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君と、もう一度。  作者: れんティ
番外編
118/126

淡き日々への挽歌:其の四

 更衣室を出て、部活友達に手を振る。今日は良樹から何も連絡が無かったから、待っているだろう。三人の間では待ち合わせの柱として暗黙の了解がある、下駄箱近くの柱で。

 そんなことをぼんやりと思いながら、体に染み付いたルートを辿って柱に向かう。その途中、図書室に繋がる廊下から出てきた朝陽と鉢合わせた。マフラーに顎まで埋めた姿は、普段大人びた振舞いが多い朝陽もまだ子供なのだと言っているようで、微笑ましい。

「あ、清水先輩。帰りですか?」

一緒に出かけ、小夜子が認識を九十度ほど改めた日から、朝陽はこうして、見かければ声を掛けてくれるようになった。それくらいは仲が良くなったと思ってもいいのだろうか。そう考えるたびに、小夜子の胸は少しだけ軽くなる。

「うん、あさひも?」

「はい、そろそろ帰って良いって言われました」

俺はもう少しいたかったんですけど、と付け足した朝陽は、笑みの裏側の何かを必死に見せまいとしているようだった。

 それに気づいたからこそ、小夜子は話題を変える。

「じゃあ、一緒に帰ろーよ」

「あ、はい。……最初から、そのつもりだったんですけどね」

笑って付け足した朝陽の顔が、小夜子の体温を上げていく。心音がうるさくて、今にも肋骨が折れそうだ。

 それを押し殺し、平気な顔を装う。

「じゃ、行こっか!」

朝陽の方に向き直っていた体を進行方向へと向け、大股で歩き出す。熱くなった頬を隠すように、朝陽の顔を見ないように。見てしまえば、きっと平静ではいられないから。

 案の定、柱で待っていた良樹は、二人の姿を見るなり驚いたように目を見開き、けれどすぐに満面の笑みで笑った。

「あれ、小夜子先輩、朝陽と一緒だったんですか。じゃ、帰りましょう!」

部活で散々ハードな運動をこなしたばかりだと言うのに、そんな辛さを感じさせないテンションの高さ。その動きに、苦笑する。

「……い」

「ん?」

なにやら後ろから呼ばれた気がして、足を止める。けれど、後ろには朝陽しかおらず、その朝陽は目を逸らして何かを見ている。

「あさひ、呼んだ?」

「い、いえ。呼んでませんよ」

急に声を掛けられて驚いたのだろう。少しどもった朝陽の返事は、小夜子の疑問を解決するものではない。首を傾げた朝陽の目を直視できず、小夜子は顔を逸らす。

 初めて朝陽と直に視線が合った春からそうだ。小夜子は、朝陽の目を直視できない。どうしても、気恥ずかしさが勝ってしまうのだ。

「二人とも何してるんですか! 早く帰りましょうよ!」

数メートル先から、良樹が叫んでいるのが聞こえる。

「う、うん! 今行くー!」

それに叫び返して、小夜子は駆け出した。


 いつもの帰り道、街灯の少ない線路沿いの道。

 珍しく、小夜子は二人の一歩後ろを歩きながら、二人の様子を黙って見ていた。

「それで、お前は零点だったと」

「いや、零点じゃねぇぞ!? ただ、ちょっと悪かっただけだ!」

「でも、教えられないんだろ? 十点だって笑ってた見せびらかしたお前が、教えられないってのは……」

「そもそも、あれは十五点だし! 三十点満点で!」

「そうだったか?」

クラスも一緒で、『樋口』と『八神』で入学当初から席が近く、こうしてほとんど毎日一緒に帰っている二人は、随分と仲が良いらしい。今まではずっと、小夜子と良樹が話していたために気づく事は無かったが、こうして後ろを歩いていると、わかることも多い。

 例えば、朝陽は思いのほか人をからかうのが好きらしい、ということ。それに、ふざけあっているときは年相応に笑うことも。小夜子と向き合ったときとは違う、唇の端だけの器用な笑いだけではなく、両方の口角を上げて目を細めた、満面の笑み。そんなものを見せる事もあること。そんなことを、改めて知ることができる。

 同時に、そんなことも知らなかった自分が、少しだけ嫌いになる。何も知らず、知ろうともせず、ただ苦手意識だけを抱えていた自分が。こうして見れば、朝陽が無愛想だなんて、とっつきにくいだなんて思うはずも無いのに。ただ自分だけが騒いでいたことが恥ずかしくなる。今まで見逃していた朝陽の笑顔が心に焼きつき、締め付ける。息苦しくて、同じくらい嬉しかった。

 そんなことを思いながら二人を見やれば、朝陽と目が合った。パニックに陥った頭で、咄嗟に目を逸らしてしまう。こんなことがしたいわけではないのに、どうしても、朝陽の目を直視できない。体が火照って、何かとんでもない事をやらかしてしまいそうで。それだけの勇気が持てなかった。

