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君と、もう一度。  作者: れんティ
番外編
124/126

淡き日々への挽歌:其の十

 遅くなった。

 男女ペアの多いホームを精一杯の速さで駆け抜けながら、二十分は待っているだろう朝陽に内心で謝る。

 十二月二十四日の午後五時、神原駅東改札口前。

 それが、待ち合わせだ。直前に、両親が昼から映画に行くなどと言い始めなければ、十五分前には待っているであろう朝陽に合わせて十分前ほどに着き、神原駅から二人で電車に乗り、そして二人でここに到着していたはずなのだ。

 けれど、実際は映画のせいで三十分ほど遅刻する事になり、朝陽にはせめて暇つぶしの方法が多い山川駅で待っていてもらうようにしたのだ。映画館のある河北駅から直接来られるという利点もあったわけだし。

 そして、現在。去年同様混雑している中、人混みを掻き分け、すり抜け、必死で改札へと向かっているわけだ。

 何とか改札を通り抜け、人口密度の少なくなった広場で一息つく。周囲を見渡すが、朝陽らしき人影は見当たらなかった。

『着いたよー。どこにいる?』

それを打つ小夜子の顔は、浮かばない。どう見ても、付き合って一年目のクリスマスにデートを行う女子の顔ではなかった。どちらかと言えば、お盆に墓参りへ連れていかれるときの顔と言われた方が、しっくりくる。

『今見つけました。左側です』

簡素な文面の通りに左を向く。流れていく人垣の向こうに、見慣れた前髪の人影があった。珍しく、小さな鞄を背負っている。

「あさひ!」

飛び上がって、手を振る。朝陽が寄って来る前に、急いで表情を作った。上手くできているかは分からないけれど、朝陽には、こんな嫌な自分は見せたくなくて。

「ごめんね、待たせて」

「いえ、俺は別に。さよこそ、急いできたみたいだけど、大丈夫ですか?」

言われて、自分の格好を見下ろす。服の裾や鞄など、見るに堪えない様相を呈している。この分では、髪もぐしゃぐしゃになっているだろう。

「あ、え、これはそこの人混みでこうなっちゃっただけだから……だいじょぶ」

慌てて整える。焼け石に水でも、これ以上無様な姿を見せるのは嫌だった。

「そうですか……それじゃあ、この後どうしますか?」

首を傾げた朝陽の問いに答えるべく、周囲を見回す。

 そして、一点を指差した。

「ご飯に、しよっか」

そこにあったのは、有名な飲食店。その知名度は『どこにでもある』からこその知名度だが、普段、二人での外食などファストフードで済ませてしまう二人にとっては、クリスマスだからこその特別だった。


 「おいしかったねー」

肩を並べて、店を出る。途端に襲われた寒さに身震いした。

「ね、あさひ、おいしかったよね」

「え、ええ。おいしかったです」

「そっかー。よかった! いやー、何にも考えてなかったからさー」

「そうなんですか? でも、てきぱきしてましたけど」

「そうかな? うーん、でもアタシ、一度決めたら一直線だからねー」

身を寄せるでもなく、手を繋ぐでもなく。ただ、人一人分よりは少ない間を空けて、並ぶ。朝陽は何もしてこない。小夜子は何もできない。何もしてこないからこそ、小夜子は何もできないでいた。ずきずきと、心臓の辺りが痛む。それを忘れるように、口を動かした。

「それでね、栄介が……」

べらべらといつになく喋り続ける小夜子に怪訝な顔をしながら、朝陽は丁寧に相槌を打っていく。それは、恋人というよりも、活発な姉と冷静な弟と言われた方が、合っている。小夜子自身、そう感じてしまっていた。

 ツリーの周りを、イルミネーションに飾られた広場を、のんびりと回る。どこかに落ち着くわけでもなく、立ち去るわけでもなく。ただ、何の当てもなく移動を続ける。その間中、小夜子はしゃべり続けた。弟の事、さっき見た映画の事、学校での事。取り留めもなく、目的もなく、ただ延々と、時間を引き延ばすように。朝陽が怪訝な顔をしていることもわかっているけれど。それでも、やめれば不安に食い尽くされるがわかっているから。

