夏休み:其の十二
風呂場を出て、そのまま靴を履く。民家のような大きさに見えた建物は、下駄箱と番台、脱衣所だけがあり、その他、例えば休憩所のようなものは無かった。精々、扉の横に自動販売機があるくらいだ。
下駄箱の前で待っていても良かったのだが、生憎狭い。三、四人が立っていたらそれだけで塞いでしまう。それでは他の客の邪魔になるからとがわら先輩が強硬に主張したため、自動販売機の近く、つまりは外に出たところで落ち合う予定だったのだが。
「……いないな」
「……いないですね」
「人が多いんで、どこか脇によけたんじゃないですか?」
三人は、いなかった。五分ほど前に千鶴から上がった旨メールが来ていたから、何か不測の事態が無ければここにいるはずなのだ。が。
不測の事態は、起こっていた。
現在時刻は午後八時三十八分。花火が終わってから一時間と少し、そして、祭りは毎年八時四十分くらいには終了していると、今朝柴田さんが言っていた。
つまり、目の前の道路には、祭りから帰宅する人々で溢れかえっているのだ。ほとんどの人が祭りの余韻を楽しみながら、興奮したように顔を赤らめて歩いている。どう考えても、周囲に逐一気を配っているようには見えない。どちらかと言うと、この混雑で楽しさが萎み、周囲とぶつかる肩を不機嫌そうに見ている人の方が多い。こんな中で、端の方とは言え黙って突っ立っていれば迷惑になるだろう。
「……脇によけたって、どこだよ?」
とは言え螢先輩の言葉通り、この人通りでは三人を見つけることは至難の業だ。しかも、見渡す限りこの周囲には四つ以上の路地がある。人の流れを横切って、虱潰しに除いていくのは難しいだろう。しかも、これ以上ここにいても迷惑になる。
「……あそこ、じゃないですか?」
意味もなくキョロキョロと辺りを見回していた俺たちの行動に明確に指針をもたせたのは、清水の言葉だった。
清水が指差しているのは、数ある路地のうち、俺たちから見て一番遠いところだった。よくよく見れば、人影がふたつ。が、この人数だ。それが誰かを判別できるところまで見ていられない。
「……ああ、ホントだ。亜子がいるな」
「マジですか?」
「行くぞ、黙ってても仕方ない」
とりあえず二人の情報を信じて、人の流れに逆らう。どうやらこの上が住宅街らしく、皆一斉にそちらへ向かっているみたいだ。その分、路地につくまでかなりの時間がかかった。
「……ッ!」
最初に路地へ顔を出した清水が、驚愕の中に微かな恐怖を浮かべて振り向いた。
「どうかしたのか?」
「……思いっきり、絡まれてます」
「マジか。どうする?」
「ここは、螢先輩が颯爽と出て行ってがわら先輩を助けるパターンですね」
「はぁ? いや、俺がそういうの苦手だって知ってるだろ」
「……いや、冗談抜きでやばそうですよ。かなり口悪いし、体もでかいです」
珍しく狼狽した清水の態度に好奇心をくすぐられて、そっと路地を覗く。確かに、全力で関わりたくないと言える、俺たちよりいくらか年上と思しき男たち二人が千鶴たち三人に何事か語りかけていた。
「……清水、電話。一一〇番準備しとけ」
「は? いや、そこまではいかないんじゃないですか?」
「念のためだよ。さ、螢先輩。バックアップを完璧ですから頑張ってください」
「マジか……とりあえず声掛けてみるけどさ」
俺たちの態度を見て、今更何も変わらないことを覚悟したのだろう。ため息を一つ残して、螢先輩は路地に入って行く。俺たちも、少し離れてその後に続いた。
「亜子、大丈夫か?」
「あ、螢!」
千鶴と真澄を背後に庇うようにして、不良――と言って良いのかいまいち分からないが便宜上こう呼ぼう――二人と相対していたがわら先輩が、ほっとしたような、縋るような顔で振り向く。螢先輩、期待されてますよ。それもかなり。
「あーらら、カレシ? でも冴えないねー。そんなヤツほっといて、オレらときなよ」
「てかさ、後ろ二人はそれぞれナニ? オレらの邪魔しないで欲しーんだケド?」
「うちの部員に手を出さないで欲しいな」
「あら、部活の合宿? ごくろーさん。でもさ、そんなかたくるしーことしないで、オレらとあそぼーよ。ってことだから、コモンのせんせーによろしくー」
妙に鼻につくというか、神経を逆撫でするような口調だ。俺は聞いているだけで、どちらかと言えば傍観者に近い立ち位置なのに、苛立ちを抑えられない。
「本人の意思に沿ったものなら、まあ俺が口出しすることではないんだろうけどな。どう見たって、嫌がってるだろ」
「私は、あなたたちと行くつもりはありません。安倍さんも、柏木さんも。申し訳ないですが、他をあたってください」
わざわざ敬語とは、礼儀正しいことだ。そんなの、不良二人を増長させるだけのような気がするんだが。あんな奴ら、軽くあしらって、後は無視で問題ないだろ。
不良二人のうち、金髪の方が下卑た笑みを浮かべた。気色の悪い顔だ。
「まま、部活の合宿なら、せっかくこんな場所に来ても、楽しくないんじゃね? その点、オレらとくれば楽しいよ? それは保証するからさ」
「そーそー。そいつらなら、ロクに楽しませてくれないでしょー? オレらなら後何人か呼べるしー」
どうも、しつこいというか強情な奴らだな。しかも、誘う理由が一つか二つくらいしか見当たらないんだが。それしかないのか? 脳みそが萎縮してないか検査した方がいい。
「もう、相手するのも面倒だ。行くぞ、亜子。安倍さん、柏木さんも」
「ええ」
「あさ兄ちゃん、栄介君! 怖かったよー!」
「柏木、いいから歩きなよ。後で聞くから」
「千鶴、大丈夫か?」
「まあね。心配なのは二人の方よ」
「オイ、オイオイオイオイ! 何シカトしてんだよ! 話し聞けやコラ!」
「……はぁ、まだ言うのか……って、どうしたんだ?」
呆れたように振り向いた螢先輩が、俺が前に出たことで台詞を中断した。
「選手、交代です」
振り返って、できるだけ軽薄に笑ってみせる。ちょっとくらい、発散してもいいよな?