 そういえば今日は、やけに朝陽と目が合う。

 そんなことを思った矢先、まだ覚めやらぬ頬に視線を感じた。恐る恐る顔を上げると、またしても朝陽と目が合う。いくらなんでも、偶然と言うには多すぎる。

 もしかしたら、ばれているのだろうか。この醜さが。勝手な苦手意識が。勇気を持てない弱々しさが。

 春先に見た、朝陽の瞳が脳裏を過ぎる。全てを見透かすような、どこまでも真っ直ぐな瞳。自分の奥底まで見通されているような視線。あの時感じた感覚がもしも、正しかったら。本当に全て見透かされているとしたら。

 その恐怖が、小夜子を食いつぶしていく。ますます、朝陽の顔を見られなくなっていく。かと言ってどこに視線を向ければいいかわからず、自分の足元を見つめた。


 それが見えたとき、小夜子はほっと息を吐いた。二つの感情が混ざり合った、複雑な吐息を。大きく息を吸い、またしても視線を感じながら、それを勤めて気づかない振りをして別れを告げる。

「じゃー、アタシはこっちだから。じゃーね、また明日!」

「あ、はい! また明日です!」

返答は、良樹からだけ。朝陽はただ、黙って小夜子を見ているだけだ。そのことに、不安が大きくなる。そして、同時に少し泣きたくなる。複雑に絡み合い、混ざり合い、原材料がなんだったのかすらわからなくなった感情を押し込めて、大きく手を振る。

 ちょっと元気が有り余っている風を装って、歩道橋の階段を駆け上った。日が沈み、冷たくなった空気が小夜子の体から熱を奪っていく。それが、心地良かった。

「――――――!」

誰かに呼ばれた気がして、足を止める。気がつけば、線路を越えるための歩道橋、その真ん中辺りまで来ていた。

「……小夜子先輩!」

呼び方からして、良樹のよう。けれど、声は朝陽のようでもあった。もしも朝陽だとすれば、朝陽が大声を張り上げるところを、小夜子は初めて聞いたことになる。

 果たして、歩道橋の階段を息せき切って駆け上ってきた人影は、特徴的な前髪を揺らして小夜子の前で急停止した。よほど全力で走ってきたのか、小夜子が声を掛ける暇も無く、膝に両手をついて激しい息をしている。仕方なく、小夜子は走ってきた人物が顔を上げるまで待つことにした。

「……すいません、えっと、小夜子先輩」

顔を上げた朝陽は、前髪が風圧でばらけ、目がむき出しになっていた。真っ直ぐな瞳が、小夜子を射抜く。その目は、まるでこれから告白でもするかのように力強く光っている。ただでさえ苦手な朝陽の目なのに、そんな風に見つめられては、小夜子はうろたえるしかない。まるで蛇に睨まれた蛙だ。

「……体調、悪いんじゃないですか?」

何を言われてもいいように身構えた小夜子だったが、ぶつけられた言葉は思いのほか優しく、小夜子を気遣う内容だった。そのせいで対応が追いつかず、無様に呆然としてしまう。

 そんな小夜子の反応を、朝陽はどうやら仮説への肯定と受け取ったらしい。呆れるような、気遣うような、真意のわからないため息をついた後、おもむろに巻いていたマフラーを外し、小夜子に一歩近寄った。字義通り、目と鼻の先まで朝陽の顔が迫り、心臓が跳ね上がる。今にも肋骨を突き破って出てきそうだ。

 そんな小夜子の内心など知るはずも無く、朝陽は手に持ったマフラーを小夜子の首に巻いていく。その体勢は見方を変えれば抱き締められているようでもあり、小夜子の頭は熱に浮かされたようにぼんやりと判断力を失っていった。

「できましたよ」

そんな言葉と共に、マフラーを巻き終えた朝陽は小夜子から一歩離れる。後数秒時間がかかっていたなら、小夜子はきっと熱で浮かされ、とんでもない事をしでかしていただろう。それほどまでに、小夜子の脳は茹で上がっていた。

「やっぱり、体調悪いんじゃないですか。今日もずっと、何か変でしたし」

心当たりはある。けれど、それは体調のせいではなく、自己嫌悪と疑問、不安など、一言で言ってしまえば負の感情から来ていたもの。けれど、それを伝える勇気はなかった。

「あはは……ご、ごめんね? あんまり心配かけたくなくてさー」

仕方なく、勘違いを正すことなく、そのまま話を続ける。

「それはわかりますけど、辛いときはちゃんと言ってください。正直に話してくれないと、逆に心配です。それに、寂しいじゃないですか。友達、だと俺は思ってるんですから」

即座に帰ってきた返答で、小夜子は数秒前の自分の判断を後悔した。綺麗なカウンター。クリティカルとかそういうレベルではない、一撃必殺の言葉。

「それだけです。それじゃ、お大事に」

呆然と立ち尽くす小夜子を残し、踵を返して走り去っていく。その後ろ姿を見ながら、呟いた。

「……ああ、そーゆーことかー」

なんで、朝陽の目を見られないのか。朝陽の笑顔で幸せになるのと同じくらい苦しいのか。醜さを知られたかと思うだけであんなに不安だったのか。

 朝陽から借りたマフラーに、顔を埋める。仄かに香る朝陽の匂いが、嬉しかった。

――――――そっか、アタシ、あさひの事……

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