第31話 境界線
ダンジョンへと続く、黒いゲートの前に、俺とブリザードの精鋭チームが立っていた。
作戦は、単純明快。俺を先頭に、可能な限りの速度で35階層まで駆け抜け、ネオゲートを救出する。ただ、それだけ。
「――行くぞ!」
白石さんの合図と共に、俺たちは一斉に、ダンジョンの闇へと身を投じた。
そこからの光景は、ブリザードの面々にとって、悪夢か、あるいは神の御業のように見えたことだろう。
以前、彼らが連携と全力を尽くしてようやく突破した階層。そこに巣食うモンスターの群れを、俺は、もはや障害物としてすら認識していなかった。
ただ、ひたすらに前へ。
俺の進路を塞ごうとするモンスターがいれば、すれ違いざまに放つ拳の一撃で、その意識を刈り取る。遠距離から魔法を放ってくる敵がいれば、足元の小石を指で弾き、音速の弾丸として、その魔力の源を正確に撃ち抜いた。
その動きに、一切の無駄も、迷いも、慈悲もない。ただ、目的のためだけに最適化された、純粋な力の奔流。
「これが……本気で走る、彼の速度か……」
「我々が苦戦したあのモンスターを、まるで邪魔な蝿でも払うように……」
必死に後を追いながら、岩尾さんと氷室さんが、喘ぐように呟く。
白石さんは、ただ黙って、前を走る俺の背中を見つめていた。
彼らは、自分たちが「同盟」を結んだ相手が、想像を遥かに超えた、人知の及ばぬ領域の存在であることを、その骨の髄まで理解させられていたに違いない。
ていうかまあ、俺でもまさか俺自身ここまで動けるとは……びっくりだ。
◇
35階層にたどり着いた時、そこは地獄だった。
古代神殿を模した広大な空間は、至る所が破壊され、黒い魔力の残滓が燻っている。そして、おびただしい数の自衛隊員たちの亡骸。
その中央で、かろうじて生き残ったネオゲートの三人と、数名の隊員たちが、瓦礫で築いたバリケードの陰で、必死に持ちこたえていた。
そして、その彼らを、一体の悪魔が、まるで玩具のようにいたぶっていた。
「――我が名は【ディアブロ】」
その悪魔が、俺たちの存在に気づき、楽しそうに振り返る。
俺は、ディアブロには目もくれず、まず負傷者たちに駆け寄った。リーダーの根尾さんが、血を吐きながら叫ぶ。
「来るな! 貴様も、死ぬぞ……!」
俺は、その言葉を無視した。
そして、最も深手を負い、もはや虫の息だった涯堂寺さんの身体に、そっと手をかざす。
「――【ハイ・ヒール】」
俺がそう唱えると、これまでとは比較にならない、まるでダンジョンの中に太陽が生まれたかのような、眩い金色の光が溢れ出した。
その光は、涯堂寺さんだけでなく、その場に倒れていた全ての負傷者たちを優しく包み込み、致命傷だったはずの傷を、まるで奇跡のように、見る見るうちに癒していく。
その、あまりにも神々しい光景に、ネオゲートの面々も、そして、あのディアブロですら、一瞬、動きを止めた。
「……さて、と」
負傷者たちの安全を確保した俺は、ついに、ディアブロと向かい合った。
「俺の庭で、好き勝手はさせない」
そこから始まった戦いは、もはや人間同士の戦闘ではなかった。
ディアブロが空間を歪ませる漆黒の魔法を放てば、俺はそれを、理屈を超えた力で、拳で殴りつけて粉砕する。ディアブロが魂を蝕む呪いの言葉を紡げば、俺の身体から溢れ出す聖なるオーラが、それを浄化してしまう。
それは、神と悪魔の戯れのような、高次元の戦いだった。
ブリザードの面々は、その光景を、ただ見ていることしかできない。氷室さんの分析端末は、規格外のエネルギー反応に、ひたすらエラーを繰り返している。
だが、俺とて無敵ではない。
ディアブロの狡猾な戦術に翻弄され、その漆黒の爪が、俺の脇腹を深く引き裂いた。
「ぐっ……!」
初めて覚える、強烈な痛み。しかし、その痛みと、仲間を傷つけられた怒りが、俺の潜在能力を、さらに引き出した。
俺は、伝説の「鋼のつるぎ」を構える。そして、そこに、自らの癒しの光――生命力そのものを注ぎ込み、黄金に輝く刃を作り出した。
「これで、終わりだ!」
黄金の光をまとった剣が、一閃。
ディアブロの漆黒の身体を、その心臓ごと、完全に消滅させた。
◇
全員で、無事に地上に帰還した。
居間には、安堵と、そして凄まじいものを見てしまった後の、重い沈黙が流れていた。
最初に口を開いたのは、白石さんだった。
「……このダンジョンは、危険すぎる」
その場にいた全員が、その意見に頷いた。とてもじゃないが、無条件で開放していい場所ではない。
会議の結果、30階層に、自衛隊とブリザードが共同で管理する、恒久的なバリケードと前線基地を築くことが決定された。それ以降の深層へは、特別な許可を得た者以外、立ち入りを禁止する、という新たな秩序が生まれた。
出発の時。これまで一切の感情を見せなかった根尾さんが、俺の前に立ち、深々と頭を下げた。
「我々は、己の力を過信していた。貴殿は、我々の、そして部下たちの命の恩人だ。この恩は、決して忘れない」
その隣で、霜月さん、涯堂寺さんも、同じように頭を下げていた。彼らの冷徹な仮面の下に、初めて人間らしい、心からの尊敬の念が浮かんでいた。
政府の調査団は、こうして去っていった。
俺は、自らの手で、自らの庭に、一つの「境界線」を引いたのだ。
聖域の主として、その平穏を守るために。