 広場を一周し、いつかと同じようにツリーを見上げる。感覚でわかる。そろそろ、解散する頃合だろう。今までも、そうだった。

「あの、さよ」

緊張した面持ちで、朝陽が声を発する。呼ばれるがままに隣を見やれば、珍しく持っていた鞄を漁る朝陽。そして、少し端がよれた紙袋を取り出した。綺麗にラッピングされている。何も言われなくてもわかる、プレゼントだ。

「クリスマスプレゼントです。簡単なものですけど」

「ありがと! 大事にするよ」

紙袋を受け取り、鞄にしまうと同時にそれより少し大きな袋を取り出す。小夜子の方の中身は、スマホのケース。裏面が黒で、側面が銀。シンプルだけれど、だからこそ朝陽に似合うと思った。

 けれど、それをそのまま渡すわけにはいかない。

「これ、私から。けど、これを渡す前に、一つ、答えて欲しいんだ」

ばれないように、呼吸を深くする。これは、小夜子にとって運命の分岐路。イエスかノーか、はいかいいえかによって、小夜子の行き先は決まる。天国か、地獄か。

 『蛙の入った水槽の水を徐々に熱していくと、蛙は気づかずに茹で上がって死亡する』という逸話がある。この話自体は真実ではないが、蛙ではなく人間に置き換えれば、あながち間違いともいえない。現に、小夜子は今、もう少しこのままでもいいと思う自分を、肯定してしまいそうだから。もう、生命の危険が迫るほど水槽の水は熱せられてしまったというのに。もう二度と引き返せないところまできてしまっているのに。今確かめなければ、きっと更なる痛みが待っているというのに。

 だから、このまま水槽の中にいてはダメなのだ。茹で上がって死ぬ前に、ここから逃げ出さなければ。たとえ、やっと手に入れた居心地のいい環境を捨てることになろうとも。

「……アタシのこと、好き?」

面倒くさい問いだと思う。事実小夜子はこんなこと聞かれれば邪険にはぐらかすだろう。けれど、今それを認めるわけにはいかない。

「え……あの……その……」

朝陽は、面白いくらいに動揺している。あたふたと視線を泳がし、顔が赤くなっていくのが見て取れる。丁度、すぐ横をバスが通りすぎたことも、小夜子にとってプラスだ。

「……どうなの?」

一歩、朝陽に近寄る。ますます嫌な女だと思う。面倒だと思う。これを機に朝陽は本当に小夜子の事を嫌うかもしれない。けれど、今は確かめたかった。一度も言われたことのない言葉にわずかな期待を乗せて。

 小夜子に合わせて、朝陽は一歩下がる。距離を取り、少し落ち着いたのか、朝陽は、大きく息を吐いた。

 そして、首を縦に振った。

「ダウト」

すかさず、突きつける。嘘を糾弾し、真相開示と勝敗の決定を要求する言葉を。あくまでにこやかに、そして、優しく。朝陽を傷つけないように。できるだけ、平和に終わるように。

 突きつけられた容疑者は、訳がわからないといった風に首を傾げ、目を見開いた。

「え……? どういう……?」

「だから、ダウト。あさひのその答えは……嘘だよね」

朝陽の顔が、見る見るうちに曇っていく。それは、探偵に指を突きつけられた犯人のようだった。

 そして、小夜子もまた探偵のように、犯人が纏ったトリックの鎧を、一枚ずつ剥がしていく。

「……真澄ちゃんから聞いたよ――――――安倍千鶴ちゃん、だっけ」

朝陽が唇を噛むのを見ながら、もう一枚に手を掛ける。

「あの、写真の女の子だよね。あさひの幼馴染で、初恋の相手」

もう一枚。

「あの時、写真を見てた顔。自覚はないかもしれないけど、優しそうだった。あれだけ大切なら、忘れられないのも無理ないよ」

もう一枚。

「あさひが本当に好きなのは、安倍千鶴ちゃんでしょ? アタシはさしずめ、仲良くしてくれる親戚のお姉ちゃんかな?」

全てを剥がし終え、その向こうの心臓を貫く。朝陽の顔が醜く歪むのを見て、満足している自分を見ない振りして、もう一度剣を構えた。

 けれど、それを振りかぶる前に、朝陽は頭を下げた。

「……言う通りです。俺は、さよを、姉のような存在としか見れていない。ごめんなさい、さよの想いを、踏みにじるような事をしました。許されるとは思っていないけど、ごめんなさい」

