夏休み:其の十三
「オイ、オイオイオイオイ! 何シカトしてんだよ! 話聞けやコラ!」
話は終わり、とばかりにさっさと背を向けたあたしたちを、茶髪の方が声を荒げて引き留める。まだ何かあるのかな。さっきは冗談めかしてみたけど、怖いのはホントなのに。
お風呂セットを抱える腕に、力が入る。それを見かねたのか、隣に立っていた栄介君が声を掛けてくれた。
「柏木、大丈夫か?」
「う、うん。大丈夫だよ」
「……はぁ、まだ言うのか……って、どうした?」
螢一郎先輩の驚いた声に驚いて、視線をそっちに向ける。さっきまでちづちゃんの横にいたはずのあさ兄ちゃんが、螢一郎先輩の前で、不良との間に立ち塞がるみたいに立っていた。その後ろ姿に、言い知れぬ不安が芽生える。だって、あさ兄ちゃんはどっちかって言うと、さっきみたいに周りを気遣ってる方だと思ってたのに。
「選手、交代です」
そう言って振り向いたあさ兄ちゃんの顔には、見たこともないほど歪んだ笑いが張り付いていた。それが目に入った瞬間、背中がぞくりとする。
「八神先輩、どうしたんだ……?」
「わかんない。わかんないよ。あたし、あんなあさ兄ちゃん見たこと無いもん……!」
栄介君もおんなじように感じたのかな。そんな風に思えるほど、その声は動揺してた。あたしだって、人のことは言えないんだけど。
わかんないけど、一つだけ直感した。あさ兄ちゃん、怒ってる。
「おーおー、ナニ? やんのか? それともドケザする?」
「お前らみたいな社会不適合者に頭を下げる理由も、ましてや殴りかかって問題起こす理由も無いな。もう少し考えてから喋れよ。馬鹿みたいだぞ。ああ、馬鹿だったか」
「テメェ! もっぺん言ってみろ!」
「その反応は聞こえてるからこそのものだろ。だったらお前らみたいに同じこと何度も繰り返す必要ないよな。当たり前のことを説明させんな。お前の頭蓋骨は何を守ってるんだ」
すらすらと飛び出していく、挑発的な言葉。いつも見ていた、優しいけどからかうのが好きなあさ兄ちゃんの姿は、どこにもなかった。あるのはただ、相手をけなし、傷つけ、徹底的に叩き潰そうという、黒い意思だけ。
「なーに強がっちゃってんの。好きなコの前でカッコつけよーとか思ってるカンジ? アハハッ! まま、オマエみたいのは宿に帰ってオトモダチと寂しく騒いでな」
「わざわざ啖呵切ってもらったとこ悪いけど、妄想を口に出すとか引くぞ。どうせ、お前こそ『こうやってナンパする俺かっこいい』とか思ってる口だろ。ダッサいな」
金髪の方はともかく、その横の茶髪の人は今にも爆発しそうに見える。あたしだけなのかな。でも、目に見えて悔しそうだし。早めに逃げないと、大変じゃないのかな?
