、その隣が真澄。またしても先輩二人は通路の向こうでよろしくやっている。断じて仲間外れなどではないことをここに明記しておこう。本当だ。

 ここから二時間半、今乗車から五分ほどだから残り二時間二十五分か。まあ二時間と少しの間、暇だ。他の乗客もいるためそこまで会話に花を咲かせるわけにもいかず、ぼんやりと外を眺めたり、二言三言の会話に興じたり、外を眺めたり。まあ、やることはないわけだ。往路では、一時間を過ぎたあたりで脱落者が出た。岐路では、どうなるのやら。

 まあ、黙って外を眺めるのにも限界があるので、イヤホンで曲をランダムに再生する。構成でも練って、時間を潰す事にしよう。

「……あら、何聞いてるの」

「ん? ああ、色々」

別にはぐらかしたわけじゃない。俺は基本気に入った曲はジャンルを問わず聞くから、クラシックの次がぼーカロイドだったりアニメの主題歌だったりと、文字通り色々だ。

「気になるわね。……ちょっと失礼するわよ」

数瞬考え込んだ千鶴が、自然な様子で俺の左耳に自らの右耳を押し当てた。当然の帰結として、柔らかな紙が俺の左頬を撫で、自分のとは違う体温が伝わってくる。漂ってきた微かな香りが脳を溶かし、俺の体を石のように固めた。

 「へぇ、このアニメなら見てたわ」

「じゃ、じゃあ、半分使うか?」

純度百パーセントの好奇心から来る行動を無碍に引き離す事もできず、中途半端な申し出をしてしまう。

 右耳から外したイヤホンを差し出すと、千鶴はわざわざ体を寄せ、自身の右耳にそれを入れる。おかげで、密着度がうなぎ上りだ。俺の骨ばった感触とは違う、丸みを帯びた、特有の柔らかさを持った感触が、俺の右半身を温めていく。そろそろ沸騰しそうだ。ついでに頭も。

 とりあえずミックスのままではどうかと思い、現実逃避気味に携帯をいじる。この曲と同じアニメの挿入歌やエンディングなど、十曲ほどを集めたファイルに切り替えた。

 数秒後、過ちを悟った。

 あのままランダム再生にしておけば、この心臓に悪い状況は一曲、つまり五分弱で終了したのだ。それなのに十曲も続けてしまえば、単純計算でも一時間と少しはこの状況が継続される可能性が出てきてしまった。というか、千鶴の表情を見るにその可能性が大きすぎて怖いんだが。

 人が一生で行う心拍数は決まっている、という説がある。それが正しければ、俺の寿命

は今、急激な速度で縮んでいるだろう。即死級のダメージ食らったヒットポイントバーもかくや、と言ったところか。

 「……先輩方、いちゃつきすぎです。目の前でやられるこっちの身にもなってください」

一曲聞き終わった頃、清水がそんな呟きを零す。とはいえ、こちらにも言い分はある。あるのだが、とりあえず一言返しておくべきだろう。

「その言葉、そっくりそのまま返すぞ」

「い、いや、これは柏木がバランスを崩して……!」

現在、清水の右肩には真澄の頭が乗っている。いや、ホラーとかスプラッタ的な意味合いではないぞ。

 真澄は出発後、三十分ほどでかっくりと首を折った。うつらうつら、何て表現が似合いすぎる状態で十分ほど首を前後させていたが、ついに観念したらしい。その後は、電車の揺れに身を任せながら眠りこけていたが、千鶴が俺のイヤホンから曲を聞き始める少し前に、清水に寄りかかるように倒れこんだ。慣性の法則なのかどうかは分からないが、そのまま頭は清水の肩にコテン、と乗っかっている。そして、清水に嫌がる素振りは見えない。

「……お互い触れないようにしよう」

「……そうですね。そうしましょうか」

 とりあえず平和的な解決がなされたその時、俺の肩にも重みが加わった。微かな、とは間違っても形容できないが、長時間続けられても苦痛は感じない程度。

「……ちづ……?」

貸したイヤホンは耳から外れて垂れ下がっている。が、当の千鶴にそんなことを気にする素振りは見えず、というか目を閉じて深い呼吸を繰り返している。どう考えても眠っているようだ。道理で、俺と清水の会話に入ってこないわけだと納得する反面、そんな風になるならイヤホンなんてしてるなよ、と呆れが込み上げてくる。苦笑する清水に苦笑で返して、そっと隣の頭を見やる。

 目を閉じたその表情は安らかで、わざわざ体勢を戻させるのは気が引ける。それで起こしてしまえば、罪悪感は計り知れない。

 というか、単純に起こしたくない。

 無防備に寝顔を晒すような和らいだ態度を突き放したくないし、何より頼ってもらうのは純粋に嬉しい。

 さらりとした髪が、電車の揺れに合わせて俺の肩を流れていく。その髪に、触れたかった。きめ細やかな白い肌に触れてみたい。触れてみたいけど、そのせいで何かが壊れてしまうような、不思議な恐怖に気圧されて一歩は踏み出せない。

 俺の手では捕らえられないくらいしなやかな髪が一房、俺の肩を滑り落ちていく。それをどうしても受け止めなきゃならないような、俺の体から離れていくのを何が何でも止めたいような、そんな衝動が湧き起こる。不思議な気分だった。

 そして俺は、この不思議な気分の源泉を知っている。二年と少し前の、あまり良いものではない記憶。これは、きっと。

 でも俺は、それを口に出すことは無いだろう。どれだけそれが大きくなっても、どれだけ耐え難くなっても。螢先輩には偉そうな事を言っておいて、自分はやらないなんてとんだ詐欺師だとは思うが。

――――朝陽にとって、アタシはなんなのさっ!?

 俺は、たぶん人を幸せにできない人間だから。どれだけ気を使っても、そういうのはいつかどこかでぼろが出るものだ。

 だから、この気持ちには蓋をしよう。出てこないように、密封して。

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