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君と、もう一度。  作者: れんティ
バレンタインデー編
112/126

バレンタインデー:その二十四

 片手に買い物袋を持ち、もう片手は朝陽と繋ぐ。そうして歩きながら、私は、質問を一つ投げかけるべきかどうか、悩んでいた。

 商店街を出て、歩き慣れた道を進む。そろそろ家が見えてくる、そんな時。

 やっぱり我慢できなくて、私は口を開いた。

「ねえ、朝陽」

「ん? どうかしたか?」

「ご両親との話し合い、上手く行ったんでしょ?」

そう。朝陽の雰囲気で分かる。ちゃんと、朝陽が望んだ方向に進んだ事は、何となくだけど、把握していた。だからこそ、私の中には不安が募る。

 そんな私の気持ちを知るはずの無い朝陽は、それまでの上機嫌な態度を少しだけ崩した。

「……そうだな……確かに、上手くいったのかもしれない」

煮え切らないその態度が、私に不信感の種を植え付ける。それは、すぐに育っていった。

「かもしれない? どういうことなの?」

追求する私に苦笑して、朝陽が考え込む。

 沈黙が通り過ぎて、朝陽が再び口を開くまで、少しの時間があった。


 「まだ少し時間あるでしょ? お茶でも飲みながら、話を聞いていきなさい」

心の中に、まだ抵抗を叫ぶ俺もいる。けど、これを逃したら、次はないことはわかってた。

 だから、小さく頷く。

 俺の肯定を見て、母さんは明らかにほっとしていた。そして、階段を上がっていく。

 黙ってついて行った俺が連れられたのは、居間だった。テーブルを挟むようにして、向かい合って座る。

 どうしても、苦手意識がある。反射的に俯いて、前髪の鎧を身に着けてしまう。

 けど、今はそれをしているときじゃない。

「朝陽。あなた、今までどこにいたの?」

「千鶴の家に泊めてもらってた。ちゃんと、千鶴の両親にも事情を説明して、許可はもらったよ」

そこには色々事情があるけど、黙っておく。知らぬが仏だ。

「そう。戻ってきていたの」

「ああ。四月にな」

どこか、懐かしむように目を伏せた母さんは、けれどすぐに顔を上げた。

「あなたが出て行ってから話し合ったのよ。お母さんたちは、きっと間違ったんだって。いえ、十年前から、あなたと最初に喧嘩したときからずっと。間違ってしまったことはわかっていた。けど、それを訂正する勇気も、お父さんに至っては非を認める柔らかさすらなかったの。お母さんから見ても、お父さんの決めたルールは厳しすぎる。あなたへの当たり方も強すぎた。けどね、お父さんからすれば、それが普通だったのよ。お祖父さんたちが決めたルールと、同じ」

そんなの。そんなの、何の言い訳にも……

「何の言い訳にもならないのは分かってる。あなたの時代とお父さんの時代では、同じルールでも厳しさに差が出るのはわかってる。けど、お父さんがあなたの趣向を認めないのは、お父さんがそう決めたからじゃないの。お父さんは、お父さんの考え方や、趣向しか知らないだけなのよ」

「でも、それでも、父さんだって、いつまでもじいちゃんのルールに縛られてるだけの子供じゃないだろ。じいちゃんは、俺が生まれる前に死んでるんだから」

吐き捨てるように搾り出したその言葉が、母さんの眉を顰めさせる。

「そうね。お母さんたちが、あなたに合わせようとしなかったことは事実。あなたの考え方を理解しようとしなかったのは本当。それは、お母さんたちの間違いよ。けど、これだけはわかってちょうだい。お母さんたちにとって、あなたは唯一の息子で、大事な存在なの。あなたのためを思ってるのは本当」

そこで言葉を切った母さんは、何かを迷う素振りを見せ、ここではないどこかに意識を彷徨わせているようだった。

「お父さん、家を飛び出してきたのよ。結婚を認めないおじいさんたちに嫌気が差してね。幸い、お母さんの親は認めてくれてたから、実家のお花屋さん、つまりここを継いで、生活してきた。けど、あなたが生まれる三年くらい前に両親とも死んじゃってね。寂しくなって、心細くなって、そんなときに生まれたのがあなた。お母さんたち、泣いて喜んだのよ。この子には、絶対寂しい思いはさせないって誓った。しっかり育てて、立派な人間にして、お母さんの両親にも、お父さんの両親にも自慢するんだって」

それだけ一息にまくし立てて、母さんは顔を伏せる。

 煌々と点いた蛍光灯が場違いな気がしてくるほど、明るく輝く。けれど、俺と母さんの周りだけは、暗闇だった。

「……その気負いが、おじいちゃんたちの墓前での誓いが、空回りしちゃったのね。力が入りすぎて、大失敗しちゃった。あなたに、辛い思いをさせてしまった。お父さんも、それはわかってる。ごめんなさい。ごめんなさい」

頭を下げた母さんの姿を見ていられなくて、目を逸らしてしまう。

 間違ったことはわかってても、訂正する勇気がなかった。

 それは、きっと俺と同じだ。

 間違ったのはわかってる。失敗なのは自覚している。けど、それを訂正する勇気はなくて。

 俺は逃げ出した。母さんたちは、放置した。

 どれだけ心が遠ざかったところで、血は抗えないということか。そういうことなら、笑えてくる。

 けど、ちゃんと訂正しないと、ダメなんだ。

「……俺も、意地張ってたから。ちゃんと、話し合うべきだったのに。全部突っぱねた。母さんだけが謝る必要はないよ。ごめん。ごめんなさい」

俺も頭を下げる。

 「……でもね、母さん」

声のトーンを変えた俺に、母さんは何も言わない。ただ、俯いてテーブルを見ている。

「全部元通り、今日からまた仲のいい家族です、なんて、俺はまだできない。父さんに、文芸部の奴らを馬鹿にされたこと、俺はまだ許せないから」

「……ええ」

「だから、この家に戻ってくるのは、もう少し先になると思う。もう少し、気持ちの整理をする時間が欲しい」

俺が突きつける拒絶は、三回目になるだろうか。けど、今回は毛色が違う。

「でも、いつか必ず戻ってくるから。母さんたちと、ちゃんと話ができると思うから。そのときは、迎え入れて欲しい。勝手かもしれないけど」

さっきの俺みたいに、小さく頷いた母さんを残して、居間を出る。

「またな、母さん」

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