第26話 女子寮か
久しぶりに、ぐっすりと眠れた気がした。
ケルベローズは去り、ブリザードとの同盟も結ばれた。心の中に居座っていた重石が、ようやく取り払われたような、清々しい気分だった。
今日から、ようやく本当の「旅館の主人」としての、穏やかな日常が始まる。
そう信じて、俺は自室の布団から這い出し、階下へと向かった。
寝ぼけ眼のまま、台所の冷蔵庫を開け、冷たい麦茶をグラスに注ぐ。
それを一気に呷り、渇いた喉を潤した、その時だった。
背後に、人の気配。
振り返ると、そこにいたのは、昨日帰ったはずの、ブリザードのNo.2、氷室望歌さんだった。
それも、上質なシルクと思われる、かなり布面積の少ない、優雅なデザインの下着姿で。
彼女も、冷蔵庫に飲み物でも取りに来たのだろう。俺の存在に気づき、その大きな瞳が、驚きに見開かれる。
一瞬の沈黙。時が、止まる。
そして、悲鳴を上げたのは、彼女の方だった。
「きゃあああああっ!」
その、普段の彼女からは想像もつかない、甲高い乙女のような叫び声に、俺は冷静にツッコミを入れた。
「いや、悲鳴を上げたいのはこっちですけど……ていうか、ここは俺の家ですからね!? な、なんでまだいるんですか、あなたは!」
慌てて近くにあったバスローブを羽織った氷室さんは、耳まで真っ赤に染めながらも、なんとか毅然とした態度を取り繕って説明を始めた。
「こ、これは、白石統括からの、正式な辞令です! 私は昨日より、ブリザードの常駐連絡役、兼、この聖域の特任研究員として、この旅館に滞在しています!」
「俺、聞いてないんですけど!?」
「ああ、その件か。私が許可しておいた」
俺が抗議の声を上げると、ひょっこりと、コーヒーを片手にした郁美さんが現れた。その顔は、涼しい、の一言に尽きる。
「合理的だろう? 我々とブリザードとの同盟には、常にスムーズな情報伝達チャンネルが必要だ。そのNo.2である彼女自身がここにいれば、話が早い。それに、ある意味で『人質』にもなる。ブリザードも、我々に対して下手な真似はできん」
「人質て……」
「ちなみに」
氷室さんが、スマホの画面をこちらに見せつける。
「宿泊料は、すでに一年分前払いしてあります。我々は、正当な長期滞在客です」
そこに表示された、天文学的な金額。俺は、もはや何も言えなくなった。
俺が、頭を抱えて「もうどうにでもなれ……」と呟いた、まさにその時だった。
ピンポーン、と。玄関のチャイムが、来客を告げた。
小町ちゃんが「はーい」と玄関を開けると、そこに立っていたのは、昨日会ったばかりの、氷の能面のような女性役人、椿茨棘さんだった。その傍らには、いかにも高級そうなスーツケースが、いくつも鎮座している。
椿さんは、居間のカオスな状況を一瞥しても、一切表情を変えない。ただ、俺に向かって、業務連絡のように、淡々と告げた。
「本日より、政府からの連絡調整役として、こちらでお世話になります。椿茨棘です」
彼女もまた、どこからか取り出した書類を提示する。
「こちらが、政府発行の長期滞在許可証です。宿泊費及び、滞在中の諸経費は、全て国家予算から支払われますので、ご心配なく」
◇
俺は、目の前の光景を、もはや現実のものとして受け止めきれずにいた。
この、古びた旅館の居間に、今、とんでもない面子が揃っている。
世話焼きで元気な、地元の幼馴染JK、小町ちゃん。
クールで頭脳明晰な、謎多きアドバイザー、郁美さん。
プライドの高い、大手ギルドのエリート美人、氷室さん。
感情が読めない、政府から来た冷徹な監視役、椿さん。
そして、その中心で、何食わぬ顔でぷるぷるしている神獣、ニジ。
俺は、天を仰いで、心の中で絶叫した。
(俺はただ、じいちゃんの旅館を守って、静かに暮らしたかっただけなんだが……。いつの間に、俺の家は、超個性的で、ワケありすぎる美少女たちの女子寮になったんだ……!? 俺の平穏は、どこへ……!?)
こうして、聖域・奥谷旅館は、その主人の意思とは全く無関係に、世界で最も危険で、最もカオスな、新しい日常へと、否応なく突入していくのだった。




