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君と、もう一度。  作者: れんティ
夏休み編
42/126

夏休み:其の十四

 「……また、やっちまった」

俯いたあさ君の顔は、長く伸びた前髪が影を作り、私が窺い知ることはできない。けれど、呟いたときの声音から、どうしようもなく辛そうだというのはわかった。それほどまでに、痛々しく掠れた声だったもの。

 今見たあさ君の言動を信じられなくて、皆固まってしまっている。その沈黙をどう取ったのか、唐突に朝陽は駆け出した。天野先輩の横を、そして清水君の横を風のように走り去って、路地から出て行く。すぐに、浜辺の方へと曲がって見えなくなってしまった。

 走り去るあさ君に向かって名前を呼んだけど、追いかけられない。足から地面に根が張ってしまったように動かなくて、それどころか、震えていた。

 「……とりあえず、戻るか」

天野先輩の声を皮切りに、金縛りが解ける。けれど、あの時感じた悪寒はまだ、体中に残っていた。

 「それにしても、なんだったんだ、あれ」

「あんなに口汚く人の悪口を言う八神君なんて、見たこと無かったのだけど」

「あたしも、あんなに怒ったあさ兄ちゃん、見たこと無いです」

当然、旅館に帰る道のりでの話題はあさ君のことだった。

「安倍さんは? 何か知らない?」

「私……もしかしたら、見たことあるかもしれません」

記憶の奥底を引っ掻き回す。条件に合う記憶が、検索を掛けるだけで出てきてくれるとありがたいのだけど、そうはいかないのよね。ただ、今回は数十秒足らずで出てきた。

「私が、引っ越す少し前に、あさ君の家を訪ねたときに、すごい怒鳴りながら出てきたことがあったんです。確か、引っ越すことを言おうとしたときだったかしら……けど、あんなに人を罵るあさ君は、初めて見ました

「けど、『また』って最後に言ってましたよ」

「ってことは、前にもあったってことか」

真澄ちゃんすら知らないってことは、意図的に隠してたようね。家庭内のことかしら。『大喧嘩』って言ってたから、それもありうるかもしれないわね。

 けれど、今心配なのはそこじゃない。掛け猿前に聞こえたあの呟きが、耳に残って離れない。そして、見えなかった表情が、私の危機感を煽っていた。

 そして、その危機感は現実のものとなる。

 「え!? 戻ってない!?」

「ええ。八神君って、あの髪の長い男の子よね? 戻ってきてないわよ?」

「うそ……あさ兄ちゃん、どこ行ったの?」

「マズイな、またさっきみたいな奴らに絡まれてたら、次は無事じゃないだろ」

「というか、さすがにこの時間に一人でフラフラしてたら、最悪補導もありえますよ」

天野先輩や清水君の言う通り。今の時間は午後九時、高校生の男子だって遅いと言える時間よね。

 「……これ、頼みます」

「え、安倍さん!?」

そう考えたらいてもたってもいられなくなって、持っていた荷物を小笠原先輩に押し付けて、外に飛び出した。


 勢いに任せて飛び出したはいいけれど、どこに向かうべきかまったくわからない。土地

勘の無いこの場所でとりあえず走り回ることの危険性が理解できるくらいには、私は冷静だった。

 朝陽も同じように冷静かどうかは分からない。けれど、わずかな可能性に縋るように、私は浜辺へと足を向けた。

 祭りの残滓、片付けられた屋台が佇む会場を抜けて、花火を見たところまで左右に首を振りながら駆け抜ける。屋台の骨格だけが残った会場は、案外見通しが良くて助かった。

 花火を見た、会場から少し離れたところにある、誰かが忘れていったパラソルの少し横。突っかけていたサンダルは砂でじゃりじゃり、お風呂で洗って整っていた髪は風圧と汗でぼさぼさ。そんなぼろぼろな状態でたどり着いたそこには、誰もいなかった。

 誰かがいた形跡も無い。辛うじてさっきの足跡が薄く残っているだけ。

 考えなくても分かる。ここに、朝陽は来なかった。

 一気に落ち込む気分に鞭打って、左右に視線をめぐらせる。けれど、人の気配は無かった。湿気をたぶんに含んだ夜風が、私の髪で遊んでは去っていく。

 最悪なのは逆方向に言ってた場合だけど、それは真澄ちゃんたちに任せればいいわよね。私はこっち方面を探すことに専念するべきよ。

 砂浜から、側の道路に出る。砂浜に沿って伸びているから、向こう側に行くのならこっちの方が走りやすいもの。

 サンダルがペタペタと音を立てて、其のたびに景色が少し後ろにずれる。足に当たる砂の感覚は、私の頭から消えていた。あるのは、心配、不安、苛立ち。それから、微かな恐怖。十分くらい前に見たあの姿が、またも脳裏を掠める。言いようの無い不安が背中を押すように、私は足の回転を速めた。

 バス停から旅館まで、昨日辿った道を掛け戻る。昼間とは違う闇色の海は、見つめていると吸い込まれそうな気分になってくる。暗闇に吸い込まれていく朝陽を幻視して、慌てて頭を振った。

 はたと、足が止まる。

 いつの間にかバス停を通り過ぎていたみたいで、道の脇には私の腰くらいまでの防波堤ができている。そして、私の視界の中で、その防波堤に腰掛けている人影があった。

 星明りだけでは顔はおろか性別すら識別不可能。だけど、朝陽だっていう確信だけはあった。なぜかは分からないけど、直感した。

 走り続けで乱れた息を整えて、勤めて平静を装う。拙い縁起は朝陽相手にどこまで通用するのか、なんて取りとめも無い疑問で感情のごった煮を抑え込んで、私は人影に歩み寄った。

 近づくほどに輪郭が鮮明になり、私は予想が正しかったことを知った。

 痩せていると言っていい、私より十センチほど背が高い身体。男子にしてはかなり長く、眉間を越すほど伸びた前髪。いつもは眉間やこめかみに割り振られているそれが、意図的なのか、走った結果なのか、夜闇も相まって、今は目を隠していた。それと私の位置の関係で、表情から感情を読み解くことは叶わない。

 サンダルの足音は消すことができていないから、ペタペタと言う特有の足音はとっくに朝陽の耳にも届いているはずなのに、朝陽は振り返らない。俯き加減で真っ黒い海を見ている。その向こうで蠢く何かを見出そうとしているかのように。まるで、そこに答えが浮かび上がるのを待っているように。そんなの、待っていても意味はないのに。

「……朝陽」

躊躇いがちに、名前を呼ぶ。振り向いたその顔を見て、私は息を呑んだ。

 朝陽は、この距離で見ても分かるほど、辛そうだったから。

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