夏休み:其の四
「朝陽、さっきはよくもやってくれたな?」
「安倍さんも、かなりびっくりしたのだから」
「八神先輩、日頃の恨みです」
互いに水鉄砲を構えて、向かい合う。その間三メートルほど。一歩踏み込めば、水はゆうに届く距離だ。そして、なにやら物騒なことを言われている。
「俺としても、みすみすやられるわけには行きませんから。そして、清水、俺はそんなにお前に恨まれてたのか?」
「いえ、はっきり言えば姉ちゃんの恨みです」
「このシスコンめ」
「違います!」
「あさ兄ちゃんはやらせないよ栄介君!」
「柏木、痛い目見ても知らないぞ?」
「小笠原先輩、私も黙ってやられるつもりはありませんよ?」
「ええ、望むところよ」
皆、思い思い二回戦前の掛け合いを楽しみ、水鉄砲を構えなおす。
そろそろ、仕掛けてくるか。なら俺は、その先手を取って――――!
腰の後ろにぶら下げたそれを一つ取り、俺が構えを解いたことに狼狽を見せる敵陣営へと放る。戦場では、常識に囚われた方が負け。逆に、相手の想定の外を行く動きは、少なくない混乱をもたらす。その隙は、命取りだ。
見れば、放物線を描く物体は二つ。どうやら、千鶴も考えは同じだったらしい。
突如として放られたそれに敵の意識は引き付けられている。なら、こっちが取るべき行動は一つだ。
「真澄、行くぞ」
同じように硬直する真澄の肩を押して、砂を蹴る。さすが砂浜、走りにくいことこの上ない。が、そのタイムラグは隙が埋めてくれる。
横並びになって、敵陣営へと突っ込んで行く。水鉄砲の引き金を押し込んだとき、先に放ったそれが、それぞれ栄介とがわら先輩の得物に当たって弾けた。ついでに、力の抜けていた手から水鉄砲を奪い去る。思わぬ収穫だ。
引き起こした現象を見れば明らかなように、俺と千鶴が投げたのは水風船。おれも、水鉄砲と同様に荷物に入っていたものだ。少し気が回れば、螢先輩たちにも用意する暇はあった。けれど、おそらく三人は用意していない。真澄の驚き方が証拠だ。
「え! そんなのあったの?」
「ああ。あった――――ぞ!」
喋りながら、引き金を引く。ろくに狙いも定めず、左右に銃口を振りながら。それでも、これだけ近いのだ、二、三発当たっただろう。それだけ当たれば、牽制としての役目は果たせる。
「おわぁ! まったく、やられてばっかりかよ!」
三人のうち、一人だけ水風船の襲撃を受けなかった螢先輩が、俺たちに水鉄砲を向ける。が、その胴に、後方から飛来した水が突き刺さった。
「な! あー、安倍さんか!」
そう、千鶴だけは走り出さず、後方からじっくり狙いを定めていた。俺たちがトラブルにあっても、囲まれて袋叩き、を避けるためだ。少なくとも一人は、千鶴側につかなければならない。
「安倍さん、勝負よ!」
「望むところです!」
この場合はがわら先輩か。で、そうすると必然的に、一対一、もしくは二対二の状況が生まれる。そうなれば、機先を制した俺たちに分がある。なにせ、清水は今頃立ち上がったくらいなんだから。
「八神先輩、覚悟!」
「そう行くかって!」
「螢一郎先輩、行きますよ!」
「おうよ、かかって来い!」
で、ここからは、走って撃ってまた走る。相手の水はできるだけ避けるように、自分のはできるだけ当たるように、水鉄砲と狙いは固定しつつ、足元は止めないという、テクニカルな動きが必要だ。ただまあ、当たったところでちょっとくすぐったくて冷たいだけだから、ひたすら耐えて、どっしり構えて応射する手もある。が、残念ながらそんな度胸は六人全員持ち合わせていないらしく、結局人を避けつつ砂浜を縦横無尽に走り回るわけだ。
「このやろ、ちょこまかと……!」
「へへーん、当たりませんよ?」
「ちびっこくて狙えない!」
「ちびって言わないでください! もう怒りましたよ!」
「うわわわわ、くそっ!」
