第28話 求人募集
ケルベローズの襲撃から数日。嘘のように静けさを取り戻した旅館の居間で、俺たちは、未来へ向けた最初の経営会議を開いていた。
郁美さんがどこからか持ち出してきたホワイトボードには、彼女の達筆な文字で「聖域・奥谷旅館 経営再建計画」という、なんとも大仰なタイトルが躍っている。
「まず、現状の資産報告からだ」
郁美さんの言葉に、小町ちゃんがノートパソコンの画面をこちらに向けた。
「えーっと、まずチャンネル登録者数は、昨日で、きっかり200万人に到達しました!」
「に、にひゃくまん……」
「最初のPV動画は1500万再生、ニジちゃんの動画も、もうすぐ400万再生に届きそうです。それで、これが、先月分の収益……」
画面に表示された、収益見積額の欄。そこに並んだゼロの数に、俺は自分の目を疑った。東京で身を粉にして働いていた頃の年収が、まるで子供のお小遣いに思えてくるほどの、天文学的な数字だった。
「この資金を元に、今後の運営方針を決定する」
郁美さんは、ホワイトボードにペンを走らせながら、二つのプランを提示した。
「一つは、一般の観光客向けの『奥谷ステイプラン』。こちらは混乱を避けるため、当面は公式サイトからの完全予約・抽選制とする。そして、もう一つが……」
彼女は、一度言葉を区切り、俺たちの顔を見た。
「探索者向けの『サンクチュアリ・パスポートプラン』だ。宿泊と、ダンジョンへのフリーパスをセットにした、一日五組限定の特別プラン。こちらも、所属ギルドや過去の実績などを考慮した、厳正な審査の上での抽選制とする」
それは、旅館の平穏を守りつつ、ダンジョンという巨大な資産を有効活用するための、完璧な二本柱の経営方針だった。俺と小町ちゃんは、その見事な計画に、力強く頷いた。
来週から、この新体制で、奥谷旅館は、本当の意味で再始動する。
「よーし、頑張るぞー!」
小町ちゃんが、威勢よく拳を突き上げる。
しかし、郁美さんは、その熱気に水を差すように、冷静に指摘した。
「待て。一つ、致命的な問題がある。人手が、全く足りん」
その一言に、俺たちはハッとする。
一日最大で数十組のお客さん。その料理、配膳、掃除、フロント業務……。どう考えても、今の三人では、旅館は回らない。
「求人サイトで募集をかければ、世界中からスパイや狂信的なファンが殺到するのは目に見えている。リスクが高すぎるな」
「じゃあ、どうするん……」
小町ちゃんが不安げに呟いた、その時だった。
「あ! それやったら、私の友達で、ちょうどバイト探してる子がおるよ! 三人くらい!」
「……そういえば」
小町ちゃんの言葉に、郁美さんも何かを思い出したように、顎に手を当てた。
「私の知人にも、元研究者で、今は自由な働き方を求めているフリーターが何人かいる。腕は確かで、口も堅い。声をかけてみるか」
「え、そんな、郁美さんの知り合いにまで手伝ってもらうなんて……」
俺が恐縮すると、郁美さんはこともなげに言った。
「気にするな。私も、お前から破格のアドバイザー料を受け取っているんだ。これくらいは仕事のうちだ」
◇
その数日後。旅館の居間で、ささやかな面接が行われた。
小町ちゃんの紹介でやってきたのは、彼女の同級生だという、元気で明るい女子高生三人組。彼女たちは、緊張しつつも、伝説の旅館で働けるという事実に、目をきらきらと輝かせていた。
そして、郁美さんの紹介でやってきたのは、落ち着いた雰囲気の、30代の女性二人組。元研究者だという彼女たちは、時折、俺や、庭のダンジョンや、俺の足元で眠るニジに、鋭い観察の視線を向けていた。
俺は、旅館の主人として、彼女たち全員の採用を決めた。彼女たちは住み込みではなく、近所からの通いという形だ。
そして、新人スタッフたちの、最初の研修日。
活気が戻ってきた旅館のロビーで、俺は、その光景を、少し離れた場所から眺めていた。
小町ちゃんが、自分の友人である新人JK3人組に、元気よく旅館の仕事を教えている。
その横では、郁美さんが、自分の友人である大人組2人に、淡々と、しかし的確に業務内容を説明している。
その光景に、旅館が再生していく喜びが、じわじわと胸に広がっていく。
だが、ふと、ある事実に気づき、俺はその場で固まった。
そして、指折り数え始める。
まず、住み込み組。小町ちゃん、郁美さん、氷室さん、椿さん。四人。
新人バイトのJKが、三人――宮城朔、押野雫、佐伯篠。
新人スタッフの大人が、二人――長瀬埜乃、戸松紗耶香。
そして、母さん。
ついでに、性別は不明だが、なんとなく女の子っぽい気がする、ニジ。
俺は、天を仰いで、心の中で、静かに、しかし力強く、絶叫した。
(……あれ? 俺の旅館、いよいよ本格的に、男子禁制の女子寮みたいになってきたな……。俺、明日から、無事に生きていけるんだろうか……)
旅館の再生に向け、盤石の体制は整った。
しかし、俺個人の平穏は、ますます遠のいていくのだった。




