林間学校:其の八
肉の焼ける良い匂いがしてくる。それもそのはず、林間学校三日目であり、最後の食事となる現在、午後十二時。一日目にカレーを作った広場で、俺たちはバーベキューに興じていた。
コンロは一クラス三つ。一クラス七班なので、一つのコンロを三班が囲んでいる。それは、当然俺のところも同じこと。
「ひ、樋口さん! そ、それまだ焼けてないです!」
「うえぇ!? 食っちまったよ!」
千鶴、綾野さん、俺の三人を中心に、数人がローテーションで焼いている。男子はもっぱら食べるのと騒ぐの専門だが。そして、俺の手元から生焼けの串を持って行った良樹は良く確認せず食ったらしい。
「樋口! お前もう、後五秒で死ぬ」
「みじかっ! せめて十秒くれ!」
「良樹、知ってるか? そういうのを五十歩百歩って言うんだ」
「お、さすが文芸部のエース、すらすら出てくるじゃんか。けど、オレ思うんだけどさ、五十歩と百歩って、結構違くね?」
「あー、そっか、違うんじゃね? 二倍じゃん?」
「いや、一歩一メートルとしたら、五十メートルしか違わないし。全力で走れば十秒かからないぜ」
俺のツッコミからなにやら議論が発生してしまった。そんな効果を狙って話をしたわけじゃないのだが。まあ、少し静かになるなら介入する必要もないか。
「あーもう! 埒があかねー! 確かめようぜ!」
わざわざ串をコンロから数本強奪し、開けた場所へと走って行く。男子、一、二、……五人か。男子五人。つまり、俺を除く全員だ。なんだ、俺も空気を読んでついて行った方が良いのか? 女子六人に俺一人って、辛いし。
「まったく、小学生かっての」
「いいんじゃないかしら? そんなものでしょ」
「八神君は落ち着いてていいねー。安倍さんが羨ましいよ」
「あ、そっか。美紀と瀬戸内君って、付き合ってんだもんね」
「そーそー。なのにあいつ自分からは絶対デートしないの。たまにはセッティングしてみろってんだ」
「けど好きなんでしょ?」
「……うん」
「「「キャー!」」」
……気まずい。俺も向こうに加わろうかと本気で考えているが、現在俺は串を焼いており、それを誰かに押し付けるわけにもいかない。拷問だな。
「朝陽、食べられてる?」
「ん? ああ、ぼちぼちな」
簡単に答えたつもりだったが、千鶴は俺の手からトングを奪うと、代わりに自分が持っていた串を押し付けてきた。どうやら、気を使われたらしい。
「まだ交代じゃないだろ。大丈夫だ」
「私はもう十分食べたもの。打ち上げのときも、あなた結局全然食べられなかったでしょ? こういうときは遠慮しないで。人の好意は素直に受け取りなさい」
「……分かった。辛くなったらすぐ言えよ?」
「あっちへ行け」と手を振られて、仕方なくコンロから離れて串を頬張る。仕事から離れてみればどうやら空腹だったようで、あっという間に竹串のみとなった。
「あ、あの、八神さん!」
「ん?」
「こ、これ、千鶴ちゃんが八神さんに渡してくれって……」
告白でもしそうな勢いだな、と言いかけて、綾野さん相手に通じる冗談じゃないことに気づく。慌てて飲み下し、代わりに礼を述べた。
「ありがとう綾野さん。悪いな、気を使わせて」
「い、いえ、全然大丈夫です。私、あの会話に入れなくて、ちょっと困ってたので……こうやって仕事があると、楽なんです」
コンロ脇で姦しくお喋りを続けている四人と、俺たちの方を窺いながら黙々と作業を続ける千鶴。確かに、少々の気まずさは禁じえないだろう。特に、綾乃さんのように積極的な交流を望めないのなら。
「そっか」
だからと言って何らかのアドバイスをしてあげられるわけでもなく。反応は中途半端に終わってしまう。気まずい。
「あ、じゃあ、千鶴を手伝ってあげてくれないか?あいつ、一人でやってるから」
「で、でも、私なんかが言っても……」
「綾野さんなら大丈夫だろ。器用だしな」
「そ、そうですか? ……じゃあ、ちょっと行ってみますね」
パタパタと駆けて行った綾野さんが、千鶴となにやら話している。その光景から左、いまだ大騒ぎしている男子たちに目をやった。
「五十歩! ここで五十歩だ!」
「んじゃオレが立ってっから、後五十歩進め」
「うっし、一、二、三、四……」
「歩幅違くね? だいじょぶかよ?」
「同じ人間の歩幅だ! 文句あっかよ!」
「じゃあお前がさっきと違う人間だってこったろ」
「オレはオレだぁ!」
「何ちょっとかっこつけてんだよ。早くやれ」
「ひでぇ!」
「何すました顔してるのよ」
ぼんやりとその光景を眺めていたら、不意に隣から千鶴の声が飛んでくる。どうやら、交代したようだ。
「そんな顔してたか?」
「してるわよ。あの人たちを見ながら、『馬鹿だな』って」
「そんなこと思ってないぞ。ただ、楽しそうだと思ってただけだ」
「彼らを俯瞰で見てるところは一緒じゃない」
そうだろうか。そこまで深く考えていたわけじゃないが。
「ま、私もあの人たちの話しにはついていけないから、同じようなものね。はい、あなたの分よ」
まあ、千鶴があの輪の中で喋っているところは想像できないな。してたらびっくりだ。
「終了十分前みたいだから、早く食べなさい」
渡された串を頬張る。……やっぱり、美味い。