螢先輩は、真澄のちょこまかした動きに耐え切れず、敗走を始めている。
「ほらほら、どうしたの!」
「くっ、意外に速いですね! でも当たってますよ?」
「ばれてしまったたわね! けど、安倍さんも同じようなものではないかしら?」
「否定はしません」
千鶴とがわら先輩は、どうも互角みたいだ。二人でランダムに走りながら、撃ちまくっている。
「よそ見する暇なんて、ありませんよ!」
「げっ! ――――っとぉ! 危ないな!」
「坊相手に余所見なんて、いい度胸です」
「ちょっと状況確認だろ。さて、俺らも再開しますか!」
清水が乱射しつつ突っ込んできて、俺が避けつつ距離を取って応射する。そんなパターンが生まれていた。別に清水の勢いに圧倒されたわけではなく、こういう作戦だ。俺の予測だと、後数分で、起こるはずだ。あれが。
そこで、乱射していた清水の水鉄砲が、沈黙した。俺の予想より早く、あれが起こったらしい。そう、水切れだ。
あれだけ派手に乱射していれば、すぐにそうなる。そして、そうなればこっちのものだ。
「ほらほらどうした!?」
「くそっ! こんなときに!」
けど、清水がなったということは、同じような状況である他の二組もそうなるということ。
「あー! 水が出ない!」
「もらった!」
「あら、水切れ?」
「そうみたいですね。引き分けです」
「あら、まだ終わっていないわよ?」
そんな声が次々と耳に届く。どうやら、タイミングはあまり変わらなかったようだ。俺と清水、真澄と螢先輩では一方的な蹂躙が、千鶴とがわら先輩のところは別形式の戦闘が始まっている。
「八神先輩、これでも食らえです!」
気がつけば、海の中に逃げ込んだ清水が、思いっきり水をかけてくる。なるほど、これなら弾切れを気にせず思う存分攻撃できる。が。
「男と水掛け合って、何が楽しいんだよ」
「そういうこと考える人だったんですか」
「いや、俺も一応健全な男子高校生なんだけど」
「そういう欲はないものだと思ってました。淡白そうなイメージで」
「うるさいぞ、シスコン。俺は聖人君子じゃない」
「違いますって! 今それ関係ないでしょう!?」
「どうだか、日頃から姉ちゃんの恨みを溜め込んでる奴だからな」
「そ、それは言葉の綾です!」
「どうだか?」
攻撃ではなく、口撃。水ではなく言葉による攻撃だ。これで相手の動揺を誘い、
「えーいすっけくーん!」
側面からの奇襲。真澄の跳ね飛ばした水が、見事に清水の顔を打ち据えた。
「うわっぷ! 柏木……よくもやってくれたな?」
「あわわ、栄介君、ちょっと落ち着こう……?」
「誰だっけ、やられたらやり返すって言ってたの」
「亜子先輩だね」
「倍返しって言ったのは?」
「……あ、あたしだね」
「じゃあ、しっかり倍返しにしないと」
「いや、別にそこまでこだわらなくても……」
「問答無用!」
「ひえぇぇ……あさ兄ちゃん助けてー!」
清水の剣幕に圧倒された真澄が、ざぶざぶと水を掻き分けて俺の背後に隠れようとする。俺としては、真澄の代わりに水を被るのは本意ではないので、さらりとかわしておく。
「自業自得だな。しっかり受け止めてあげろ。清水の愛だ」
「気色悪いこと言わないでください!」
「気色悪いとは失礼な奴だな。真澄が嫌いか?」
「そ、そういうわけではないですけど……」
「よかったな。清水は真澄が嫌いじゃないってよ」
「そりゃそうだよ! 友達だもん! けど今は危ないんだよ!」
「大人しく遊ばれておけ」
「投げやりっ!」
大騒ぎしている真澄と清水から、同じく騒ぎが大きくなっている千鶴たちに目をやる。どうも、真面目に水の掛け合いをしているらしい。螢先輩がどう止めようか迷いながら傍をおろおろしているのが、場の緊迫度合いを示すいい見本だった。
「あさ兄ちゃん助けてー!」
「きゃああぁぁ、螢、助けてよ!」
この混沌は、しばらく収まりそうに無いな。