 仮想の剣ではなく、現実の拳を握る。

 頭を上げた朝陽に向けて、振りかぶる。けれど、それを振りぬく勇気は、いつまで経っても出なかった。

 代わりに、握り締めて皺が寄った紙袋を乱暴に朝陽へ押し付ける。

「……あ……」

雪で滑り、体勢を崩した朝陽を引き寄せ、薄く開いた唇に、自分の唇を押し当てる。

 そのまま、数秒。硬直し目を見開いた朝陽と、目を閉じた小夜子。

 掴んでいた腕を離し、距離を取る。まだ、朝陽は呆然としているようだ。

「これだけのことをしても、あさひはアタシを彼女とは思ってくれないんでしょ?」

朝陽は、何も言わない。ただ、俯いただけだ。それが、何よりも雄弁に物語っているなどとは夢にも思っていないのだろう。

「ずっと、振り回してきたけど。やっぱりダメだったね」

あの時の宣言は、もう、叶わない。

「そんな、俺は……」

「わかってる。でももう、いいよ」

朝陽は、優しくて、貪欲だから。

「アタシが何も言わなければ、あさひはずっと『恋人』でいてくれるよね。けど、アタシは、それじゃ嫌なんだ。わがままだけど、身勝手だけど、アタシはあさひに想って欲しかった。想うだけじゃ辛すぎるから」

こんなに傍にいて、肩書き上は恋人。それは小夜子が欲しかったものだけど、けど、違う。実際は、片思いと変わらなかった。手も繋いだ。今キスもした。なのに、朝陽は小夜子を好いてはくれない。小夜子の望む言葉は言ってくれない。

「さよ……」

「あさひ、アタシは先輩だよ」

朝陽は傷ついたような顔で、小夜子を見つめる。

「アタシは先輩で、あさひは後輩。もう、それ以上でもそれ以下でもないんだよ」

小夜子の顔を見て、朝陽は今にも泣き出しそうに、顔を歪めた。泣きたいのは、小夜子も一緒だ。

 目の端に、水滴が溜まっていくのがわかる。朝陽の姿が、見る影もなく歪んでいく。

「ごめん。最初から最後までわがままだね」

「そんな……そんなことは、ないです」

「ううん、アタシのわがままだよ。でも、でもね」

朝陽と、久し振りに目が合う。

「もう、耐えられないんだ」

雪に覆われた道路を蹴る。許容量を越えて決壊したダムからあふれ出る涙を見せないように、朝陽に背を向ける。自分のせいで泣かせたとなれば、あの繊細な少年はきっと気に病んでしまうだろうから。自分のせいだと思い込み、周囲を同じ目に合わせないよう関わりを断ってしまうだろうから。

 最初から最後まで、小夜子の独り相撲だったにも関わらず。無理やり巻き込み、無理やり連れまわし、無理やり別れを告げる。朝陽は、被害者と言ってもいいというのに。

 あの時傷つきたくない一心で、ありもしない希望を創り出してしまった小夜子のわがまま。最初から零だなんて思いたくなくて、小数点第何位にあるのかすらわからない確率を過信した小夜子のミス。大きな口を叩いたくせに、何をすることもできなかった小夜子の自業自得。だから、朝陽は悪くない。

 けれど、今朝陽を憎んでしまいそうな自分がいる。

 懸命に歯を食いしばり、拳を握り、足を動かす。改札を通り、ホームを駆け抜ける。今は、できるだけ朝陽から離れたかった。少しでも朝陽の面影を見てしまえば、きっと殴りつけてしまいそうだから。それだけはしたくなかった。

 滑り込んできた電車に飛び乗り、ツリーと反対側を向く。

 イルミネーションの明かりが、横に流れて消えて行った。

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