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一乗家のかわいい花嫁〜ご実家の皆様、私は家族ではないんですよね?〜  作者: 巻村 螢
第八章 決別

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膝を折る者達

「ああ、そっか。お前って今は清須川家のご令嬢なんだよな。まあ、そうだろうなあ……そうじゃなきゃ、華族様のご子息と結婚なんてできねえよな。でも、あれだっけ? 夜な夜な遊び歩いて、男食ってたんだって? やっぱ、お前にゃ令嬢より夜の女が似合うよ」


 後頭部で手を組んで椅子にだらりと凭れた桑田は、今度はハッハッハと威勢良く笑った。


「人違いです! それは私ではなくお姉さまで――」

「夜遊びをしていた清須川を名乗る娘は、噂では目の下にほくろがあったそうですよ」


 やっと父の腕の中から顔を上げた茜は、否定を叫びつつまた千代へと話の矛先を向けようとした。

 しかし、雪人が最後までは言わせなかった。

 彼は席を立つと茜に近寄り、父にしがみついていた茜の手をそっと引っ張った。

 何がはじまるのかと、皆が雪人の行動に注目していた。父も戸惑いながら茜を解放し、茜も茜で雪人に手を取られるままに、ふらふらと近寄っていく。


「お義兄さま、見てください。私の顔にほくろなんて――」


 雨に濡れた子犬のような哀感たっぷりの瞳で、雪人に訴えかける茜だったが、次の瞬間、本当に濡れることとなった。


「――きゃあっ!?」


 バシャッ、と顔に紫色の雨が降った。

 雪人がグラスに入っていた酒を、茜の顔に掛けたのだ。


「手が滑りました、申し訳ありません」


 茜の顎から紫色の雫がポタポタと落ちる。彼女は自分の手や袖、打ち掛けの下に着た白い掛下が紫に染まっているのを、瞠目して眺めていた。

 身体を震わせ、次第に顔が赤黒くなった茜は、キッと雪人を睨んだ。


「何すんのよ――ッんぶ!」

「これは失礼。お拭きいたしましょう」


 しかし、近付いてきた雪人に今度は頬を掴まれ、卓にあったクロスで顔を拭われる。


「やめっ! ちょ――っやめなさいよ! なんなの!? ねえ、勇一郎さま、早くこの人達を追い出してください……っ」


 雪人をなんとか引き剥がした茜は、肩で息をしながら隣に立つ勇一郎に助けを求めた。

 しかし、勇一郎は腕にしがみつく茜の顔を見つめたまま、目を見開いている。


「茜……ほくろなんてあったんだ……」


 ハッとしたように、茜は顔の左側を手で隠す。

 その行動からするに、やはりほくろは、わざと隠していたのだろう。


「待ってくれ……理解が追いつかない……噂では男遊びしていたのは千代で、でも噂の女は目の下にほくろがあって……それで茜にも同じ場所にほくろがあって……」

「そういうこった、坊ちゃん。噂とかは全部その女が作って流したわけよ。……にしても、左目の下、朱蝶とそっくりの泣きぼくろだよなあ」


 桑田の言葉に、茜の眉が吊り上がった。


「ああ、ちなみに朱蝶ってのは娼妓で、そのお嬢ちゃんの母親な」


 まるで、今は春だなと当然のことを言うように、さらりと告げられた桑田の言葉は、やけに会場内に響いた。

 千代達がいる卓の周りがあまりに騒がしくて気付かなかったが、その卓以外の者達は、固唾をのんで成り行きを見守るに徹していて、会場はしんと静まり返っていたのだ。

 誰かが「娼妓」と呟いた。

 あちこちで、風に草が揺れるようなザワザワとした小声が立つ。


「――っき、清須川さん、どういうことですか! そんな話、聞いていませんよ!?」


 胃がきりきりしそうな空気の中、最初に声を上げたのは二井子爵だった。

 和装姿の父の胸ぐらに掴みかかる。


「茜が八歳のある日、母親が男と駆け落ちしてな。それで、茜の処遇はどうするかって話になった時に、茜の母親から頼まれたって、そこの男が店に引き取りに来たんだよ。っても、ちゃんと金は払ってもらったが」


 顔を背けだんまりする父に代わり、桑田が説明する。


「店に金を払ってって……それじゃただの身請けじゃないか」

「み、身請けではない、私の娘なのだから」


 そう言う父の声は、とても小さい。

 あれだけ母や自分には尊大に振る舞い、言うことを聞けとばかりにふんぞり返っていた人が、今はとても頼りない存在に見える。


「その件ですが……お父様、そのお金はどこから出たものだったのですか。お父様が継いでから会社は経営不振だと母は言っておりました。当時も今も、清須川家には身請け金を払う余裕などありはしないというのに」

「は……? け、経営不振?」


 千代の言葉を聞いた二井子爵の顔から、怒りが抜け落ちた。しかし、目も口も痙攣しており、もはやどのような感情を持てばいいのかわからないのだろう。


「ご存知ありませんでしたか? 今の清須川家は、祖父の代で貯めた資産を食い潰しながら生きながらえている状況ですよ。取引先もどんどんと減っていますからね」


 知らなかったかと聞いたものの、父が彼に何も伝えていないのは把握済みだ。


「し、しかし! この豪勢な披露宴は清須川家が――」

「元は、一乗家からのお金です」


 空気が凍り付く。


「私が夫に嫁ぐ際にいただいた結納金を、父は私の祝言ではなく妹のために使ったのですよ」


 二井子爵が信じられない者を見る目で、顔を背けている父を見ていた。

 周囲も「あまりにもひどい」「恥知らず」などと、聞こえよがしな声でざわつく。会場中から父に批難的――いや、軽蔑の目が向けられていた。


 父の顔に滲んでいた脂汗が、ダラッと滑り落ちる。

 二井子爵は汚いものに触れたかのように、押すようにして父の胸ぐらから手を離した。

 崩れた胸元を整える父の手は震えており、実に憐れだ。かといって、同情はまったくしないが。


「清須川の旦那も、よくそんな危ない経営状況でやったよなあ。自分の子かもわからねえってのに。釈迦にでもなろうってのかい?」


 桑田の物言いはいちいち皮肉がきいている。

 この父が釈迦になれるのなら、今頃世の中は極楽浄土だ。


「なっ、何を言うか! 茜は私と朱蝶の子だ……っ」

「あっはははは、いいねえ! 骨の髄まで娼妓にしゃぶられてらあ。あのなぁ、花街ってのは夢うつつなんだ。そこで交わされた言葉を、お天道(てんと)さんが昇っても胸に抱えてちゃいけねえよ、旦那」


 笑いながら言う桑田に比べ、父も茜も顔から血の気が引いて、口を動かす気力もない様子だった。父に至っては目がうつろになってきていた。ふらふらと身体が揺れ、卓の上を迷子のように視線が彷徨っている。


「茜は誰の子かわからねえよ。母親ですらわかってなかったんだからな。あと、その母親だが、どこぞの男と駆け落ちしたぞ。追っ手が掛かったからなあ……今頃どうなってるのやら」

「こ、この娘を……茜を、朱蝶は迎えに来るんじゃ、ないのか……?」

「来るわきゃねーだろ。自分で捨てていったのに」

「捨て……」


 どっ、と父が膝を折った。



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