そんなあたしの心配なんて届くはずもなくて、ましてやこの状況に割って入れる人なんていなくて、口論は続いちゃう。
「いーかげんにしろよ。ホントテメェナニ?ジャマしないでほしーんだけど」
「相手が俺の知り合いじゃなきゃ、嫌がってなきゃ、邪魔はしないさ。どう見たってお前らが無理やり連れて行きそうだったから、割って入っただけだ。しつこい奴は嫌われるって、知らないのか? 常識もないくせに、何で生きてられるんだ」
「どーせ、テメェら健全なオツキアイとか頑張ってんだろ? だったら、オレらが責任持って楽しませてやるからさ、女置いて帰んなよ。悪いことは言わないって」
まだ諦めないどころか、語気を強めた金髪の人に向かって、あさ兄ちゃんはこれ見よがしにため息をついた。
「さっきから、同じことしか言ってないけど、他の言葉喋れるか? お前らの頭の中では五十音は八音なのか? それとも『楽しませる』って言葉しか知らないのか?」
「ハァ? テメェホントナニ言ってんの? いい加減シツコイんだけど」
「お前らこそ何言ってんだ。今の、どれをとってもこっちの台詞だろ。そのくらい理解してくれないと、俺の日本語が通じてるかどうか心配になってくるんだけど。お前ら日本語喋れるか? Do you speak Japanese?」
「イミフだな。オマエ頭だいじょぶか? ネジ足りてるか?」
「この文法、中学生レベルだぞ。お前らこそ脳みそ入ってるか? まさか赤味噌だったりとかしないよな? ああ、あわせ味噌だ、なんてボケはいらないぞ。低レベル過ぎる」
「あーもう、ラチあかねーし。ホントうっせーんだよ」
あ、ああ、大変だな。茶髪の人が指の骨ポキポキ鳴らしながら前に出てきちゃった。絶対殴られるよ、あさ兄ちゃんが。大変だよ!
「殴るのか? お前らにそんな度胸あるのかよ。っていうかここで俺を殴ってどうするんだ? 千鶴たち連れて行くのか? 無理だよな。俺を殴ってる間に逃げられるだろ。この路地から外に出てしまえば、近くの家に飛び込んで警察呼べばいい話だ。それとも殴ってすぐ逃げるか? それで、ナンパに失敗して人殴って逃げ帰ってきましたって、仲間に自慢するのか? ああ、お前らのことだから脚色して、事実捻じ曲げるんだろうな。それくらいの悪知恵ならさすがに働くだろ。女に絡んだらカッコ付けが飛び出てきて、一発殴ったら泣いて逃げたとか言うのか? 無理だよな? そんなこと言えば、警察に通報された時点でその話はご破算。ナンパに失敗して人を殴った挙句、事実を捻じ曲げて無理やりカッコつけたただの間抜けに成り下がるもんな。ていうか、ナンパして、人殴って、そういうのが武勇伝になるって考えてる事自体、お前らの頭に何も詰まってない証拠だろ」
「何ペラッペラ抜かしてんだ。どーせテメェも、殴ったら泣いて逃げ出すんだろ?」
「確かに俺は喧嘩なんてしたことないし、する気も無い。けど、さすがに殴られてそのまま、は面白くないな。一発くらいは報いたいと思ってるし。というか、お前の頭は叩いたらどんな音がするんだろうな。空洞音か? それとも肉塊叩いたときの音か?」
この時点で、金髪の人は気味悪げな顔で後ずさってる。もう、いいんじゃないかな。
「あー、うっせぇ! いーかげんに黙りやがれやテメェ!」
「お前らの目障りな顔が見えなくなったら黙るさ。いい加減に消えろ屑共」
「……うっせぇンだよ!」
「反論が小学生以下だぞ。言葉で反論できないまま殴りかかったらそれこそゴミだ。いい加減にしろ人類の恥。いっそ豚小屋で一生過ごした方が分相応かもしれないぞ。というか人の振りしたって口を開けばばれるんだ。諦めて土に返れ生ゴミ。そして今まで使ってきた資源を返せ。お前らが生きている事自体無駄遣いだ」
スイッチが変な方向に入っちゃったみたいで、罵詈雑言の嵐が吹き荒れる。そこで、不良達の対抗意識も潰えたのか、何かもごもごと呟いて走り去っていった。
「あーあ、逃げたか」
残念そうに呟いたあさ兄ちゃんは、振り返ろうとして、はたと止まった。
「……また、やっちまった」
悔しそうにそう呟くと、あたしたちの方を見ずに、横を駆け抜けていく。
「あさ兄ちゃん!」「あさ君!?」
あたしとちづちゃんの声が重なる。その間に、あさ兄ちゃんの姿は見えなくなっていた。




